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ラッパの鳴らない五時 rw+3,505

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予備自衛官補として入った最初の夏だった。

湿気が肌にまとわりつき、制服の内側で汗が乾かない。大学の講義を終えて電車を乗り継ぎ、郊外の駐屯地に入るたび、日常と切り離された空気に包まれた。

朝六時、スピーカーからラッパが鳴る。一瞬で叩き起こされる。寝汗の残る迷彩服に腕を通し、一分でも遅れれば怒鳴られ、二分なら全体で腕立て伏せだ。理不尽ではない。ただ、徹底されているだけだ。

相部屋は白く無機質で、二段ベッドが壁際に並ぶ。そのときは五人。ひとつだけ空きがあった。誰も使っていないはずの下段だ。

その夜も消灯と同時に眠りに落ちた。訓練の疲労で、夢すら見ない深い眠りだった。

次に目を開けたとき、ラッパが鳴った気がした。

身体が先に反応した。起き上がり、迷彩服に手を伸ばす。だが部屋は闇のまま、静まり返っている。誰も起きていない。耳を澄ましても、ラッパの残響はない。

錯覚か。

そう思った瞬間、右斜め前、二つ先のベッドで何かが動いた。

人影だった。

ゆっくり立ち上がり、布を丁寧に畳んでいる。無駄のない動き。訓練された手つき。暗闇の中なのに、その動作がはっきりと見えた。

そこは空いているはずのベッドだった。

半ば反射で口が動いた。

「おはようございます」

返事はない。影は動きを止めない。ただ黙々と布を整えている。

そこで気づいた。眼鏡をかけていない。

裸眼では隣の顔すら判別できない視力だ。それなのに、二つ先のベッドのTシャツの皺まで見えている。暗闇の中で、輪郭も指の動きも、異様なほど鮮明だった。

見えていること自体が、おかしい。

腕時計のライトを点ける。まだ五時前。ラッパが鳴るには早すぎる。

光が一瞬、部屋をかすめた。だが二つ先のベッドには、誰もいなかった。

布も、動きも、何もない。ただ空のマットレスが沈黙している。

慌てて毛布を頭まで引き上げた。目を閉じても、さっきの光景が裏側に貼りついている。心臓の音だけがやけに大きい。

しばらくして、本物のラッパが鳴った。今度は確かに鳴っている。部屋に光が差し、仲間が一斉に起き上がる。いつもの朝だった。

訓練の合間、リーダー格の自衛官に昨夜のことを話した。

「空きベッドで誰かが布を畳んでたんです」

男は手を止め、少しだけ笑った。

「やっぱり見たか」

それだけ言って、また靴を磨き始めた。

「ここ、昔いろいろあったからな」

詳しくは語らない。ただ三階の窓に後付けの鉄格子があること、使われていない隣室があること、それだけを淡々と挙げた。

「朝礼前に動くやつは、だいたい畳んでるらしい」

冗談の調子でもなく、脅すでもなく、ただ事実のように。

その夜から、消灯後に目を閉じるのが難しくなった。ラッパが鳴る前のわずかな静寂が、妙に長く感じる。

やがて訓練に通えなくなり、心療内科に通いながら任期を終えた。

今でも、朝方にふと目が覚めることがある。ラッパは鳴っていない。それでも身体が起き上がりかける。

そして、ときどき思う。

あのとき俺が「おはようございます」と声をかけた相手は、本当に空きベッドの主だったのか。

それとも。

あの部屋で、空いていたのは――俺のベッドの方だったのか。

[出典:179 :1:2019/10/20(日) 10:29:43 ID:3kMAWXUP0.net]

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