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髪被喪(かんひも)【ゆっくり朗読】6898-0110

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僕の母の実家は長野の山奥、信州新町ってとこから奥に入ってったとこなんですけど。

僕がまだ小学校三、四年生の頃。

その夏休みに、母の実家へ遊びに行ったんですよ。

そこは山と田んぼと畑しかなく、民家も数軒。

交通も、村営のバスが朝と夕方の二回しか通らないようなとこです。

そんな何もないとこ例年だったら行かないんですが、その年に限って仲のいい友達が家族旅行でいなくて両親について行きました。

行ってはみたものの……案の定、何もありません。

デパートやお店に連れて行ってとねだっても、一番近いスーパーでも車で一時間近くかかるため、父は「せっかくのんびりしに来たんだから」と連れて行ってくれません。

唯一救いだったのは隣の家に僕と同じ年くらいの男の子が遊びに来ていたことでした。

あの年頃は不思議とすぐに仲良くなれるもので、僕と昌平(仮名)は一緒に遊ぶようになりました。

遊ぶといっても、そんな田舎でやることは冒険ごっこ、近所の探検くらいしかありません。

一週間の予定で行って、確か三日目の夕方くらいだったと思います。

午後三時を過ぎて、日が落ち始めるころ。

夏とはいえ、西に山を背負っていることもあるのでしょうか。

田舎の日暮れっていうのは早いもんです。

僕と昌平は今まで入ったことのない山に入っていってみました。

はじめは人の通るような道を登っていたのですが、気がつくと獣道のような細い道に入っていました。

「あれ、なんだろ?」

昌平が指差す方を見ると、石碑が建っていました。

里で見る道祖神ののような感じで、50センチくらいだったでしょうか。

だいぶ風雨にさらされた感じで苔むしていました。

僕と昌平は良く見ようと手や落ちていた枝で苔や泥を取り除いてみました。

やはり道祖神のような感じでしたが、何か感じが違いました。

普通の道祖神って、男女二人が仲良く寄り添って彫ってあるものですよね?

でもその石碑は、四人の人物が立ったまま絡み合い、顔は苦悶の表情……そんな感じでした。

ぼくと昌平は薄気味悪くなり、「行こう!」と立ち上がりました。

あたりも大分薄暗く、僕は早く帰りたくなっていました。

「なんかある!」

僕が昌平の手を引いて歩き出そうとすると、昌平が石碑の足下に何かあるのを見つけました。

古びた、四センチ四方くらいの木の箱です。

半分地中に埋まって、斜め半分が出ていました。

「なんだろう?」

僕は嫌な感じがしたのですが、昌平はかまわずに木の箱を掘り出してしまいました。

取り出した木の箱はこれまた古く、あちこち腐ってボロボロになっていました。

表面には何か、布のようなものを巻いた後があり、墨か何かで文字が書いてありました。

当然、読めはしませんでしたが、何かお経のような難しい漢字がいっぱい書いてありました。

「なんか入ってる!」

昌平は箱の壊れた部分から、何かが覗いているのを見つけると、引っ張り出してみました。

なんて言うんですかね……ビロードっていうんでしょうか?黒くて艶々とした縄紐みたいなので結われた、腕輪のようなものでした。

直径10センチくらいだったかな?輪になっていて、5ヶ所、石のようなもので止められていました。

石のようなものはまん丸で、そこにもわけのわからん漢字が彫り付けてありました。

それはとても土の中に埋まっていたとは思えないほど艶々と光っていて、気味悪いながらもとても綺麗に見えました。

「これ、俺が先に見つけたから俺の!」

昌平はそう言うと、その腕輪をなんと腕にはめようとしました。

「やめなよ!」

僕はとてもいやな感じがして、半泣きになりながら止めたのですが、昌平はやめようとはしませんでした。

「ケーーー!!!」

昌平が腕輪をはめた瞬間に、奇妙な鳥?サル?妙な鳴き声がし、山の中にこだましました。

気が付くとあたりは真っ暗で、僕と昌平は気味悪くなり、慌てて飛んで帰りました。

家の近くまで来ると、僕と昌平は手を振ってそれぞれの家に入っていきました。

もうその時には、気味の悪い腕輪のことなど忘れていてのですが……

電話が鳴ったのは夜も遅くでした。

10時を過ぎても、まだだらだらと起きていて、母に「早く寝なさい!」としかられていると。

「ジリリリーーン!」

けたたましく、昔ながらの黒電話が鳴り響きました。

「誰や、こんな夜更けに……」

爺ちゃんがぶつぶつ言いながら電話に出ました。

電話の相手はどおやら昌平の父ちゃんのようでした。

はたから見てても、晩酌で赤く染まった爺ちゃんの顔がサアっと青ざめていくのがわかりました。

電話を切ったあと、爺ちゃんがえらい勢いで寝転がっている僕のところに飛んできました。

僕を無理やりひき起こすと、

「清治!!おま、今日、どこぞいきおった!! 裏、行きおったんか!? 山、登りよったんか?!」

爺ちゃんの剣幕にびっくりしながらも、僕は今日あったことを話しました。

騒ぎを聞きつけて台所や風呂から飛んできた、母とばあちゃんも話しを聞くと真っ青になっていました。

婆「あああ、まさか」

爺「……かもしれん」

母「迷信じゃなかったの?」

僕は何がなんだかわからず、ただ呆然としていました。

父も、よくわけのわからない様子でしたが、爺、婆ちゃん、母の様子に聞くに聞けないようでした。

とりあえず、僕と爺ちゃん、婆ちゃんで、隣の昌平の家に行くことになりました。

爺ちゃんは、出かける前にどこかに電話していました。

何かあってはと、父も行こうとしましたが、母と一緒に留守番となりました。

昌平の家に入ると、今まで嗅いだことのない嫌な臭いがしました。

埃っぽいような、すっぱいような。

今思うと、あれが死臭というやつなんでしょうか?

「おい!昌平!!しっかりしろ!」

奥の今からは、昌平の父の怒鳴り声が聞こえていました。

爺ちゃんは、断りもせずにずかずかと昌平の家に入っていきました。

婆ちゃんと僕も続きました。

居間に入ると、さらにあの臭いが強くなりました。

そこに昌平が横たわっていました。

そしてその脇で、昌平の父ちゃん、母ちゃん、婆ちゃんが必死に何かをしていました。(昌平の家は爺ちゃんがすでに亡くなって、婆ちゃんだけです)

昌平は意識があるのかないのか、目は開けていましたが焦点が定まらず、口は半開きで泡で白っぽいよだれをだらだらと垂らしていました。

よくよく見ると、みんなは昌平の右腕から何かを外そうとしているようでした。

それはまぎれもなく、あの腕輪でした。

が、さっき見たときとは様子が違っていました。

綺麗な紐はほどけて、よく見ると、ほどけた一本一本が昌平の腕に刺さっているようでした。

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昌平の手は腕輪から先が黒くなっていました。

その黒いのは、見ていると動いているようで、まるで腕輪から刺さった糸が、昌平の手の中で動いているようでした。

「かんひもじゃ!」

爺ちゃんは大きな声で叫ぶと、何を思ったか昌平の家の台所に走っていきました。

僕は昌平の手から目が離せません。

まるで皮膚の下で無数の虫が這いまわっているようでした。

すぐに爺ちゃんが戻ってきました。

なんと、手には柳葉包丁を持っていました。

「何するんですか!?」

止めようとする昌平の父ちゃん母ちゃんを振り払って、爺ちゃんは昌平の婆ちゃんに叫びました。

「腕はもうダメじゃ!まだ頭まではいっちょらん!!」

昌平の婆ちゃんは泣きながら頷きました。

爺ちゃんは少し躊躇した後、包丁を昌平の腕につきたてました!

悲鳴を上げたのは昌平の両親だけで、昌平はなんの反応も示しませんでした。

あの光景を僕は忘れられません。

昌平の腕からは、血が一滴も出ませんでした。

代わりに、無数の髪の毛がぞわぞわと、傷口から外にこぼれ出てきました。

もう、手の中の黒いのも動いていませんでした。

しばらくすると近くの寺から坊様が駆けつけて来ました。

爺ちゃんが電話したのはこの寺のようでした。

坊様は昌平を寝室に移すと、一晩中読経をあげていました。

僕も昌平の前に読経を上げてもらい、その日は家に帰って眠れない夜を過ごしました。

次の日、昌平は顔も見せずに、朝早くから両親と一緒に帰って行きました。

地元の大きな病院に行くとのことでした。

爺ちゃんが言うには、腕はもうだめだということでした。

「頭まで行かずに良かった」と何度も言っていました。

僕は「かんひも」について爺ちゃんに聞いてみましたが、教えてはくれませんでした。

ただ「髪被喪」と書いて「かんひも」と読むこと、あの道祖神は「阿苦」という名前だということだけは婆ちゃんから教えてもらいました。

古くから伝わるまじないのようなものなんでしょうか?

それ以来、爺ちゃんたちに会っても、聞くに聞けずにいます。

誰か、似たような物をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけるとありがたいです。

あれが頭までいっていたらどうなるのか…?

以上が、僕が「かんひも」について知っているすべてです。

追申

僕も、書き込んでから、改めて気になり、この土日で、母の実家まで行って、自分なりに調べてみました。

残念ながら、爺ちゃんはすでに亡くなっているので、文献と、婆ちゃんの話からの推測の域をでませんが……

この年になって、久しぶりに辞書を片手に、頑張ってしまいました。

結論から言うと、どうやら「かんひも」はまじない系のようです。

それも、あまり良くない系統の。

昔、まだ村が集落だけで生活していて、他との関わりがあまりない頃です。

僕はあまり歴史とかに明るくないので何時代とかはわかりませんでした。

その頃は集落内での婚姻が主だったようで、やはり「血が濃くなる」ということがあったようです。

良く聞くように「血が濃くなる」と、障害を持った子供が生まれて来ることが多くありました。

今のように科学や医学が発達していない時代。

そのような子たちは「凶子(まがご)」と呼ばれて忌まれていたようです。

そして凶子を産んだ女性も「凶女(まがつめ)」と呼ばれていました。

しかし、やはり昔のことで凶子が生まれても、生まれてすぐには分からずに、ある程度成長してから凶子と分かる例が多かったようです。

そういう子たちは、その奇行から、やはりキツネ憑きなど禍々しいものと考えられていました。

そしてその親子共々、集落内に災いを呼ぶとして殺されたそうです。

しかもその殺され方が凶女にわが子をその手で殺させ、さらにその凶女もとてもひどい方法で殺すという、いやな内容でした。

あまり詳しいことは分かりませんでしたが、伝わっていないということは余程ひどい内容だったのではないでしょうか?

しかし凶女は殺された後も集落に災いを及ぼすと考えられました。

そこで例の「かんひも」の登場です。

「かんひも」は前にも書いたように「髪被喪」と書きます。

つまり「髪」のまじないで「喪(良くないこと・災い)」を「被」せるという事です。

どうやら凶女の髪の束を使い、凶子の骨で作った珠で留め、特殊なまじないにしたようです。

そしてそれを、隣村(といっても当時はかなり離れていて交流はあまり無かったようですが)の地に埋めて、災いを他村に被せようとしたのです。

腕輪の形状をしていたものの、もともとはそういった呪詛的な意味の方が大きかったようです。

また今回の物は腕輪でしたが、首輪などいろいろな形状があるようです。

しかし、呪いには必ず呪い返しが付き物です。

仕掛けられた「かんひも」に気がつくと掘り返して、こちらの村に仕掛け返したそうです。

それを防ぐために生まれたのが道祖神「阿苦」です。

村人は埋められた「かんひも」に気づくと、その上に「阿苦」を置いて封じました。

「阿苦」は本来「架苦」と呼ばれており、石碑に刻まれた人物に「苦」を「架」すことにより、村に再び災いが舞い戻ってくるのを防ごうと考えたのではないでしょうか。

そして、その隣村への道が、ちょうど裏山から続いていたそうです。

時の流れの中で、「かんひも」は穢れを失って、風化していったようですが、例の「かんひも」はまだ効力の残っていたものなのでしょうか?

僕の調べた範囲で分かったのはこのくらいです。

最後に。

婆ちゃんに、気になっていたものの聞けなかった昌平のその後を聞きました。

昌平は、あれから地元の大きな病院に連れて行かれました。

坊様の力か、そのころにはすでに髪は一本も残ってなく、刃物の切り口と中身がスカスカの腕の皮だけになっていたそうです。

なんとか一命は取り留めたものの、昌平は一生寝たきりとなってしまっていました。

医者の話では、脳に細かい「髪の細さほどの無数の穴」が開いていたと……

みなさんも、「かんひも」を見つけても、決して腕にはめたりなさいませんよう。

(了)

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