これは、数年前に撮影旅行を趣味にしていた男から聞いた話だ。
彼が訪れたのは、山陰の山あいにある小さな農村だったという。地図には載っているが、道を外れるとすぐに圏外になるような場所だ。
村は不思議なほど整っていた。田畑は隅まで手入れされ、落ち葉一枚が邪魔をしない。山の紅葉も、作為のように均一だった。彼はその整い方に違和感を覚えながらも、写真家としては興奮していた。「完成している景色」だったからだ。
村外れに、巨石が二つ並んだ入山道があった。間に張られた注連縄は、腰の高さで道を塞いでいる。踏み越えれば届く距離なのに、妙に高く感じたという。
夜、宿で主人に尋ねると、主人はしばらく黙ってから言った。「あそこは、手を入れなくていい場所だ」。それ以上は語らなかった。
翌朝、彼は誰にも見られていないことを確かめて、縄をまたいだ。
山道は拍子抜けするほど歩きやすかった。落葉は厚く敷き詰められているのに、靴は沈まない。沢に沿って進むと、音がやけに澄んでいた。風も鳥もいない。ただ、水音だけが一定の高さで続く。
どれほど歩いても、景色が変わらなかった。紅葉の密度も、光の差し込み方も、同じだった。彼は写真を何枚も撮ったが、ファインダー越しの風景はどれも区別がつかなかったという。
やがて崖の窪みに、白い塀が現れた。瓦屋根が覗き、門は閉じている。新しい。誰かが手入れしているのは明らかだった。
視線を感じた。
門の向こうからではない。背後でもない。もっと曖昧な、風景そのものから見られているような感覚だったという。
彼は何枚かシャッターを切った。確かに切ったと記憶している。
だが、次の瞬間、沢の音が途切れた。気づけば、彼は注連縄の前に立っていた。靴は乾いている。落葉も付いていない。腕時計の時間は、山に入る前から一分も進んでいなかった。
宿に戻る途中、向かいに住む老人が立っていた。杖を握り、じっと彼を見ている。
「見たのか」と老人は言った。
彼が屋敷のことを口にすると、老人は首を振った。「あそこには、何もない」。そう言ってから、付け足した。「だから、手を入れない」。
翌朝、彼は村を出た。
帰宅後、機材を整理していると、見覚えのない一枚が混じっていた。白い屋敷の写真だ。だが奇妙なことに、屋敷は中央に写っていない。画面の端に、注連縄の巨石が大きく写り、その奥にぼやけた白壁がある。
問題はそこではなかった。
写真の隅に、もう一人写っていたという。カメラを構える彼自身が、屋敷の門の前に立っている。
だが、門は内側から閉じられていた。
彼はその写真を破棄したと言った。
ただ、それ以来、撮影旅行に出ると、どの風景にも白い壁の端が入り込むようになったらしい。現像しても、削除しても、完全には消えない。
私はその写真を見ていない。
だが、話を聞いたとき、ふと気づいた。彼は屋敷の中を撮ったとは、一度も言っていない。
それなのに、どうして門の内側に立っている自分が写っていたのか。
[出典:164: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2011/08/03(水) 04:08:18.93 ID:9pD7Aa9R0]