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短編 r+ ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間 ほんとにあった怖い話

覗き穴の向こう rw+9,044

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俺が一人暮らしを始めたのは、二十歳そこそこの頃だった。

木造の古いアパートで、一階の六畳一間。台所と風呂トイレが無理やり付け足されたような間取りで、壁は薄く、上の階の足音や隣のテレビの音がそのまま流れ込んでくる。だが親元を離れたばかりの身には、それでも十分な城だった。

想定外だったのは、玄関のチャイムの多さだ。新聞、宗教、健康器具、回線の勧誘。毎日のように鳴る。最初は丁寧に断っていたが、顔を覚えられたのか、断っても断っても来るようになった。ある日を境に、俺は決めた。連絡のない訪問者には一切出ない。

チャイムもノックも無視する。覗き穴で確認するだけ。それで生活は一時的に平穏になった。だが、その方針は思わぬところで破綻する。

「昨日行ったのにさ、全然出ねえじゃん」

昼飯の席で、友人が笑いながら言った。胸の奥がひやりとした。俺は自衛のつもりで閉じこもっていたが、同時に外の世界を一律で遮断していたのだ。その日から、チャイムが鳴ったら必ず覗き穴を覗くようにした。

夕方、部屋で弁当を食っていた時だった。チャイムの直後、ノックが続いた。

コンッココン、コンコン。

胸が緩んだ。友人が来る時の合図だ。俺は確認もせず、鍵を開けた。

立っていたのは、知らない中年男だった。笑顔で布団のクリーニングを名乗り、話し始める。断っても引かない。言葉の隙間を縫うように話を続ける。気づけば、背後からもう一人が現れていた。二人で玄関口を塞ぎ、片足を敷居に掛ける。

帰ってくださいと言っても、笑っているだけだった。

苛立ちと恐怖が一緒に噴き出し、俺は一人を押しのけるようにして、ドアを閉めた。

覗き穴に、顔が貼りついた。

さっきまでの笑顔はなく、目は吊り上がり、口元が歪んでいた。人の顔だが、人の表情ではなかった。俺は後ずさった。

直後、ベランダ側で爆発音のような衝撃があった。カーテン越しに影が揺れる。隙間から覗くと、漬物石ほどの石が転がっていた。誰かが投げ込んだのだと理解するのに、時間はかからなかった。

その夜、眠れなかった。

それから週に一度か二度、チャイムやノックが鳴った。出なかった。覗き穴も覗かなかった。ある日、あのノックが再び鳴った。

コンッココン、コンコン。

心臓が凍った。友人の合図と同じだ。だが、友人はもう使っていない。気づけば俺は息を殺して玄関に近づき、覗き穴を覗いていた。

男の顔が、穴の向こうにあった。

いや、近すぎた。覗き穴のガラスいっぱいに、目と目が重なる。まるで、向こうからも覗き穴があるかのように。

「いるだろ」

低い声がした。

俺は声を上げて、部屋の奥へ逃げた。背後にはベランダがある。カーテンの向こうに、何かが立っている気がしてならなかった。朝まで布団から出られなかった。

数日後、俺はアパートを出た。事情は話さず、友人の家を転々とし、次の住まいを決めた。今度はオートロックのマンションだ。一階ではない。覗き穴の位置も高い。

引っ越しの夜、安心して眠れると思った。

深夜、ノックで目が覚めた。

コンッココン、コンコン。

夢だと思った。だが音は続いた。玄関からだ。あり得ない。オートロックだ。管理人もいない時間だ。

俺は布団の中で耳を塞いだ。音は止まった。

翌朝、玄関のドアに、指で擦ったような汚れが残っていた。円を描くように、覗き穴の周囲だけが曇っている。内側から触った覚えはない。

それ以来、場所を変えても、あのノックを聞く。時間も、距離も関係ない。誰かが俺のドアを覚えている。

チャイムが鳴るたび、俺は今でも身をすくめる。友人かもしれない。管理人かもしれない。だが、確かめる勇気はない。

覗き穴の向こうで、こちらを覗いている何かがいる。
それだけは、はっきりしている。

(了)

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