広島新交通システム橋桁落下事故
当時建設中であった広島高速交通広島新交通1号線(愛称アストラムライン)の工事現場で、橋桁が落下し、一般人と作業員23人が死傷した。
1991年(平成3年)3月14日午後2時5分ごろ、広島県広島市安佐南区上安2丁目(現・広島高速交通広島新交通1号線上安駅付近)で、前日仮設置していた長さ63m、幅1.7m、厚さ2m,重さ60tの鋼鉄製の橋桁を据え付ける作業中、橋桁が10m下の広島県道38号安佐安古市線(現・広島県道38号広島豊平線)に落下する事故が発生した。
この事故で、橋桁は並行する県道下り線を赤信号で停車していた乗用車など11台を直撃し、橋桁の上で作業していて、下に投げ出された作業員5人と乗用車に乗車していた9人の計14人が死亡、9人が重軽傷を負った(重傷1名は後に事故による死亡と認定)。
橋桁の落下の直撃を受けた乗用車の中には、橋桁の重量により高さ50cmほどにまで圧縮されたものもあり、また火災が発生し炎に包まれたものもあった。
事故のおよそ2時間後に橋桁がクレーンで取り除かれ、下敷きとなった乗用車に閉じ込められていた被害者らは救出されたが、9人の死者は全員がほぼ即死の状態であった。
この事故があった現場は昔は墓地であり、そこには15ほどの墓があったが、その墓を移転させて道路を通していた。
動かした墓の数も15で、死者の数も15というのは何か関係があるのではないかと、地元の人たちの間で噂となった。
また、後になってこの事故にまつわる不思議な出来事がテレビでも放送された。
あの日、事故現場の近くを遠足帰りの幼稚園児を乗せたバスが走っていた。
バスは事故のあった道路を通過する予定で、このまま走っていれば事故に巻き込まれてもおかしくないタイミングで走っていた。
ところが園児の一人が「おしっこしたい。」と言い出した。
「もうちょっとだから我慢しようね」と先生もなだめたのだが、どうしてもしたいという。
仕方なくバスは近くのパチンコ屋に寄って、そこでトイレを借りて用を済ませた。
そして出発して間もなく、あの事故が起こった。
あの園児のおかげか、現場を通過する時間が本来の計画とズレたために事故に巻き込まれずに済んだのだ。
この話を聞き、テレビ局がその園児にインタビューをしようと訪れた。
放送当時はその元園児たちは小学生になっていたものの、みんなその出来事は覚えているが、「おしっこしたい」と言い出したのは誰だったのか、それが思い出せない。
「あれ、誰だったっけ?」
何人もの元園児や先生に聞いてもあやふやな返事ばかりだったが、最終的に二人の名前が上がった。
しかしよく調べてみると、そのうちの一人は当日風邪を引いて遠足を休んでいた。
実際、遠足の時に撮った記念写真にその子は写っていない。
そしてもう一人は遠足の前に転校しており、この子も遠足には参加していなかった。
みんなが思い出した二人の園児は、両方ともその日にいなかった子だったのだ。
(了)