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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

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あれは、もう何年も前のことだ。

ある晩、馴染みの客に引っ張られて、場末のスナックに行った。店の灯りはやけに白々しく、グラスの底に沈む氷の音だけが耳につくような、妙に湿った夜だった。
その店で働く女が、どうやら霊を呼び寄せやすい体質だという。正直、よくある作り話だと思った。酔客を喜ばせるための、月並みな「怪談ネタ」だろうと。

だが、その夜は違った。

カウンターの向こうで笑っていた彼女が、突然ぴたりと動きを止めた。
視線は虚空の一点に釘付けになり、次に口を開いたとき、声の調子も言葉遣いも別人のようになっていた。低く乾いた、男の声。しかも古い訛りが混じっていて、現代人の口から自然に出る響きではない。
「ここは……どこじゃ」
その一言で、店内の空気がきしむように重くなった。

彼女は立ち上がると、ぎこちない足取りで店内を歩き回り始めた。
壁際に並ぶボトルを見ては「これはなんじゃ」と言い、説明すると「ういすきー……?」と首をかしげる。試しに一口飲ませてみると、顔をしかめ、喉を押さえた。
天井のシャンデリアを見上げたときなど、完全に息を呑んでいた。
「……火がない……なのに光る……」
どうやら、電気というものを知らないらしい。

それでも最初は、同僚たちも「また始まった」と笑っていたのだ。ところが、彼女の動きは次第に慌ただしくなり、扉に手をかけて「帰らねば」と言い出した。
外に出すと、通りに並ぶビル群と街灯の眩しさに目を見開き、立ち尽くした。あの顔を、今でも忘れられない。まるで、生まれて初めて世界を見た子どものようで、しかし、その瞳の奥には底なしの恐怖があった。

その間、彼女の本来の意識はどこにあったのか。
本人いわく、突然めまいがして、気がつくと一面が白い霧に包まれていたという。手を伸ばしても何も掴めず、声を出しても霧が呑み込むだけ。
怯えて駆け回っていると、霧の向こうに薄明かりの差す場所が見えた。そこを抜けると、広がっていたのは見たこともない光景――川の流れ、藁葺きの小屋、そして土の道。雑草の匂いが、鼻を刺すほど生々しかったそうだ。

遠くから馬の蹄の音が近づき、振り返ると、一人の武士が馬上から彼女を見下ろしていた……と思ったら、それは錯覚で、武士の視線は彼女をまるで認識していない。
必死に助けを求めても、そのまま通り過ぎていった。
彼女はその時、自分が「見えない存在」になっていることを悟ったのだという。

一方、現代の店では、酒を飲ませて落ち着かせた「男」が、自分の素性を語り出していた。
馬の世話を生業にしていると。川向こうの村で生まれ育ち、今朝までは馬の脚を洗っていたのに、気がつくと見知らぬ部屋に立っていた、と。
最初は誰も信じなかったが、男の訛りや仕草があまりにも自然で、芝居には見えなかった。
結局その夜は、日本酒を少し飲ませて横にならせた。

やがて一時間ほどして、男の目が再び開いた。いや、男ではなかった。そこにあったのは、元の彼女の目だった。
彼女は現代に戻ったことを知るや否や、声を詰まらせ、泣き崩れた。私たちは安堵したが、何が起こったのか、誰も説明できなかった。

後日、私はあらためて彼女と話した。
「たぶん、あれは意識の入れ替わりだろう。霊媒みたいなものかもしれんが、相手は過去の人間だったんだ」
過去から来た馬子の意識が、彼女の体に入り込み、代わりに彼女の意識は霧の中で漂い、肉体を得られないまま別の時代に触れた――そんな構図が頭の中に浮かんだ。
いつの時代の男だったのかはわからない。ただ、電気を知らないのなら、幕末から明治初期あたりだろう。

問題は、その男が元の時代に戻れたかどうかだ。
彼女は「もう二度とあんな所に行きたくない」と震えていたが、私にはひとつだけ、どうしても気になることがあった。
あの夜、彼女が霧の向こうに見たという川と小屋の情景は、私が子どものころに祖父から聞いた村の古い話に、あまりにもよく似ていた。
そして、そこで働く馬子の名前まで、祖父は教えてくれていた。
彼の名は、確か……。

いや、これ以上はやめておこう。
今も、その名を口にすると、背後で誰かが耳を澄ませている気配がするのだ。

[出典:585 :あなたのうしろに名無しさんが……:04/05/31 16:14 ID:ICA9Zse2]

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