信心深い老婆がいた。彼女は広い家に住み、暮らしに十分なお金はあったが、家族はなく孤独な生活をしていた。隣家の親切な婦人がたまにお茶に誘ってくれるものの、幸せそうな家族を見るのは辛かった。老婆が真に望んだのは、貧しくとも親しい友人や家族に囲まれた生活だった。
ある晩、老婆はふと過去の記憶に思いを馳せた。若い頃、彼女の夫は「大きな仕事がある」と言い、出稼ぎに行ったきり帰らぬ人となった。事故で命を落としたのだ。夫の死を嘆き悲しみながらも、彼女は残された二人の子供たちを立派に育てることが神の御心だと信じ、試練を乗り越えた。
しかし、次第に周囲の友人たちも次々に病気や事故で亡くなっていった。それでも老婆は、人に甘えてはいけないと自らを励まし、孤独に耐えた。上の息子は工場で働くようになったが、ある日突然、工場からの見舞金と共に息子の骸が家に戻ってきた。下の息子はささいな風邪を引き、医者の手違いで命を落とした。医者は口止めの代わりに一生分の生活保障を約束したが、老婆の心の傷は癒えなかった。
その日以来、老婆は抜け殻のように生き続けたが、ある日ついに悪魔に魂を売り、家族を取り戻そうと決心した。悪魔を呼び出すと、悪魔は冷たい声で言った。「お前が今この状況にあるのは、神を信仰してきたせいだ。だから、お前が神を信仰していなかったパラレルワールドへ送ってやろう。」
老婆が目を覚ますと、夫の死の知らせを受けたあの日に戻っていた。息子たちはまだ生きており、夫も無事に帰ってきた。「神を信じてなどいなければ、わたしはこれほど幸せだったのだ!」と老婆は喜んだ。しかし、喜びも束の間、夫が「借金のかたに家を取られた」と告白する。仕事と言うのはギャンブルの事だったのだ。本当なら家を賭ける前に夫は死んでいたはずだった。
信じていた親切な友人たちは有り金を全て騙し取り、夫に似て酒好きでギャンブル好きだった上の息子は暴力事件を起こし、賠償金や保釈金を請求された。事件を起こした日は、本当なら息子の死んでいた日だった。下の息子が風邪を引くと、医者の代わりに下宿屋のあばずれ娘が看病に来て、二人はそのまま家の金を持ち出し家出してしまった。以降も何人もの女性と付き合いながら、お金だけはねだりに来た。彼の優しさはだらしなさの裏返しだった。
老婆は、夫に足を引っ張られながら息子たちの不始末の尻拭いをし、年老いていった。「みんな勝手なことをして厄介な時ばかりやってくる。始めからいないほうがどんなにましだったか。悪魔なんかに願いをかけたばっかりに…。」老婆は思う。これは、あの世界で私の人生が神の御心に守られていたことを信じなかった罰なのかもしれない、と。人はいつも自分の人生に『もしも』を願うが、思いどおりにならなかったことを人のせいにする。老婆はそう悟ったのだった。