実家の固定電話には、昔から奇妙なことが起こる。
家に誰もいないとき限定で、電話をかけると必ず誰かが応答するのだ。
無言でも、雑音でもなく、若い男の声で、まるでそこに住む家族のように「はい、○○です」と。
最初は聞き間違いだと思った。あるいは、イタズラ電話か、盗聴でもされているのかと疑った。けれども、その声に用事を頼むと、必ず実行されている。
「風呂を沸かしておいて」
「コンセント切り忘れたから抜いておいて」
「洗濯物を何時になったら取り込んでおいて」
宅配を受け取ってくれだとか、人に会うようなことは一切できない。けれど、家の敷地内のことなら確実にこなしてくれる。あまりに自然に、まるで本当にそこに見えない誰かが住み着いているように。
私が生まれたころから、この現象は始まっていたらしい。だからもう数十年にわたって、家には「電話に出る何か」が存在していることになる。
試しに「母に伝言お願い」と言ってみたこともある。帰宅した母はテーブルの上に私の頼んだ内容をメモした紙を見つけて、目を丸くしていた。
私はずっと、それを「稲荷さん」だと思っている。
裏山には小さな祠がある。
山といっても子どもの足で五分も登らない程度の小道を抜けるとすぐに出てくる、苔むした鳥居と石の祠。村人もめったに立ち寄らないような、忘れられた稲荷神社だった。
私が赤ん坊のころ、高熱で死にかけたことがあったという。母は不眠不休で看病していたが、ふと一瞬だけ意識を失った隙に、私の姿が消えていた。家中探してもいない。祖母も何も見ていない。
半狂乱になった母が裏手に回ると、山からかすかに子どもの声が聞こえた。祠の前に私が寝ていた。しかも熱はすっかり引いていたという。
寝返りも打てぬ赤ん坊が、どうやって山の祠まで移動できただろうか。抱きかかえてきた母の腕の震えを、私は覚えていない。ただ、その日から我が家には「祠の稲荷に助けられた」という言い伝えが残った。
最初に「電話に出る何か」と出会ったのは、私が幼稚園のときだ。
家族全員が用事で外出していた。私は幼稚園、留守番は従兄弟が引き受けるはずだった。幼稚園の帰りに家へ電話すると、男の声が応答した。従兄弟だと思って「今から帰る」と告げると「おやつをテーブルに出しておくから気をつけて帰れ」と。
安心して帰宅すると、確かにテーブルにはおやつが用意され、熱いお茶まで入っていた。
しかし家は無人。従兄弟は留守番の約束を忘れて遊びに出ていたという。
誰が電話に出たのか。誰がお茶を淹れたのか。
その日がすべての始まりだった。
家族も最初は気味悪がった。だが、やがて「悪いことをするわけじゃない。むしろ助かっている」と考えるようになった。
祖母が生きていたころ、電話口で「お土産買ってくけど、何がいい?」と尋ねたことがある。すると若い男の声で「油揚げがいいな」と答えた。祖母は笑って、次の外出で油揚げを煮てテーブルに置き「食べてね」と電話で告げた。
帰宅すると、皿は空になり、食器まで洗って片付けられていた。
それ以来、家族はそれを「稲荷さん」と呼ぶようになった。
ただし、試しに「名前を教えて」とか「自画像を描いて」と頼むと、決して電話には出なくなる。
誰もが試したが同じだった。あまり問い詰められるのを嫌うらしい。
それでも、ふとしたときに照れたように「ありがとう、いただきます」と答えることもあった。
その声の温度を思い出すと、ただの怪異ではなく、確かにそこに「人」がいるような気がしてならない。
私はもう実家を出て暮らしている。けれども、不思議なことに、自分の子どもが高熱を出したとき、実家から離れた今の家で、なぜか急に症状が落ち着いたことがあった。母が言うには、その夜、実家の電話が鳴っていたらしい。誰もいないのに二回だけ鳴って、止んだのだという。
もしかしたら、今も私を見守り続けているのかもしれない。
怖いかと問われれば、最初はもちろん恐ろしかった。
けれども年月が経つにつれ、私はこの存在を「もう一人の家族」だと感じるようになっている。
ただ、ひとつだけ気になることがある。
私は今まで一度も、実際に電話口で「姿を見せて」と頼んだことがない。家族も同じだ。
なぜか、それだけは言ってはいけない気がするのだ。
理由は分からない。ただ、心の奥で本能的に、口にしてはいけないと知っている。
もしもその言葉を告げたとき、電話の向こうで「はい」と答える声が、本当に私自身の声だったらどうする?
そのとき、受話器の奥から笑いながら現れるのが、祠の稲荷ではなく「私のもう一つの顔」だったら……。
それを想像すると、背筋が凍る。
だから私は今も、電話口の声を「稲荷さん」と信じることにしている。
信じるほか、ないのだ。
[出典:233 :本当にあった怖い名無し:2009/03/12(木) 11:12:10 ID:jJuJBpzV0]