トウビョウ――それは中国・四国地方に語り継がれる謎の憑きものだ。
特に香川県では「トンボ神」とも呼ばれ、その姿は一〇~二〇センチメートルほどの小さなヘビ。全身は淡い黒で、首元には金色の輪が輝いているという。だが、その正体は地方ごとに異なり、岡山県では白蛇、鳥取県では小さなキツネとも伝わる。
興味深いのは、トウビョウが単独ではなく「七十五匹」の群れをなしていることだ。彼らは人目を避けるように姿を消すこともでき、時には災厄をもたらすと恐れられる一方で、持ち主に富をもたらす神秘的な存在でもある。
トウビョウを飼う家――秘密の儀式
トウビョウを飼う家は「トウビョウ持ち」と呼ばれる。彼らはトウビョウを土製の瓶に入れ、台所の床上や床下に隠しているという。その姿を隠すのは、外部の人間に知られることを極度に恐れるからだ。瓶の中に閉じ込められたトウビョウには、時折、米や酒、人間と同じような食事が与えられる。これを怠ると、トウビョウが怒りを爆発させ、飼い主自身を襲うという。
しかし、正しく世話をする者には莫大な富が舞い込むといわれている。「トウビョウ持ち」の家が軒並み裕福だという噂は、村々で絶えたことがない。
災いと信仰――道通様の祟り
一方で、トウビョウは使役の対象としても知られる。飼い主の命令を受けたトウビョウは、怨みを抱く相手の体に取り憑き、激しい関節痛を引き起こすと言われる。これは単なる迷信ではなく、過去にはトウビョウの祟りとされる事件が幾度となく記録されている。
岡山県では、トウビョウの祟りを鎮めるために「道通様(どうつうさま)」として祀る風習が根付いている。笠岡市の道通神社には、信者たちが奉納した小さな社が並び、その中にはヘビを模した置物が祀られている。これらは擬宝珠に巻き付いた二匹の白蛇の形をしており、阿吽の口の形が特徴的だ。
卵や酒など、ヘビの好物とされる供物が神前に捧げられる光景は、訪れる人々に不思議な緊張感を与える。沖田神社の末社・導通宮でも、白蛇の姿をした神「導通様」が崇められている。
なぜトウビョウが語り継がれるのか?
トウビョウの伝承は、一見すると奇怪で荒唐無稽なものに思えるかもしれない。しかし、その根底には、人々の「富への渇望」と「祟りへの恐れ」が深く関わっている。憑きものが富を呼ぶという考え方は、古来から日本各地に存在しており、トウビョウもその一例だろう。
現代でも、トウビョウの噂を耳にすると言う人がいる。ある村では、廃屋となった家の床下から土製の瓶が見つかり、中には腐った米と酒が詰まっていたという。これを聞いた村人は「トウビョウがここにいたのだ」と口々にささやいた。果たして、真相はどうなのだろうか?
トウビョウ――その謎は、いまだ闇の中で生き続けている。
谷川健一はトウビョウを「藤憑」即ち蔓植物のように巻き付く蛇で、縄文時代から続く蛇信仰の名残ではないかという説をとる。
(了)