これは、かつて私が同僚から聞いた話だ。彼は幼いころ、鏡にまつわる不思議な体験をしていたという。
その家には、トイレへと続く薄暗い廊下があった。昼間でも薄光しか届かないその廊下の途中、大人が両手を広げたほどの幅の大きな姿見が掛けられていた。今となっては廃棄された鏡だが、彼にとってその鏡は幼少期の一部だった。
幼いころの彼にとって、その鏡は自分の背丈では到底届かない場所にあり、ふと見上げても自分の姿すら映らなかった。だがある日、なぜかその鏡に自分の姿がはっきりと映り込んでいるのを見たという。
最初は喜びのほうが勝っていたそうだ。「こんな大きな鏡に自分だけが映る!」と、不思議な優越感さえ感じたほどだった。興奮した彼は手を伸ばし、鏡に触れた――その瞬間、指先が鏡の表面をすり抜け、触れたと思った手が鏡の内側へと吸い込まれていった。次の瞬間には、彼は鏡の中の世界に立っていたという。
鏡の中の世界は外界の「反転」だった。見慣れた家の風景がすべて左右逆に配列され、テレビのボタンも、階段の向きもすべてが反転していた。だがその奇妙さが彼にとっては楽しく、まるで秘密の冒険のように思えたという。怖さは不思議と感じなかったらしい。
幼い彼はそれから数年間、誰にも見つからないよう鏡の中で遊ぶことを日常にしていた。そして小学校三年生の夏、友達を家に連れてきたとき、うっかりその「秘密」を打ち明けてしまった。「鏡の中で遊ぼうよ」と。
友人の反応は驚きと疑念だった。「鏡の中なんて入れるわけがない」と言い張る友人に、彼は証明するようにして鏡に手を触れ、その中へと頭から潜り込んでみせたのだ。そして中に入った瞬間、隣に友人が立っているのを見た。
「ああ、なんだ。普通に入れるじゃん」と声を掛けたが、その友人の顔はどこかおかしかったという。言葉を発しているのに、音が遠く曇ったように聞こえる。そして、その声は鏡の外側からも同時に聞こえていた。外側にいる友人が鏡の中の彼を見つめながら、「どっちが本物なの?」と怯えた声を上げたという。
その時、初めて彼は気づいたのだ。鏡の中と外に「自分」が同時に存在していることに。
小学校四年生になるころ、家がリフォームされることになり、あの廊下も鏡もすべて撤去された。鏡の中に入ることができなくなり、幼い彼はしばらくその喪失感に浸っていたが、ある日ふと思いつき、別の姿見で試してみた。結果、鏡の中には入れなかったものの、中を覗くことはできたという。そしてその中で見たのは――かつて鏡の中で出会ったあの「兄さん」だった。
兄さんは着物姿で、鏡の中の部屋を歩いていた。彼が気づくと、明らかに驚きの表情を浮かべたまま、何も言わずこちらを凝視した。そして次の瞬間、視界が強制的に鏡の外へ押し戻されたという。
それ以降、彼がどれだけ試しても、鏡の中に入ることはできなくなっていた。
「まるで誰かが、あの世界への扉を閉じたみたいだった」と彼は笑っていた。しかし、笑顔の裏にある何かの影が、話を聞いた私の胸に奇妙な余韻を残した。
彼の話はそこまでだったが、いまだに彼は鏡を見るたびに、あの世界への入口がどこかで待っているのではないかと考えるのだという。
(了)
[出典:2014/08/20(水) 13:56:20.37 ID:ajn9+Oh30.net]