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短編 r+ 民俗

トウビョウ持ちの家 rw+4,971-0428

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台所の床下から瓶が出たと聞いたのは、伯母の家を取り壊す前日のことだった。

伯母は十年以上前に亡くなっていた。子供はいなかったので、空き家になったまま放置され、雨漏りが始まり、隣家から苦情が来て、ようやく親戚で金を出し合って解体することになった。

その家は、昔から妙に金回りがよかった。

伯父は早くに病気で死んだが、伯母は女手ひとつで土地を増やし、家を建て替え、親戚の中で一番いい暮らしをしていた。働き者ではあったが、商売をしていたわけでもない。誰かが困っていると金を貸し、貸した金が返ってこなくても怒らない。なのに伯母の家だけは、不思議と困ることがなかった。

母はよく言っていた。

「あの家は、あんまり羨ましがらんほうがええ」

理由を聞いても、母はそれ以上話さなかった。

瓶が出たのは、解体前に荷物を運び出していたときだった。台所の床板の一枚が浮いていて、大工が何気なく外した。そこに、土を焼いたような古い瓶があった。

大きさは、両手で抱えるほど。口は布で縛られ、その上から黒ずんだ紐が何重にも巻かれていた。瓶の周りだけ、床下の土が妙に湿っていたという。

その場にいた叔父が、すぐに母へ電話をかけてきた。

「開けてええんか」

母は少し黙ってから、「開けるな」と言った。

それなのに、叔父は開けた。

親戚の中で一番そういう話を信じない人だった。あとから聞くと、「古銭でも入っていたら面倒になる」と言って、確かめるつもりだったらしい。

瓶の中には、腐った米と、どろりとした酒のようなものが入っていた。

それだけなら、古いまじないか何かで済んだかもしれない。問題は、瓶の内側に細い傷がいくつもついていたことだ。

叔父はそれを見て笑った。

「蛇でも飼うとったんか」

その言葉を聞いた母の顔が、はっきり変わった。

母は急いで伯母の家へ向かい、瓶を新聞紙で包ませた。中身は捨てるな、洗うな、覗くな、と何度も言った。

その帰り道で、母はようやく教えてくれた。

「あれは、トウビョウやと思う」

トウビョウという名は、聞いたことがあった。

中国・四国に伝わる憑きもの。小さな蛇とも、白い蛇とも、狐のようなものとも言われる。人の目にはつかず、持ち主の家に富を呼ぶが、粗末に扱えば祟る。単独ではなく、七十五匹の群れでいる。

母は「伯母さんの家は、昔からそう言われとった」と言った。

ただし、伯母本人が何かを語ったことはない。近所の年寄りたちが陰でそう呼んでいただけだという。

トウビョウ持ち。

その言葉は、口に出すだけで嫌われる。羨望と軽蔑が混じっていて、言った側も言われた側も、どこか後ろめたくなる。母は子供のころ、伯母の家へ遊びに行くと、台所だけには入るなと祖母からきつく言われていたらしい。

それでも一度だけ、見たことがあるという。

夜、伯母が台所の床板を外していた。白い湯気の立つ茶碗を持ち、床下へ向かって何かを小さく言っていた。

母は、それを猫に餌をやっているのだと思った。

だが翌朝、猫など飼っていないと知った。

「何を食わせてたん」

私が聞くと、母は首を振った。

「人間と同じもんや。米と酒。あとは、たまに魚」

「蛇に?」

「蛇と決まっとるわけやない」

母はその言い方だけ、妙に強くした。

瓶はうちに持ち帰られた。

本当は神社へ持っていくつもりだったらしい。岡山には道通様を祀るところがあり、そういうものを納めるならそこがいい、と母は考えていた。だが、その日はもう遅く、翌日は雨だった。瓶は一晩だけ、うちの勝手口に置かれることになった。

その夜から、母の膝が痛み始めた。

最初は年のせいだと言っていた。だが夜中になると、両膝を抱えてうずくまり、息を殺して耐えるようになった。

「関節に来るんよ」

母はそう言った。

誰に説明するでもなく、ふいに漏らした言葉だった。

翌朝、勝手口へ行くと、瓶を包んでいた新聞紙が破れていた。布の隙間から、中身が少しこぼれていた。

米粒だった。

乾いて、黄色くなり、ところどころ黒い筋が入っていた。

母はそれを見て、すぐに台所から小皿を持ってきた。炊きたての飯をよそい、酒を少し垂らし、瓶の前に置いた。

「昨日はすまんかった」

母は床に膝をついて、そう言った。

私は止めようとした。

「そんなことしたら、逆に」

母は私を見なかった。

「途中でやめるのが一番あかん」

その日の午後、叔父から電話があった。

瓶を開けた叔父だった。

昨夜から右肩が上がらないという。病院では五十肩だろうと言われたが、痛み方がおかしい。肩の中を細いものが巻いているみたいだ、と叔父は言った。

母は何も答えず、ただ「数えたんか」と聞いた。

叔父は黙った。

「中を数えたんか」

しばらくして、叔父は低い声で言った。

「七十四やった」

何が七十四だったのか、私は聞かなかった。

母も聞かなかった。

その日の夕方、母はもう一度瓶の前に飯と酒を置いた。今度は小皿を二つにした。

私は、そんなことをするからおかしくなるのだと思った。古い瓶に腐った米が入っていた。それを親戚が開けた。母は昔の迷信を思い出して怯えている。叔父の肩も、母の膝も、偶然で片づけられる。

そう考えようとした。

だが、その晩、勝手口のほうから小さな音がした。

爪で陶器を叩くような音だった。

ひとつではない。

軽く、細かく、乾いた音が、瓶の内側からいくつも重なっていた。

母は布団から起き上がり、私を振り返らずに言った。

「見たらあかん」

声が震えていた。

「数えてもあかん」

翌朝、小皿は空になっていた。

飯粒ひとつ残っていなかった。酒も乾いていた。ただ、皿の縁に、細い濡れた跡が何本もついていた。

その日、母は瓶を道通様へ持っていくと言った。

私はついていくつもりだったが、母は断った。

「これは、家の者だけでええ」

「うちは関係ないやろ」

そう言った瞬間、母が私を見た。

その目つきで、私は自分が余計なことを言ったとわかった。

「関係ないと思っとったら、楽やな」

母はそれだけ言って、瓶を抱えた。

母は夕方に帰ってきた。

瓶はなかった。

どこへ納めたのか聞いても、母は答えなかった。ただ、台所に入り、流しの下から小さな白い皿を出した。伯母の家から持ち帰ったものだった。私はそんな皿があったことも知らなかった。

母はそこに飯を七十五粒だけ置いた。

一粒ずつ、箸で数えていた。

「まだやるんか」

私が言うと、母は静かに首を振った。

「これは、やるんやない。足すんや」

意味がわからなかった。

その夜から、うちの玄関に小さな土が落ちるようになった。

最初は靴の裏についた泥だと思った。だが毎朝、同じ場所に同じ量だけある。乾いた土ではなく、床下から掘り返したような湿った土だった。

母はそれを掃かず、小さな紙に包んで庭へ捨てた。

何日かして、叔父の肩は治った。

その代わり、叔父の家の台所で水漏れが始まった。業者が床下を見たが、配管に異常はなかった。ただ、床下の土だけが一部濡れていると言われたそうだ。

叔父はそれから、うちに電話をかけてこなくなった。

母は毎晩、皿に飯を置いた。

七十五粒。

見ていると、どうしても数えたくなる。数えてはいけないと言われるほど、目が勝手に追ってしまう。一、二、三、四。粒の大きさが違うせいで途中でわからなくなり、また最初から数える。

ある晩、私は母が寝たあと、台所へ行った。

皿の上には、飯粒が並んでいた。

私は数えた。

七十四粒だった。

数え間違いだと思い、もう一度数えた。

やはり、七十四粒だった。

そのとき、皿の横に小さな水滴があるのに気づいた。水滴は床へ続いていた。台所の隅、床板の継ぎ目まで、細く途切れながら続いていた。

私はなぜか、そこに耳を近づけた。

床下から、かすかな音がした。

何かが、濡れた体をこすり合わせているような音だった。

そのあと、母は急に老けた。

膝の痛みは治まったが、台所に立つ時間が長くなった。誰もいない床下へ向かって話すことが増えた。問いかけるのではなく、報告するような口調だった。

「今日は少なかったな」

「酒はこれでええな」

「もう、うちは違うやろ」

最後の言葉だけは、何度も聞いた。

うちは違う。

母は誰に言っていたのだろう。

去年、母が亡くなった。

遺品を整理していると、台所の棚の奥から、小さな帳面が出てきた。

そこには日付と数字だけが書かれていた。

七十五。七十五。七十四。七十五。七十三。七十五。

ほとんどの日は七十五だったが、ところどころ数が減っている。減った日の横には、親戚の名前が小さく書かれていた。

叔父の名前もあった。

私の名前もあった。

私の名前の横には、七十四とあった。

その日付は、私が皿の米粒を数えた夜だった。

母の葬儀のあと、台所の床下を開けた。

瓶はなかった。

だが、床下の土が一か所だけ湿っていた。そこを少し掘ると、小さな白い皿が出てきた。

皿の上には、乾いた米粒が並んでいた。

私は数えなかった。

数えなかったつもりだった。

ただ、見た瞬間にわかってしまった。

足りない。

今も、その皿はうちの台所にある。

捨てればいいと思う。神社へ持っていけばいいとも思う。だが、母が毎晩していたことを、私はなぜかやめられない。

飯を七十五粒置く。

酒を少し垂らす。

床下へ向かって、「今日はこれで」と言う。

それだけだ。

何も見えない。

蛇も、狐も、黒いものも、白いものも見たことがない。

ただ、たまに皿の上の米が一粒だけ残る。

その日は決まって、誰かがこの話を聞きたがる。

そして話し終えたあと、私は必ず思う。

今ので、足りたのか。

(了)

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