勅使河原という友人がいる。工業系の営業もどきの仕事をしている男だ。
ある日、飲みの席で、妙な相談を持ち掛けてきた。
「会社の事務所で、子供がうるさいんだよな……」
「会社で子供?社員の子供か?」
「いや、たぶんそうじゃないかなって感じなんだけど、確信はない」
どうやら、小学校の下校時間くらいに、その子供が事務所に現れるらしい。彼の机の近くに居座るものの、すぐに別の部署へ移動してしまうため、他の人に確かめる暇もないらしい。
「営業一課とか、ハードな仕事してる人たちのところにも行くんだよな。あそこ神経すり減らしてる連中だから、怒鳴られるかと思ってたんだけど、誰も気付いてないっぽい」
俺は首をかしげた。騒がしいなら誰か気付きそうなものだが、勅使河原以外で子供の存在に気付いているのは、彼ともう一人だけだという。
「なんでだろうな。そいつ、ただのお騒がせキッズじゃないのか?」
「いや、それが……最近、そいつが俺が気付いてることに気付いたっぽいんだよな」
「それ、嫌な方向に進んでるんじゃないのか?」
どうやら、子供は勅使河原に遊ぼうと話しかけようとしている様子だという。別の社員からの証言によると、机に伏せたり、声をかけるタイミングを伺っているらしい。
「お前、どうして今まで無視できてたんだ?」
「何となく嫌な予感がしてな。そいつが近づいてきそうな気配がしたら、席を立って別の場所に逃げてたんだ」
どうもその子供、特定の場所だけでしか動けないらしい。勅使河原の事務所、受付、そして営業一課だけが行動範囲だという。
「まあ、何かしら事情があるんだろうな。けど、お前の机を動かすわけにもいかないし、話しかけられるのは時間の問題だろう」
「だから相談してるんだろ!」
俺は困惑しながらも提案した。「いっそのこと話しかけられた後の対策を考えるべきじゃないか。下手に関わると面倒なことになりそうだし」
この話をしている間、勅使河原は左目をしきりにこすっていた。彼が言うには、左目の視界にゴミのようなものがちらついている感覚があるらしい。
ふとした直感で俺は尋ねた。「その子供、いつもお前の左後ろから覗き込んでるんじゃないか?」
その瞬間、勅使河原の手が止まった。「確かに、左の視界だ……」
それから数ヶ月後、勅使河原から一通のメールが届いた。彼が出張先の工場でガス漏れ事故に巻き込まれ、左目を負傷したという内容だった。幸いにも命に別状はなく、失明も免れたらしい。
次に会ったとき、彼はこんな話をした。
「ガスが漏れた時、一瞬子供の笑い声が聞こえたんだよ。振り返りそうになったけど、おっちゃん(俺)との話を思い出して、堪えたんだ。その時だ。左後ろからガスが“ぶわっ”と来た」
彼が振り返っていたら、直撃していたかもしれない。そう考えると、不謹慎かもしれないが、命を失わずに済んだことに心底ホッとした。
現在も、あの子供は事務所に現れるらしいが、勅使河原には近づかなくなったという。しかし彼は、また別の奇妙な体験をするたびに俺に相談してくる。
霊感ゼロの俺に話を持ちかけるのはやめてくれ、と何度も言うのだが、彼は一向にやめる気配がない。そのたびに、俺の気持ちは複雑だ。前例があるだけに、怖くて仕方がないのだから。