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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

画面の中の男 n+

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あの夜のことを、人に話すのはこれが初めてだ。

信じる者がいるとは思わないし、信じてもらおうとも思っていない。ただ、これを書いておかないと、いずれ自分の意識がどこかへ引きずられてしまいそうで、怖いんだ。

東京本社に転勤が決まったとき、正直ほっとした。地方営業所では、十年近くも同じ顔ぶれに囲まれて鬱屈した日々だったし、何より、自分の人生が停滞していることに気づき始めていた。三十を過ぎ、恋人もいなければ将来の展望もない。何かを変えたかったんだ。あの時は……そう、変わると思っていた。ほんの数日だけは。

新生活の拠点となったのは、会社の独身寮だった。郊外の古びた四階建て。コンクリの壁に塗られた白いペンキが、ところどころ剥げ落ちている。駅からも遠く、隣の部屋の咳払いが聞こえるほど壁も薄い。けれど、どうせ一人暮らしなんてそんなもんだろうと思っていた。ところが、引っ越して二週間も経たないうちに、妙な胸騒ぎがするようになった。

最初に異変が起きたのは、仕事帰りの夜だった。コンビニ弁当を片手に部屋へ戻り、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、テレビのリモコンを押した。何も映らなかった。
黒い画面が、じっとこちらを睨んでいるように見えた。
その瞬間、「バチンッ」という乾いた音が部屋に鳴り響いた。テレビがひとりでに点いた。通販番組のアナウンサーが、妙に明るい声でしゃべっていた。

機嫌が悪かったのか、接触不良だったのか、その時は気にも留めなかった。
……本当に、あの夜のことを深く考えなければよかった。

翌日も同じことが起きた。だが、今度は違った。
画面いっぱいの砂嵐と、地獄の底から響いてくるようなノイズ。
耳を塞ぎたくても、手が動かない。リモコンを投げても止まらない。
電源ボタンも反応せず、俺はテレビの裏に手を伸ばして、コンセントを無理やり引き抜いた。

沈黙。

ようやく音が止んだことに安堵しかけた、そのとき。
テレビの黒い画面が、まるで鏡のように俺を映していた。いや、俺だけじゃない。背後に、誰かいた。
痩せた顔に銀縁眼鏡、よれた背広。
無表情のその男が、俺の肩越しから、じっとこっちを覗き込んでいた。

一気に心臓が凍った。

振り返っても、そこには誰もいない。
でも、見た。確かに、見たんだ。

我を忘れて部屋を飛び出した。夜の街を走った。コンビニに入り、冷たい空気の中で缶コーヒーを買った。
何をしているのか、自分でもよく分からなかった。ただ、あの部屋に戻るのが怖くて仕方なかった。

それでも、結局戻った。夜が明けるのを街中で待つ勇気もなかった。
部屋のドアを開け、明かりをつけて、何もないことを確認し、恐る恐るテレビの電源を入れた。
普通のバラエティ番組が流れた。俺は笑い声すら虚ろに聞きながら、残っていた弁当を口に運んだ。
味なんて、しなかった。

その時だった。
また、テレビが突然消えた。

今度は叫んだ。
背後に気配を感じた。振り返った。
銀縁眼鏡の男がいた。
……が、その表情は前回とまるで違った。

眼球は充血し、口は裂けるほどに歪んでいた。
怒りとも、哀しみともつかない、何か原始的な感情が、奴の顔に浮かんでいた。
言葉では説明できない、目を合わせた瞬間に理解した。
「こいつは俺を殺しに来た」。

身動きが取れなかった。恐怖で体が固まり、喉は引きつって音も出せなかった。
その瞬間、部屋の明かりが落ちた。

闇の中、何かが俺の首に絡みついた。
ぬるぬるとした、温かい液体の感触。
人間の手とは思えないほど、粘りついたそれが、ゆっくりと首を締め上げてきた。

「誰か……誰か……!」

叫びながら床を転がり、玄関へ向かった。膝を強打したが構っていられなかった。
隣の住人がドアを叩いていた。「大丈夫ですか!」
俺は叫んだ。「開いてる! 入ってくれ!」

廊下の明かりが部屋に差し込んだ瞬間、あの感触は消えた。
夢だったのか? 錯覚だったのか?
だが、俺の首にはうっすらと指の跡が残っていた。

警察が来たが、何も見つからなかった。
侵入の形跡も、盗まれたものもない。
結局、俺は近くのビジネスホテルに泊まり、明け方まで眠れずに過ごした。

数日後、同僚にこの話をした。誰もが幻覚だと笑った。
だが、一人だけ妙な顔をした男がいた。
「そういえば、前にお前が担当してた取引先の社員が、最近自殺したって聞いたぞ」

ぞっとした。直接会ったこともない人間だ。
だが、話を聞いていくうちに、妙にひっかかるものがあった。
確認のために、その会社の代表番号に電話をかけ、名前を出してみた。

事務員が言った。

「その方は……ひと月前に亡くなられました。社内で……自死でした」

電話を切ったあと、しばらく手が震えて止まらなかった。
写真も見せてもらった。事件とは無関係だと笑った同僚たちの中、俺だけが、その写真の片隅に映る男に目を奪われた。

くたびれた背広。銀縁の眼鏡。
俺の背後に立っていた、あの男だった。

それからというもの、朝と夜、必ず塩を振ってから外出し、就寝するようになった。
あの男は、それ以来、姿を見せていない。

だが……
テレビの黒い画面を見ることが、今でもできない。
あれは闇の中から来たものだった。
深い井戸の底か、それとも、俺の心のどこか底知れぬ場所か。
もう、わからない。

ただ、あの眼差しだけは、今もはっきり覚えている。

[出典:5 :デリバティブ:02/11/17 04:14]

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