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短編 山にまつわる怖い話 n+2026

山が先に見ていた nw+

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十一月の山形は、空気の角が尖っている。

登山口へと続く細い県道を車で進むほどに、フロントガラスの向こうの色は抜け落ち、湿った灰色だけが残った。目的地は、名前を地図で探してもすぐに指が止まるような、地元の人間が薪を拾いに入る程度の低山だった。本格的な装備を要するほどではないが、一人で入るには躊躇いが残る。そういう山だ。

舗装が途切れ、砂利がタイヤを噛む音に変わる。エンジンを切った瞬間、静けさが耳の奥を押し広げた。車外へ出ると、冷気が衣服の隙間を正確に探り当ててくる。秋の終わりというより、冬が入り損ねてその場に留まっているような、重たい冷え方だった。

リュックの紐を締め直し、足首を回す。湿った土を踏む感触は柔らかすぎて、どこか信用できない。立ち枯れた杉が等間隔で並び、墓標の列のように斜面を占領している。鳥の声はない。風が梢を揺らす低い音だけが、遠くで続いていた。

腐った落葉と、僅かなカビの匂い。山の匂いは時に落ち着きを与えるが、この日は違った。息をするたび、拒まれているような感覚が喉の奥に溜まる。一歩ずつ登るにつれ、自分の呼吸だけが妙に大きく聞こえ始めた。吐いた息は白く、すぐに森の湿気へ溶けた。

振り返ると、車は霧の向こうで小さく霞んでいる。退路が断たれたわけではない。それでも心拍だけが先に進んでいた。道標は古く、文字は剥げ落ち、方向だけが辛うじて残っている。踏み跡を頼りに、斜面を詰めた。

光は乏しい。雲の切れ目から落ちる陽は、針葉樹の天蓋で砕かれていた。足元には霜柱が立ち始めている。踏み潰すたび、乾いた音が響き、その音さえ森に吸われる。自分がひどく小さな存在であることだけが、確かだった。

中腹で立ち止まり、水を飲もうとした時、視界の端で何かが跳ねた。

生命の動きというより、色の侵入だった。視線を上げる。木々の隙間、十メートルほど上の梢に、それはあった。周囲の色を拒むように、そこだけが鮮烈な赤を放っている。

目を凝らす。焦点が合った瞬間、背中を冷たいものが走った。赤い天狗の面だった。鼻が異様に長く、表情は固定されている。太い幹に、何重かに固定されているように見える。

なぜ、あんな場所に。

高さも位置も、人が気軽に触れられるものではない。穴の空いた眼窩は、こちらを向いている。何もないはずなのに、見られている感覚だけが消えない。足が止まり、時間の感覚が薄れる。

引き返すべきだと頭では分かっていた。だが、同時に「見てしまった以上、戻っても同じだ」という考えが浮かぶ。私はわざと足音を立て、前へ進んだ。

山頂には何もなかった。祠も標識もない。ただ平坦な岩場が広がっている。滞在は数分で終え、すぐに下山を始めた。

下りは神経を削る。落葉の下に隠れた根が、足を取ろうとする。視線は足元に落としたまま、それでも意識はあの木の位置を測っていた。通り過ぎる時、何かが変わっていたらどうする。

赤は見えなかった。それが、かえって不安を煽った。

登山口に戻り、車に乗り込む。ドアをロックし、密閉された空間に息を吐いた。バックミラーに映る顔は、血の気が抜けている。

山を離れてしばらく走ったところで、古い商店が目に入った。色褪せた看板、自動販売機の白い光。入る前には気づかなかった場所だ。

店内は薄暗く、線香と埃の匂いが混じっている。呼びかけると、奥から腰の曲がった老婆が現れた。私は、あの山で見たものを説明しようとして、途中で言葉を選び直した。

「赤いものを、見たんですが」

その瞬間、老婆の動きが止まった。返事はない。視線が、私の背後に一度だけ落ちる。

「……そう」

それだけ言って、彼女は奥へ戻った。追いかける理由が見つからず、私は店を出た。

自宅に戻り、シャワーを浴びる。湯気の中で、古い木と金属の匂いが残っていることに気づく。洗っても消えない。鏡を見ると、頬に赤みが差している。触れると、硬い。

その夜、眠りの浅い夢を見た。高い位置から、誰かが山道を歩いてくるのを見下ろしている夢だ。風の音が、呼吸と重なっていた。

朝、鏡に映る自分の顔を見て、言葉を失った。赤みは消えていない。ただ、どこまでが皮膚で、どこからが別のものなのか、境目が分からなくなっている。

外に出ると、空気の角が同じように尖っていた。

その日、私は山へは向かわなかった。ただ、信号待ちの間、街路樹の高さを測っていた。十メートルほどの位置に、視線を固定する癖がついている。

今も、ときどき視界の端で赤が跳ねる。

それが本当にあるのか、私の側に生じたものなのか、判断はつかない。だが、気づいてしまった以上、もう以前と同じように山を見ることはできない。

もしあなたが、十一月の山形で、梢の奥に不自然な色を見つけたとしても、どうか長く見上げないほうがいい。
見つけたのではなく、見つけられたのかもしれないのだから。

[出典:203 :202:2011/09/01(木) 01:00:12.03 ID:xoIqHatY0]

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