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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

通過した直後に立っている ncw+

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その話は、彼が酒の席でぽつりと漏らしたものだという。

誰に向けたわけでもない。卓上の灰皿の縁を、意味もなく指でなぞりながら、思い出すともなく語り始めたらしい。

季節ははっきりしない。ただ、夕方だったことだけは妙に強く覚えていると言った。山中を貫く高速道路を走っていた。仕事でも急用でもない。ただ、帰る気にもならず、気まぐれに車を転がしていた。ラジオは点けていなかった。車内にある音は、エンジンの低い唸りと、切通しに反響するタイヤ音だけだった。

道は山の等高線に沿うように続いていた。両脇を削られた岩肌は湿り気を帯び、夕陽を受けて鈍く光っていたという。風はなく、窓を少し開けると、土と枯葉が混ざった匂いが入り込んできた。

そのとき、癖のようにバックミラーを見た。

切通しの脇、さきほど通過したはずの道路上に、黒い人影が立っていた。

立っているというより、置かれているように見えたと彼は言った。動きがない。輪郭だけが曖昧で、夕方の影が凝り固まったような形をしていた。

おかしいと思った。さっき通ったとき、そこに人はいなかった。工事もない。路肩に停まった車もない。考えがまとまる前に、ミラーの中で、その人影が変わった。

動いた、という言い方が正しいのかどうか、彼は何度も言い直した。倒れたわけでも、横に崩れたわけでもない。ただ、ばさばさと、形を失っていった。

まるで、乾き切った枯葉を高く積み上げた山が、内側から崩れるように。

その比喩だけは、何度も繰り返された。音は聞こえなかった。だが、視界の中で、黒いものが軽く、脆く、散っていく感触だけが残ったという。次の瞬間、バックミラーには、いつもの道路しか映っていなかった。

車内の温度が、わずかに下がった気がした。エアコンは入れていない。汗ばんでいた掌が、急に乾いた。

まだ陽は出ていた。黄昏とはいえ、視界は十分に利いた。切通しの上から人が飛び降りられるような高さでもない。そもそも、あそこに人が立つ理由がない。

気のせいだと思おうとした。だが、それから先、カーブを一つ曲がるたびに、無意識にバックミラーへ視線が戻った。

次に現れたのは、三つ目のコーナーだったという。

さきほどと同じ距離感。やはり黒い人影が、道路上に立っていた。

今度は、形が少し違って見えた。背が低いようにも、前屈みのようにも見える。だが、はっきりしない。ミラー越しに焦点を合わせようとした瞬間、また崩れた。

ばさばさと。

そのたびに、彼の右足はわずかに踏み込まれた。意識していないのに、速度計の針が少しずつ上がっていく。エンジン音が高くなる。

三度目、四度目。現れる場所は微妙に違っていたが、必ず通過した直後のカーブだった。まるで、追いつけない距離を保ちながら、後方に立ち続けているようだった。

陽が山に沈むにつれ、ミラーの中の黒は濃くなった。輪郭はさらに曖昧になり、崩れるときの印象だけが、はっきりと残った。

彼はラジオを点けようとしたが、指がうまく動かなかった。ハンドルを握る指先が、妙に冷えていたという。

それは、辺りが完全に暗闇に包まれるまで、何度も現れた。

最後に見たとき、彼はほとんど反射的にアクセルを踏み込んでいた。速度は制限を大きく超えていたはずだ。オービスの存在が頭をよぎり、背中に冷たいものが走った。

だが、光は光らなかった。

話の終わりに、彼は苦笑いを浮かべて、こう付け加えたという。

警察も、あんなやり方まで使って、速度を上げさせるんだからな。

その場にいた者たちは、誰も突っ込まなかった。笑っていいのかどうか、判断がつかなかったのだ。

ただ一人、同席していた年配の男が、低い声で言った。

あの辺り、昔から妙に事故が多い。理由は、よくわからないままだ。

それ以上、誰も言葉を続けなかった。

彼はその夜、家に帰ってから、何度も車庫でバックミラーを確かめたという。そこには当然、自分の車しか映らなかった。

だが後日、洗車のときに気づいた。バックミラーの裏側、樹脂の継ぎ目に、乾いた黒い粉のようなものが溜まっていた。

枯葉を砕いたような、軽い粉だった。

拭えば落ちた。指先に残る感触もない。

それでも、彼は今でも、夕方の山道で速度が上がるとき、必ず一度、バックミラーを見てしまうのだという。

そこに何も映っていないことを、確かめるために。

[出典:803 :本当にあった怖い名無し:2013/01/23(水) 11:05:13.15 ID:wRsWFzTV0]

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