山の牧場とは、新耳袋という怖い本で紹介された、オカルトスポットです。
話題になったのは、たとえば、
二階があるのに、行けなかったり階段が無かったり、牧場なのにそんな素振りを全く見せない。
さらにさらに、人が住めない状態では無い。
どう考えてもこれはおかしいだろう!という不可思議な場所。
山の牧場とは?何のため?正体は?あと、どこにあるんですか?
私がなぜ山の牧場を知ったかというと、本屋さんです。
不思議ナックルという本をおじ様に買ってもらった。
そこでこれは、ちょっと、あれ?おかしいんじゃないか?と。
今までと違う……
山の牧場知らない人いるみたいなので解説します。
22 :本当にあった怖い名無し:2008/08/16(土) 14:28:17 ID:nA/Ltj170
この話は新耳の著者の一人、中山さんが本気の身の危険を感じて、十七年間活字化できなかった、っていう話です……
大学生の時、映画サークルの監督をやっていて、ロケ地探しに山に行ったと。
そこで、これまで気づかなかった、乗用車一台がぎりぎり通れるような狭い横道を発見する。
延々とその道を行くと、台地に出てきた。そこには牧場らしきものがある。
しかし、人は誰もおらず、牛舎の鉄柵はピカピカで、排泄物を流す溝も藁一つ落ちていないことから、使われた様子がない。
牛舎の屋根を見上げると、半球形にへこんでいる。
トラクターは車輪の轍の上に不自然に裏返って放置されている。
何かの実験室もあり、中を見ると、アームのようなものがついた機械があり、沢山あるフラスコやビーカーなどが一つ残らず割れている。
なぜこんなものがあるのか?二階建ての宿舎のような建物もあった。
一階部分には、なぜか石灰の山。
下から見ると、二階は寝起きできる部屋のようになっているので、登ろうとするも、階段が、ない。
崖から庇に登り窓から入る。
やはり一階に続く階段はない。
かなり構造が「変」だ。
六畳の和室。
雛人形二体、博多人形一体が畳の上にころがり天井を見ている。
部屋一杯、壁、天井そして畳にも膨大な数のお札が貼られており、あまったお札が束になって机の上においてある。
そしてふすまには、ペンキで書かれた
「たすけて」
の文字。
四畳くらいのもう一つの部屋には同じく人形が数体。
壁一面に幾何学的な文字。
厚い医学書。
そして壁と同じ文字が書かれたメモ帳。
その最終ページには、人体図が書かれており、部分部分を解説するように幾何学的な文字が。
牧場には変電室があり、電気が通っている様子。
他にもいくつかおかしな点があった。
そもそも、乗用車一台通れるほどの道なのに、どうやって資材やトラクターを運んで建設したのか?
生活に必要な、トイレや台所がないのはなぜ?等々。
そんなこんなで山をおりた一行。
役所につとめる友人に聞いても、そんなところに牧場があるとは聞いてない、ということ。
友人達と、
「UFO基地じゃないか」とか「山の中は空洞じゃないか」という話をしていたが、後日その説を地元の友人に語ったところ、顔色を変えた、
「あの山は空洞だよ」と語る。
また、あのあたりではよくUFOが目撃されるとも。
その牧場の話が広まり、地元のKという人が現場に行って写真をとったという。
誰もいなかったけど、黒い大型の車が二台とまっていたという。
写真を中山に送るといっていたKが失踪。五年後、中山は再度現地に行く。
その時には、そこはもう町から委託された人がはっきりと牧場をやっている。
そして、中山らが最初に訪れた時以前に、ある医者が道楽で牧場をやったが潰れた、という話が町の人たちの間でも周知の事実であるかのように語られているという。
当時は誰も知らなかったのに。
小学校の先生が林間学校か何かで牧場の敷地を借りるため、行くというので中山はついていった。
宿舎は天井の一部を破り、梯をかけて二階を使えるようにしている。
放牧してるようすはなく、牛を見掛けないので従業員に
「牛はどこか」と聞くと、従業員は「牛舎の中」と答えた。
窓もなにもないトタンで囲まれた牛舎。
夏の真っ盛りのことだ。中は蒸しぶろ状態だろう。
「あの中、ですか……」と聞くと、従業員は
「そうだ」
さすがにそれ以上聞くことが怖くなったと言う。
その後も色々エピソードはあるが割愛。
それから何年もたってタレント事務所にいた中山は、所属タレントに、その牧場につれていくようせがまれる。
中山は、年々当時の状況とは変わってきており、人々の記憶すら変わってきている。
だから、牧場に行っても当時の面影は残っておらず、何の変哲もない牧場になっているだろう、と説明した上で承諾。
到着したのは夜だが、案の定、変わったものは見つからなかった。
空を見上げると満天の星空。
本来の目的地である日本海に向かって山をおりた一向は、もう一度空を見て驚く。
山の上を見ると、満天の星空どころか、数分もたっていないのに、厚い雲に覆われている。
そして雲間から、満月に近いような月が見える。
34 :本当にあった怖い名無し:2008/08/17(日) 16:45:02 ID:rZeQCTWl0
新耳袋の第四夜にものっていましたよね。
あと、『新耳袋 山の牧場』で検索したら山の牧場跡とおぼしき廃墟を探索して写真撮影したブログが出てきた。
本で書いてあったのとおなじようにトイレには男性用便器10個、和式便器12個があった。
なんで、こんなにたくさん?
39 :本当にあった怖い名無し:2008/08/19(火) 01:03:58 ID:Nll1lEFK0
昔、サイキックで聞いたな~。
そとばこまちの劇団員が行ったらしいけど。
最近の画像はなんか違うね。
昔は重機がひっくり返ってたとか……
55 :本当にあった怖い名無し:2008/08/20(水) 18:07:45 ID:OC1jQY4U0
山の牧場の真相
バブル期のころ株や不動産だけでなく和牛に対し投資するのが流行った。
地元(兵庫)の有力者がそれに目を付け牧場経営を思いついた。
だが畜産のノウハウもなく一応箱は作ったが上手く行くはずもなくバブル終焉と共に実際の牧場活動をせずに放置状態。
※和牛詐欺に引っかかったと言う噂もある。
一部の建物の作りがおかしいのは登記もまともな設計もせず土建屋が強引に建てた建物だから。
※作りが変と言われる建物は登記されておらず、基礎等の作りも荒い。
トイレの数が多いのは当時キャンプ場がそばにあり観光牧場とする事も視野に入れてたから。
※所謂ゲストの為のスペースが若干存在することからも伺える。
具体的な場所は何処よ?→ネット漁れば出てくる。
そのくらい自分でお調べ下さい。
地元の有力者ってだれよ?→登記が変わってなきゃ登記簿に載ってる人。
耳袋にあるように地元では割と有名な話。普通の廃墟。
耳袋は誇張や創作が入ってるけどな。
56 :本当にあった怖い名無し:2008/08/20(水) 19:35:49 ID:ArYy/8hz0
設計せずに強引に建てるとドアが2階に付いて階段なくなるの?
57 :本当にあった怖い名無し:2008/08/20(水) 20:34:03 ID:Q/AMaLh7Q
建物の現物がそうなってた以上、まともに設計したとは思えんけど。
60 :本当にあった怖い名無し:2008/08/21(木) 18:45:51 ID:AYlQDM3CO
内部の落書きや御札や実験室等は何なのかなぁ?
いたずら?
MIBっぽい人たちは脚色?
59 :本当にあった怖い名無し:2008/08/21(木) 01:39:00 ID:BPJv7U2sQ
妙な建築に関しては、始めから2階建てにするつもりじゃなく、急遽変更して1階の設計(既製の流用)のまま持ち上げたと思う。
ようするに、間に合わせの映画のセットみたいなもんかな。
62 :本当にあった怖い名無し:2008/08/22(金) 16:20:17 ID:Dhb3VATj0
>>59
そこまでして2階建てにする理由が分からないんだけど何かあるのかな。
よく知らんけど、登記がどうこうだったら、低いほどいいんだよね?
63 :本当にあった怖い名無し:2008/08/22(金) 16:39:22 ID:BT/4ErWn0
>>62
>>55に登記されてないって書いてあるじゃん
登記してない
→審査がない
→まともな設計する必要が無い
→適当にプレハブくみ上げろって感じで非合法だけど安く済むって話なんじゃない。
何を問題視してるの?
64 :本当にあった怖い名無し:2008/08/22(金) 17:38:06 ID:Dhb3VATj0
それだったら、そのまま1階建てとして置いたらいいんじゃないのかなと思って。
使えもしない2階建てにする必要って何?
65 :本当にあった怖い名無し:2008/08/22(金) 17:56:47 ID:BT/4ErWn0
なんか勘違いしてるみたいだね、階段はあるよ。
強引に付けた奴が。
ひょっとしてこのスレだけ見て書いてる?耳袋の孫引きだけど創作ばっかだよ。
66 :本当にあった怖い名無し:2008/08/22(金) 19:14:35 ID:Dhb3VATj0
じゃあリフォームされる前からあの階段は付いてたんだ。
理解できた、ありがとう。
68 :本当にあった怖い名無し:2008/08/23(土) 08:47:54 ID:gzX7pnOY0
2階のドアに通じる階段ないじゃん。
もしかして豪雪地帯?
69 :本当にあった怖い名無し:2008/08/23(土) 18:27:56 ID:joSEQ8ylO
もうこれ以上の詮索は、お止めください。
これより先の書き込みは、貴方にとって非常に高いリスクを伴うことが、予想されます。
寝た子を起こす行為を行うことは、今すぐ終了することをお勧めします……
資料:「山の牧場の正体」 取材・文 / ミスチル・ドミンゴ
「山の牧場」---オカルトファンならずともこの言葉を聞いたことのある人は多いはずだ。
特に関西では12~13年前、ある深夜ラジオで話題になった話である。
もともとは「新耳袋」の著者の一人である中山市朗氏が体験した実話であるが、長らく中山氏が封印していたこの話は99年に「新耳袋・第四夜」に掲載され、再び大きな話題を呼んだ。
今回、改めて「山の牧場」の謎を検証しようと、実際に現地に赴いた結果、衝撃の新事実が明らかになったのである。その前に、まずは「山の牧場」のストーリーを簡単に説明しよう。
1981年というから、今から20年以上前の話。
中山氏が大学の卒業制作で映画を撮影するため、氏の実家近くの某県W町周辺で、村を俯瞰できる小高い丘を探していた時のことだった。
偶然見つけた未舗装の、しかも普通の乗用車1台がギリギリ通れる山道を車で登っていくと、そこには
「あと30メートル」と白いペンキで書かれたドラム缶があり、さらに「あと20メートル」「あと10メートル」と続いていく。
行き着いた先は台地になっており、草原が広がっていた。
そしてその奥には赤い屋根のトタンで作られた2棟の牛舎と、宿舎と事務所らしき建物があった。
中山氏はこのあと、無人の牧場で数々の不思議な実態を目の当たりにする。以下列記していくと……
①牛舎はピカピカで使われた形跡がなかった。
②牛舎の屋根に直径2mほどの大きな凹みがあった。
③中型トラクターがタイヤを上にして仰向けの状態で転覆していた。 しかし、牧場に登る道は乗用車1台がやっと 通れる道で、道にはトラクターの轍もなく、転覆するような障害物もなかった。さらにこの牧場を建築する際に、車両や資材搬入はどのようにして行なわれたのかも謎。
④2棟の牛舎の間にある建物の中は、謎の鉄製の機械とともに割れた試験管などが散乱していた。
⑤宿舎らしき建物には2階部分があるにもかかわらず、2階へと登る階段がない。
⑥その2階部分には神社のお札が数百枚単位で壁、天井、床中に貼られていた。
⑦襖に「たすけて」と白いペンキで殴る書きされていた。
⑧隣の部屋には数体の人形が上を向いて転がっていた。その横には分厚い医学書が。
⑨白い漆喰の壁一面には見たことがない奇妙な形の文字が、細かくビッチリ書き込まれていた。
⑩落ちていたメモ帳には、壁にあった文字が書き込まれ、最後のページには人体図があり解説印が書かれていた。
⑪建物には水道メーターと変電室があり、ともに稼働していた。
⑫この奇妙な2階建ての建物には、玄関も台所も風呂もトイレもなかった。つまり、ここでは“生活が成立しない”
⑬階段のない2階建ての建物の横にある木造の平屋の中に巨石があった。石の方が建物の入口よりはるかに大きかった。
中山氏は山を降りたあと、仲間や友人に牧場の存在を話した。しかし後日、何とも不気味な出来事が起きる。
氏の後輩の友人が、興味本位でこの牧場の写真を撮りに行く。
しかし帰ってきた直後、氏に「写真を送ります」と言ったまま、その彼が謎の失踪を遂げるのだ。
下宿は既に引き払い、実家はまるで夜逃げでもしたかのように蛻の殻だったという。
これを機に、中山氏はこの牧場には「触れてはならぬ何かがある」と確信し、十数年に渡って公表することをしなかったのである。
今回、中山氏と「新耳袋」を共同執筆した木原浩勝氏ご両人に会って話をうかがった。
「中山は牧場のあった集落の近くに実家があるので、周囲の人に聞いてみたそうですが、誰一人としてその存在を知らなかったのです。中山の実家は新聞販売所を営んでいたので、工事で飯場などができたら絶対分かるというにもかかわらず、です。また役所に牧場の所有者を尋ねたところ、町役場は存在そのものを知らなかったのです。こんな不思議なことがあるでしょうか」(木原氏)
得体の知れない牧場には他にも不思議なことが多々あった。
「牧場の近くに小学校の分校があり、一度そこの教師全員がUFOが飛んでいるのを見たという事件がありました。この一体はUFOが数多く目撃されており、地元の新聞にも載ったことがあります。さらに牧場近くのI川沿いには廃坑の入口があるのですが、そこに幽霊が出るという噂は村中で有名でした」(中山氏)
牧場に人がいたことも目撃されている。
「友人が夜、こっそり牧場に忍び込んだら、黒いキャデラックが数台とめてあって、宿舎の中で大勢の人々が食事をしていたというんです。しかも人々は全員、窓に背を向けて、一列になって並んでいた。友人は不気味に思ってすぐさま帰ってきたんです」(中山氏)
あまりに多すぎる不可解な謎、撮影者の失踪、付近住民のみならず町役場でさえその存在を知らない牧場……
それに加え周辺でのUFOや幽霊の目撃情報、黒塗りの大型車―そこには触れてはいけない”何か”が間違いなく横たわっている。
20年以上解き明かされることのなかったこの謎を解明すべく本誌は調査を開始した。
牧場の場所は木原氏と中山氏の情報を元に、ネットなどの書き込みなどを参考にして絞り込むことができた。
まず当該地域の1976年の航空写真を手に入れてみると、山の頂上付近に赤い屋根の建物が2棟並んでいるのが確認できた。当該地域の過去のゼンリン地図をさかのぼって見てみると不可解な事実が浮かび上がった。
確認したのは1971年~2001年までの地図。
以下、地図上で問題の牧場がどのような表記をされていたか列記する。
● 1971年→該当地区の地図が存在せず
● 1978年→敷地が四角で囲まれた中に「A牧場 S・S(個人名)」という表記。
● 1979年→敷地自体は線で囲まれているが何も書かれておらず空白。
● 1981年~82年→「牛舎」という表記のみ(牧場の名称表記ナシ)
● 1985年→「A牧場 牛舎」の表記。
● 1988年→同前。
● 1990年→同前。
● 2001年→「A牧場 牛舎」と表記。
中山氏の訪問は81年~82年にかけてのことだというから、地図上の表記から判断すると、この牧場が ”空白” もしくは ”牛舎” と表記された時期、つまり、ある意味で牧場が ”実態のない” 時期であったと考えられる。
そして、この時期、牧場本来の目的を逸脱した ”何か” が行われていた可能性が高いと見るべきだろう。
ゼンリン地図の謎を解明すべく、本誌は実際現地へ赴いた。
件の牧場は、某県中心部から車で約2時間のW町という場所にある。両氏から場所のイメージを聞いていたこともあり、牧場へと続く道は容易に見つけることができた。
しかし、あいにくこの日は上陸中の台風の影響による豪雨で、牧場へと続く道はぬかるみ、とてもではないが車で登るのは不可能だった。
行けたのは、牧場の手前にあるチェーンで閉鎖された門までだった。
仕方なく、山道を引き返すと、山道の出口付近に看板らしきものがあった。
車を降りて近づいてみると、看板は意図的に裏返しにして打ち付けてあった。
おそるおそる看板を表返しにすると、「文〇〇宅 〇〇商事」と書いてある。
しかし、よく見ると……その上にわざと見難くしているかのように「A牧場」と書かれているのが判読できた。
「文〇〇宅」の看板の上から書き込んだ形跡が窺える。
わざわざ分かりにくく書いてあるうえに、裏返しにされているというのはどういうことか……謎は深まるばかりだった。
中山氏の友人は当時、町役場に赴き、牧場の存在について尋ねたが、何も分からなかったことは既に述べた。
そこで本誌は登記簿を調査することにした。
いかなる土地であれ、それが例え国有地でも必ず所有者が登記されているはずだ。W町を管轄する法務局に向かい、登記謄本をあげることにした。
しかし、ここでも不思議なことが起こる。陶器を取得する際に必要なゼンリン地図の地番が、その牧場には ”無い” のである。地図上には「A牧場 牛舎」と書かれているにもかかわらずである。
幸い田舎の法務局で、筆者以外に誰もおらず、担当者が親切丁寧に教えてくれたことによれば「人が住んでいない場合、地番が書かれていない場合もある」という。
結局「地番がわからなければ調べようがない」と言われ、再びW町に踵を返す。付近で聞き込み取材をした結果、牧場のある地域は地元では「S」と呼ばれていることが判明。
1978年のゼンリン地図にあった「S・S」という個人名と併せて、法務局の窓口に手がかりを報告し再度調査してもらったが、それでも一向に見つかる様子がない。
図面を眺めながら延々と謄本眠る書庫を行き来している。
職員4人がかりで探してもらった結果、1時間半後にようやく「あった!」の声。
通常法務局で登記謄本を取得する場合、5分もかからないのが普通ではないか。
しかも、人口の少ない小さな村であればなおさらだ。
筆者には意図的に隠しているとしか思えなかった。
入手した登記謄本からは、この牧場の姿を別の視点からみることができる。
筆者の予想通り、この物件自体、売買が繰り返され、様々な歴史を辿ってきたことがわかる。
まずは記載されてある表面上のデータから見てみよう。
元々この土地は1943年、I 村が所有者で山林として登記されたことが始まりである。
その後1969年に ”S” という個人がその山林を買い、翌1970年には団体「農事組合法人・T」が農林漁業金融公庫から融資を受けて、Sからこの土地を取得する。
その後税金の滞納などによりW町に度々差し押さえられるが、最終的に現在も所有者は「農事組合法人・T」ということになっている。
では、この登記簿から浮かび上がる裏の姿とはどんなものか?登記謄本を読みなれている某氏に見てもらうと、次々に謎が浮かび上がった。
① 今回の取材でも同様の証言を得たのだが、中山氏が再三指摘している点、つまり「村の人間は牧場について、その存在すら知らなかった」ことになっているが、登記簿の抵当権が記載された欄には、複数のW町の住人が名を連ねている。つまり知らないはずはなく、隠さなければならない理由があったとしか思えない。
② 1970年4月に土地の売買が成立したにもかかわらず、登記がなされたのは2年以上経った1972年7月になっているからである。通常、書類不備があった場合、登記が遅れることは多々あるが、専門家に言わせれば2年という空白は「あり得ない」という。
③ 登記謄本には必ず「地図番号」がついている。現在法務局ではすべてデータ化されているので番号がついていないのはおかしい。にもかかわらずこの牧場の登記謄本には番号がない!これはデータベースから削除されているのに等しいのではないか?
④ 牧場は、”山林” と ”畜舎” が登記されているが、問題の階段が存在しない奇妙な建物については登記がなされた形跡が窺えない。つまり、法律上あの建物は ”存在しない” ことになっている。
⑤ 1970年から現在にいたるまで持ち主である団体「農事組合法人・T」について調べてみたところ、70年度の会計検査院「公共事業関係補助事業の実施および経理が不当と認められるもの」という報告書に、その名前を確認することができた(牧場の建設は登記簿上1975年になっているにもかかわらず)。そこには約230万円の工事費のうち、約90万円が不当な工事費だと記されている(現在の貨幣価値に直せば6~8倍くらいだろうか)。
ちなみの工事の概要は「草地造成工事」となっている。
このように数々の疑惑や謎がこの登記簿から見てとれる。
前辻のゼンリン住宅地図における ”表記” の変遷に関して専門家は、「エセ同和からのクレームが多いので、ゼンリンの地図表記は電話1本で簡単に消したり、表記を変えることができる」という。
前述の牧場の地図表記を見て頂きたい。
81年~82年頃、つまりこの時期は何かしらの ”事情” により度々表記を変更したといえるのではないだろうか?
さらに、専門家の指摘によれば、この土地は元々は公的な土地、つまり ”神社” か ”墓地” だった可能性が高いということだ。
今回の取材では、現地の聞き込みにもかかわらず、誰一人として牧場の真相を知る人はいなかた。
ただ「夏になると、たまにトラックが出入りすることがある」や「若者たちが見物にやってくることがある。
牧場目当てというより、みんなUFO見たさに来るんじゃないの?」といった具合だ。
唯一の手がかりである団体「農事組合法人・T」は現在も存在しているようだが、電話しても一切連絡がとれない状況で、結局真相は分からないばかりか、謎はますます深まるという大きな壁にぶち当たってしまった。
しかし、真相を知る者にとっては、妄想にしかすぎないかもしれないが、現実的な視点から考察し、多少強引すぎる感は否めないが次のような仮設を立ててみた。
この牧場は、もともと農林漁業金融公庫から融資名目で詐取したり、各種助成金を得る目的で、裏社会の人間たちが ”見てくれだけの牧場” らしき建物を建設した。
1970年前後には、農業関連の事業というだけで補助金や助成金、融資が受けやすかったとも聞く。
「金だけ取って、牧場を建設する必要などない」という意見もあろうが、一応行政側も実際事業が行われているかをチェックするはずである。
建物がある以上、彼らも言い訳ができる。
そこに村人たちもうまく利用された、もしくは ”何らかの秘密” を共有してしまった。
期せずして彼らの行為に加担してしまったため、村人たちも事情を知りながら口外できなかった。
そしてその後、人目につかないこの土地の特性を活かし、放っておくにはもったいないということで、裏社会の人間たちが、監禁場所や、誰か(例えば犯罪者や逃走犯)を匿っておく場所として使用した。
加えて、この土地がもつ因果、幽霊やUFOの出没、元が墓地か神社だったという過去などが、数々の奇妙な現象を生み出した……
しかし…である。
この仮説は当然のことながら、説明しきれない数々の矛盾点を抱えている。
人形や医学書の謎、部屋中のお札や、生活できない宿舎……さらに人目についてはまずい監禁場所であるとするならば、わざわざ道に「あと10メートル」などという、標識のような物を作るだろうか?
そして、監禁場所であれば、肝心の人間は階段を使わずに、どのようにして2階に運ぶのか?
「たまたま迷ってそこに入った人間が、嫌悪感を催すもののオンパレードを目の当たりにし、言いようのない不安な気持ちにさせられ、即座にそこから逃げ出したくなるような感覚。この牧場にはそんな細工がワザとほどこされていたとしか思えない」(中山氏)
それが人為的なものなのか、土地の因果によるものなのか今回の調査では残念ながら判明しなかった。
数々の公的資料や目撃証言があるにもかかわらず、謎に包まれたまま検証できない ”何か” がこの牧場で確実に行われていたのだ。
結局、様々な角度からの検証の結果、山の牧場に関して我々が辿りついた ”現時点” での結論は次のことであった。
現実的な視点からは、検証不可能な ”不思議” かつ ”不可解” な場所。
[出典:http://blog.livedoor.jp/caferestmal/archives/7450438.html]
(了)