台所の床下から瓶が出たと聞いたのは、伯母の家を取り壊す前日のことだった。
伯母は十年以上前に亡くなっていた。子供はいなかったので、空き家になったまま放置され、雨漏りが始まり、隣家から苦情が来て、ようやく親戚で金を出し合って解体することになった。
その家は、昔から妙に金回りがよかった。
伯父は早くに病気で死んだが、伯母は女手ひとつで土地を増やし、家を建て替え、親戚の中で一番いい暮らしをしていた。働き者ではあったが、商売をしていたわけでもない。誰かが困っていると金を貸し、貸した金が返ってこなくても怒らない。なのに伯母の家だけは、不思議と困ることがなかった。
母はよく言っていた。
「あの家は、あんまり羨ましがらんほうがええ」
理由を聞いても、母はそれ以上話さなかった。
瓶が出たのは、解体前に荷物を運び出していたときだった。台所の床板の一枚が浮いていて、大工が何気なく外した。そこに、土を焼いたような古い瓶があった。
大きさは、両手で抱えるほど。口は布で縛られ、その上から黒ずんだ紐が何重にも巻かれていた。瓶の周りだけ、床下の土が妙に湿っていたという。
その場にいた叔父が、すぐに母へ電話をかけてきた。
「開けてええんか」
母は少し黙ってから、「開けるな」と言った。
それなのに、叔父は開けた。
親戚の中で一番そういう話を信じない人だった。あとから聞くと、「古銭でも入っていたら面倒になる」と言って、確かめるつもりだったらしい。
瓶の中には、腐った米と、どろりとした酒のようなものが入っていた。
それだけなら、古いまじないか何かで済んだかもしれない。問題は、瓶の内側に細い傷がいくつもついていたことだ。
叔父はそれを見て笑った。
「蛇でも飼うとったんか」
その言葉を聞いた母の顔が、はっきり変わった。
母は急いで伯母の家へ向かい、瓶を新聞紙で包ませた。中身は捨てるな、洗うな、覗くな、と何度も言った。
その帰り道で、母はようやく教えてくれた。
「あれは、トウビョウやと思う」
トウビョウという名は、聞いたことがあった。
中国・四国に伝わる憑きもの。小さな蛇とも、白い蛇とも、狐のようなものとも言われる。人の目にはつかず、持ち主の家に富を呼ぶが、粗末に扱えば祟る。単独ではなく、七十五匹の群れでいる。
母は「伯母さんの家は、昔からそう言われとった」と言った。
ただし、伯母本人が何かを語ったことはない。近所の年寄りたちが陰でそう呼んでいただけだという。
トウビョウ持ち。
その言葉は、口に出すだけで嫌われる。羨望と軽蔑が混じっていて、言った側も言われた側も、どこか後ろめたくなる。母は子供のころ、伯母の家へ遊びに行くと、台所だけには入るなと祖母からきつく言われていたらしい。
それでも一度だけ、見たことがあるという。
夜、伯母が台所の床板を外していた。白い湯気の立つ茶碗を持ち、床下へ向かって何かを小さく言っていた。
母は、それを猫に餌をやっているのだと思った。
だが翌朝、猫など飼っていないと知った。
「何を食わせてたん」
私が聞くと、母は首を振った。
「人間と同じもんや。米と酒。あとは、たまに魚」
「蛇に?」
「蛇と決まっとるわけやない」
母はその言い方だけ、妙に強くした。
瓶はうちに持ち帰られた。
本当は神社へ持っていくつもりだったらしい。岡山には道通様を祀るところがあり、そういうものを納めるならそこがいい、と母は考えていた。だが、その日はもう遅く、翌日は雨だった。瓶は一晩だけ、うちの勝手口に置かれることになった。
その夜から、母の膝が痛み始めた。
最初は年のせいだと言っていた。だが夜中になると、両膝を抱えてうずくまり、息を殺して耐えるようになった。
「関節に来るんよ」
母はそう言った。
誰に説明するでもなく、ふいに漏らした言葉だった。
翌朝、勝手口へ行くと、瓶を包んでいた新聞紙が破れていた。布の隙間から、中身が少しこぼれていた。
米粒だった。
乾いて、黄色くなり、ところどころ黒い筋が入っていた。
母はそれを見て、すぐに台所から小皿を持ってきた。炊きたての飯をよそい、酒を少し垂らし、瓶の前に置いた。
「昨日はすまんかった」
母は床に膝をついて、そう言った。
私は止めようとした。
「そんなことしたら、逆に」
母は私を見なかった。
「途中でやめるのが一番あかん」
その日の午後、叔父から電話があった。
瓶を開けた叔父だった。
昨夜から右肩が上がらないという。病院では五十肩だろうと言われたが、痛み方がおかしい。肩の中を細いものが巻いているみたいだ、と叔父は言った。
母は何も答えず、ただ「数えたんか」と聞いた。
叔父は黙った。
「中を数えたんか」
しばらくして、叔父は低い声で言った。
「七十四やった」
何が七十四だったのか、私は聞かなかった。
母も聞かなかった。
その日の夕方、母はもう一度瓶の前に飯と酒を置いた。今度は小皿を二つにした。
私は、そんなことをするからおかしくなるのだと思った。古い瓶に腐った米が入っていた。それを親戚が開けた。母は昔の迷信を思い出して怯えている。叔父の肩も、母の膝も、偶然で片づけられる。
そう考えようとした。
だが、その晩、勝手口のほうから小さな音がした。
爪で陶器を叩くような音だった。
ひとつではない。
軽く、細かく、乾いた音が、瓶の内側からいくつも重なっていた。
母は布団から起き上がり、私を振り返らずに言った。
「見たらあかん」
声が震えていた。
「数えてもあかん」
翌朝、小皿は空になっていた。

飯粒ひとつ残っていなかった。酒も乾いていた。ただ、皿の縁に、細い濡れた跡が何本もついていた。
その日、母は瓶を道通様へ持っていくと言った。
私はついていくつもりだったが、母は断った。
「これは、家の者だけでええ」
「うちは関係ないやろ」
そう言った瞬間、母が私を見た。
その目つきで、私は自分が余計なことを言ったとわかった。
「関係ないと思っとったら、楽やな」
母はそれだけ言って、瓶を抱えた。
母は夕方に帰ってきた。
瓶はなかった。
どこへ納めたのか聞いても、母は答えなかった。ただ、台所に入り、流しの下から小さな白い皿を出した。伯母の家から持ち帰ったものだった。私はそんな皿があったことも知らなかった。
母はそこに飯を七十五粒だけ置いた。
一粒ずつ、箸で数えていた。
「まだやるんか」
私が言うと、母は静かに首を振った。
「これは、やるんやない。足すんや」
意味がわからなかった。
その夜から、うちの玄関に小さな土が落ちるようになった。
最初は靴の裏についた泥だと思った。だが毎朝、同じ場所に同じ量だけある。乾いた土ではなく、床下から掘り返したような湿った土だった。
母はそれを掃かず、小さな紙に包んで庭へ捨てた。
何日かして、叔父の肩は治った。
その代わり、叔父の家の台所で水漏れが始まった。業者が床下を見たが、配管に異常はなかった。ただ、床下の土だけが一部濡れていると言われたそうだ。
叔父はそれから、うちに電話をかけてこなくなった。
母は毎晩、皿に飯を置いた。
七十五粒。
見ていると、どうしても数えたくなる。数えてはいけないと言われるほど、目が勝手に追ってしまう。一、二、三、四。粒の大きさが違うせいで途中でわからなくなり、また最初から数える。
ある晩、私は母が寝たあと、台所へ行った。
皿の上には、飯粒が並んでいた。
私は数えた。
七十四粒だった。
数え間違いだと思い、もう一度数えた。
やはり、七十四粒だった。
そのとき、皿の横に小さな水滴があるのに気づいた。水滴は床へ続いていた。台所の隅、床板の継ぎ目まで、細く途切れながら続いていた。
私はなぜか、そこに耳を近づけた。
床下から、かすかな音がした。
何かが、濡れた体をこすり合わせているような音だった。
そのあと、母は急に老けた。
膝の痛みは治まったが、台所に立つ時間が長くなった。誰もいない床下へ向かって話すことが増えた。問いかけるのではなく、報告するような口調だった。
「今日は少なかったな」
「酒はこれでええな」
「もう、うちは違うやろ」
最後の言葉だけは、何度も聞いた。
うちは違う。
母は誰に言っていたのだろう。
去年、母が亡くなった。
遺品を整理していると、台所の棚の奥から、小さな帳面が出てきた。
そこには日付と数字だけが書かれていた。
七十五。七十五。七十四。七十五。七十三。七十五。
ほとんどの日は七十五だったが、ところどころ数が減っている。減った日の横には、親戚の名前が小さく書かれていた。
叔父の名前もあった。
私の名前もあった。
私の名前の横には、七十四とあった。
その日付は、私が皿の米粒を数えた夜だった。
母の葬儀のあと、台所の床下を開けた。
瓶はなかった。
だが、床下の土が一か所だけ湿っていた。そこを少し掘ると、小さな白い皿が出てきた。
皿の上には、乾いた米粒が並んでいた。
私は数えなかった。
数えなかったつもりだった。
ただ、見た瞬間にわかってしまった。
足りない。
今も、その皿はうちの台所にある。
捨てればいいと思う。神社へ持っていけばいいとも思う。だが、母が毎晩していたことを、私はなぜかやめられない。
飯を七十五粒置く。
酒を少し垂らす。
床下へ向かって、「今日はこれで」と言う。
それだけだ。
何も見えない。
蛇も、狐も、黒いものも、白いものも見たことがない。
ただ、たまに皿の上の米が一粒だけ残る。
その日は決まって、誰かがこの話を聞きたがる。
そして話し終えたあと、私は必ず思う。
今ので、足りたのか。

(了)