母の実家は寺だった。
東北の盆地、夏の湿気と冬の静けさだけが色濃く残るような、小さな村。私は三歳になるまで、母と共にその寺で暮らしていた。
寺には子供の癇の虫を祓うまじないが伝わっていて、それがよく効くと評判だったらしい。大きくなってから知ったのだけれど、あの頃はとにかく、よその家の子どもと遊んでばかりいた。というよりも、祖母がよく私を連れて客間へ行き、訪れた檀家の家族の中に私を混ぜていた。
はじめてその“現象”が起きたのは、私が一歳半を過ぎたころ。年の近い子どもを連れた母親がやってきた。妊娠中だったが、予定日を過ぎてもまったく兆候がなく、疲れ果てた顔をしていたという。
私はいつものようにその子と並んで遊び始めたそうだが、途中でふと、その母親の腹に手を伸ばし、撫でた。それも一度や二度ではなかった。何度も、何度も、執拗に腹をなで回したと、祖母が話していた。母親は困惑していたそうだが、別れ際にもまた撫でた。
その夜、陣痛が始まった。翌朝には元気な女の子が産まれたと連絡が来た。寺の電話が鳴った時、祖母は縁側でぼんやり空を見ていた私を見て、「やっぱりこの子は……」と何かを思ったという。
それからだ。
私は誰彼構わず妊娠にまつわる奇妙な行動を始めた。境内の庭先で遊んでいると、訪ねてきた女性の腹に近づき、撫でる。ひと撫で、ふた撫で、時にはその場を離れずにずっと撫で続け、母に引き剥がされて泣くこともあった。そういう時に限って、その女性は数日後に妊娠したと報告してくる。
流産を繰り返していたという檀家の嫁が、私に抱きしめられて「赤ちゃん、いーこ」と言われた後、初めて安定期に入ったという。彼女が泣きながら寺を訪れ、私に何度も頭を下げ、祖父母と抱き合っていた光景はぼんやりと覚えている。冬の寒い朝、灰色のセーターを着た女の人が、大きなマフラーの中で嗚咽していた。
「授かり様」
いつからか、そう呼ばれるようになっていた。私自身は何も意識していなかった。ただ、無性に誰かの腹に触れたくなる。そういう時、手が勝手に伸びる。引き寄せられるような、あるいは自分がそちらに引きずられるような感覚だった。
何もしていない。ただ撫でるだけだった。
その力めいたものが消えたのは、十歳のときだった。夏休みに寺へ戻ったある日、隣家の牛が難産で苦しんでいると聞いて、ふらりと牛舎に入った。汗の臭いと生き物の生暖かい気配のなか、私は牛の額を撫でた。それだけだった。でも、その直後に破水し、数時間後には無事に子牛が生まれた。
祖母は「ああ、これが最後だね」とだけ言った。その意味は私にはわからなかった。
それ以降、私は縁側で誰かを待つこともなくなった。自分の意志で人に触れることもなくなった。ただ、寺に帰ると誰かしらが私の手を握り、「あのときは本当にありがとうね」と頭を下げる。それがずっと続いている。
今、私は三十路を越え、三人の子どもを持つ母になった。だが、どの出産も地獄のようだった。
一人目は重度の悪阻で入院した。二人目は切迫早産で寝たきりだった。三人目の出産時には出血が止まらず、意識を失った。助産師が「死ぬかと思った」と口をついたほどだった。
なぜ、私はあれほど他人の出産を軽くしていたのに、自分はそうではなかったのか。あれは一体、何だったのか。
たまに、夢を見る。
白い座布団に座って、誰かの腹を撫でている。私の手はとても小さく、言葉もしゃべれないのに、なぜか「ここにいるよ」と強く伝えようとしている。相手の顔はいつも見えない。輪郭がぼやけていて、声も聞こえない。
その腹の奥に、私は自分自身の気配を感じる。手を伸ばしたくてたまらなくなる。その時、かすかに、向こう側からも手が伸びてくる気がする。
だが、いつも触れる前に夢は終わる。
授かり様、なんて呼ばれていたが、私には何もわからない。あれは本当に良いことだったのか、どうか。もしかしたら、あれは力なんかではなく、ただの業のようなものだったのではないかと、最近ふと思うようになった。
授けた命の数だけ、私は代償を払わされているのではないか。子宮の奥に巣食うものを、撫でることで少しだけ他人に分けていただけではなかったか。
祖母の位牌を拝みながら、ふとそんなことを考えてしまうのは、暑さのせいか。
いや、本当に、そうだろうか。
[出典:668 :本当にあった怖い名無し:2017/11/27(月) 23:08:01.57 ID:XN0awRaT0.net]