ネットで有名な怖い話・都市伝説・不思議な話 ランキング

怖いお話.net【厳選まとめ】

短編 r+ 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

玄関の右の部屋 r+3,098

更新日:

Sponsord Link

もう四十年も前の話になる。

小学一年だった当時、埋立地に建てられたばかりの団地に住んでいた。どこもかしこも空き地だらけで、砂利交じりの舗装もない道を自転車でぐるぐる回っているだけで、一日が終わった。

潮風に溶けるような静かな土地だった。昼間でも人の声が遠くて、犬の鳴き声の方がよく聞こえた。

あれは、ある交差点にぽつんと現れた新築の平屋を最初に見かけた日のことだったと思う。周囲に塀も植木もなく、整地されたばかりの土がむき出しのままで、その真ん中に四角い白っぽい建物が座っていた。まだ誰も住んでいないような気配だったが、妙に存在感があった。

何度かその前を通っているうちに、家の前に繋がれた一匹の白い犬が目に入った。
とにかく大きかった。最初は怖くて、遠巻きに見ていただけだったが、首輪をしていたし、なによりその犬はやたら人懐っこかった。自転車のタイヤの音を聞くとすぐに立ち上がって尻尾を振る。そうなると、こっちも気を許して、勝手に撫でたり触ったりするようになった。

その日、近くの肉屋で唐揚げを買って、友達と二人で食べ歩きしていた。手のひらに乗るくらいの、鶏の唐揚げが四つ入った白い紙袋。それをひとつ取って、犬にもやった。

犬は嬉しそうにぴょんと跳ねて、それを口に入れた。噛む音がやけに湿っていた。
その時だった。

カラリ、と音がして玄関が開いた。
右端の玄関から、ひとりの女性が現れた。眼鏡をかけた、痩せた初老のおばさんだった。
無表情でこちらをじっと見ていたが、何も言わなかった。俺も何も言わずに、ただぼんやりと、おばさんの後ろ――開いた玄関の奥を、見た。

家の中の構造が、どうもおかしい。

玄関のすぐ右側に部屋があった。でも、その位置に部屋があるとすれば、間取りがどう考えてもおかしい。敷地をはみ出すような角度だった。つまり、部屋があるべき位置は、外の道路になるはずなのに。

それなのに、そこには確かに「部屋」があった。

畳敷きではなかった。床は白く光っているようで、天井も壁もやけに明るくて、でも人工的な光ではなくて、昼間の光そのものを凝縮したような、ぼんやりした白い明るさが部屋中に満ちていた。

懐かしい、とふと思った。
懐かしいのに、行ったことのない場所。触れたことのない匂い。
それなのに、なぜだか、胸の奥がじわっと熱くなる。
まるで、帰るべき場所を見つけてしまったような錯覚。そう、錯覚でしかないのだけど、それでも目が離せなかった。

しばらくして、おばさんが「はっ」と小さく声を上げた。
こちらを見たまま、一歩も動かずに玄関を乱暴に閉めた。
金属のノブが跳ねる音がして、それきり家の中は静まり返った。

唐揚げをひとつ手に持ったまま、俺はしばらくその玄関を見つめていた。
あの部屋、なにかの鏡だったのだろうか?とその時も少しだけ思ったけれど、どう考えても、鏡ではなかった。
まず、鏡に映るにしては、奥行きがありすぎたし、なによりあの光は、どこか別の場所の「空気」そのもののように、現実とは違っていた。

それから数ヶ月ほどだったか、白い犬を見かけることも減って、いつの間にか姿を消していた。
おばさんも、まったく見なくなった。
そして、翌年にはその新築の家自体が取り壊された。

それを見ていた近所の大人たちも「あれ、早かったね」と口を揃えて言っていた。欠陥住宅だったのか、と思ったが、それにしても早すぎる。新築から一年経たずに取り壊されるなんて、聞いたことがなかった。

それからというもの、その土地は長い間空き地のままだった。
雑草だけが季節ごとに変化して、風景の中に緑色の波を立てていた。

今年の春、久しぶりにその場所に足を運んだ。
また新しく、今度は別の平屋が建っていた。
木目の外壁に赤茶色の瓦。以前とはまったく違う家。人の気配があって、車も停まっていた。

だが、あのときの部屋のことを、ふと、思い出した。

あれは本当に現実だったのか。
それとも、小学一年の自分が見た幻覚だったのか。

でも、あんなに鮮明な記憶が、幻覚のわけがない。
問題は、あの「部屋」が、建物の構造上あってはならない場所に存在していたということだ。
玄関の右側には、本来、空間など存在しない。

もう一度考える。もし仮に、店舗でよくあるような錯視のための鏡だとしたら、あの部屋の中にドアがないのはおかしい。人の気配もなかった。ただ、光と空気だけがあった。

ひとつだけ思うのは――
あの部屋は、最初からこの世界に属していなかったのではないか。

眼鏡をかけた、初老のあの女性。無言で立ち尽くし、そしてこちらに気づいて「閉じた」彼女。

あれは、隠さなければいけないものを見られてしまった人の顔だった。
そう、俺が、見てしまったから――
家を壊して、いなくなったのだとしたら?

あの犬にも、名前はなかった。

思い返すほどに、足元の地面がわずかに浮いているような感覚になる。
ひとつだけ、確かにわかるのは、あの部屋の中にあった「光」は、現実の太陽とはまったく違う種類のものだったということ。
もし、あのまま足を踏み入れていたら……帰ってこられなかったのかもしれない。

それでも、今も夢に見ることがある。
あの部屋の光の中で、白い犬がこちらを見て、尻尾を振っている。
あの女の人は、もうそこにはいない。
でも、玄関だけは、ずっと開いたままだ。

呼んでいる気がする。
忘れかけた声で、名前を呼んでいる。

――まだ、間に合う。とでも言うように。

[出典:518 :本当にあった怖い名無し:2020/09/18(金) 20:27:55.47 ID:bBATcL7O0.net]

Sponsored Link

Sponsored Link

-短編, r+, 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

Copyright© 怖いお話.net【厳選まとめ】 , 2025 All Rights Reserved.