一人暮らしというのは、自由と引き換えに孤独と責任を手に入れることだと、どこかで聞いた。
だが、自分がかつて経験した「一人暮らし」は、そのどちらとも違った。そこには、知らない誰かがいた。
あれは数年前、ワンルームのアパートで一人暮らしをしていたときのこと。ある日を境に、帰宅するたび部屋の中に微妙な違和感を覚えるようになった。ゴミ箱の位置が少しずれている。カーテンの開き具合が微妙に変わっている。人によっては「気のせい」で済ませただろうが、自分は記憶力にちょっとした自信があった。確かに、何かが違っていた。
しかし、その“何か”を言語化できず、気のせいだと自分に言い聞かせて過ごしていた。問題が起こるまでは。
その夜もいつものように、風呂上がりにリビングのベッドに腰掛け、机の上に立てかけていた大きな鏡を見ながら化粧水をつけていた。ふとした拍子に、肘が鏡を押してしまい、鏡が床に落ちた。ケースごとだったので、中に入れていたアクセサリーが派手に散らばった。つい「最悪」と声を上げながら拾い集める。
そして、床に倒れた鏡に何気なく視線を落とした瞬間、息が止まった。
鏡に映ったのは、ベッドの下——そこには見知らぬ女が、こちらを見上げていた。目が合った。明らかに、生きている人間だった。虚ろな、けれどはっきりとした視線が、鏡越しにわたしを捕まえた。
身体が凍りつくというのは、まさにこのことだった。「ひっ」と声にならない声を上げながら、必死で息を吸い、全身の血が逆流するような感覚の中、かろうじて理性が残っていた。危険だ、とわかっていた。すぐに部屋を飛び出し、近くに住む知人の家へ駆け込んだ。
警察が来た。パトカーが3台、物々しい雰囲気になった。だが、女はもういなかった。ベッドの下は空っぽだった。残されていたのは、折り込みチラシの裏に「ごめんね」と走り書きされたメモと、10円玉一枚。
それを見た瞬間、ほんの少しだけ同情が湧いた。どこかで道を踏み外し、行き場をなくした誰かが、わたしの部屋に“避難”していたのかもしれない。しかし、そんな感傷よりも先に思い出すのは、あの鏡の中の目だった。
今でも一人暮らしができない。玄関を開けて、部屋の空気に違和感を感じたら。ベッドの下に“何か”を感じたら。鏡が落ちたら——また、目が合ってしまう気がして。
[出典:925 :おさかなくわえた名無しさん:2007/02/03(土) 16:02:10 ID:a59l0bc9]