突然で申し訳ないが、子供の頃に一度だけ、妙に胸の底へ沈殿して離れない体験をしたことがある。
話すほど大したものではない。だが、今も脳裏に残っていて、時おり夢のように浮かび上がる。暇があるなら、少し耳を傾けてもらいたい。
小学校三年の夏、家族と共に祖母の家へ泊まりに行った。
祖母の家は港町にあり、海が目の前にある場所だった。潮の匂いがどの家の壁にも染みついていて、昼も夜も魚の匂いがつきまとうような町だ。祖父は漁師で、無口だが腕の太さと手の荒れ方が、海で生きてきた年月を黙って物語っていた。
そこには歳の近い従兄弟もいて、いつも俺と兄を海へ連れ出してくれた。祖父が釣りをする横で、俺たちは波に身を投げ、はしゃぎ回った。海はまだ遊泳禁止になっておらず、人影も少なかった。穴場だったのだろう。振り返ってみれば、あの浜辺に立っていたのはいつも俺たちだけで、たまに釣り人の背が遠くに見える程度だった。
滞在して三日ほど経った頃だったと思う。
その日も、いつもと同じように波へ飛び込んだ。最初は穏やかな浅瀬で遊んでいたのに、急に強い波が押し寄せてきた。気づいた時には体が宙に舞うように回転し、塩水と泡と砂に囲まれて、どちらが上か下か分からなくなっていた。必死に腕を振っても水しか掴めない。肺は焼けつくように痛み、心臓が何度も叩き割られるように暴れていた。
次に覚えているのは、陸に引きずり上げられた瞬間ではなく、もっと曖昧な感覚だ。暗闇の中で男の声を聞いた。深く、湿った声で、誰かに向かって「きづうないことをした」と呟いていた。謝罪のような響きだったが、俺に向けられた言葉なのか、それとも俺の口から漏れていたのか、分からない。ただ、耳ではなく頭蓋の内側で直接響くように、はっきりと残った。
気づけば病院のベッドに横たわっていた。隣には父がいて、目を潤ませながら「良かった」と言った。
けれど父の言葉は安心よりも不気味な違和感を呼んだ。父は、俺が目を覚ます直前に「きづうないことをした」と繰り返し呟いていた、と教えてくれたのだ。自分にはまったく記憶がない。だが、その声は確かに聞いている。誰の声かも分からないのに。
その日から、俺はどうやら別人のようになったらしい。以前は口喧嘩を好み、泥だらけで駆け回るような子供だったそうだ。けれど退院後は急に静かになり、外よりも家の中で本を読んでいる時間が増えた。祖母や従兄弟たちは「気味が悪い」と囁き合っていたらしい。
国語の授業で教科書を朗読した時のことも覚えている。
たった数行を読んだだけで、教師が顔を曇らせ、黙り込んだ。「お前、変わったな」そう一言だけ残した。
声の調子が以前と違ったのだろうか。あるいは言葉の運び方が、自分の歳には似つかわしくなかったのか。
それから交友関係も変わった。以前は外で騒ぐ仲間とばかり付き合っていたのに、静かな性格の友人ばかりを好むようになった。俺自身は、何も変わっていないつもりだった。だが人は皆、以前の俺と違う、と口を揃える。
不思議なのは、事故以前の記憶がほとんど残っていないことだ。思い出そうとしても霞のように手をすり抜ける。脳にダメージを負った影響だと医者は言ったが、本当にそれだけなのか。以前の「俺」がどんな人間だったのか、知識としては理解していても、感覚としては他人事のように遠い。
そして、今も耳の奥にこびりついているあの声。
「きづうないことをした」――あの言葉の意味が、ずっと分からない。最初は「気づかないことをした」だと思った。だが後になって、関西の方言に「きづつない」という言葉があると知った。申し訳ない、哀れだ、そんな意味らしい。もしそうなら、誰が誰に謝っていたのだろう。
俺が死にかけたことに対する謝罪だったのか。
あるいは、溺れかけた俺から以前の「人格」が消え失せ、新しい「俺」が現れたことに対する別れの言葉だったのか。
恐ろしい想像をすると、もし再びあのような体験をした時、今の「俺」もまた失われるのではないかと考える。新しい誰かが俺の体を使い、何事もなかったように暮らし始めるのではないか。
「きづうないことをした」――
あれは誰の声だったのか。祖父か、従兄か、父か。あるいは、海の底から立ち上がった、もっと別のものか。
はっきりしているのは、その声が俺の命を繋ぎとめた瞬間に鳴り響いた、ということだけだ。
だからこそ、俺は時折思うのだ。
あの夏、海に沈んで死んだのは本当は「以前の俺」であり、今ここにいる俺は、別の何かの第二幕なのではないかと。
そして今日もまた、あの言葉が耳の奥で揺れている。
謝罪なのか、別れなのか、あるいは祝福なのか。意味を測りかねたまま、俺はただ生きている。
――これで終わりだ。
[出典:257 :本当にあった怖い名無し:2013/11/27(水) 21:33:39.62 ID:lOuYrtm90]