これは、数年前に撮影旅行を趣味としていた男から聞いた話だ。
彼が訪れたのは、山陰地方の小さな農村だったという。
その村は、どこか時代から取り残されたような趣があった。田畑は美しく手入れされ、山々は紅葉で赤く染まり始めていた。その山の中に、平らな土地が広がる不思議な景色があったという。
彼は「ここだ」と心を決めた。理想的な撮影スポットが、この村にはある、と。
初日、村を歩き回って写真を撮りながら、ふと村外れの入山道に気づいた。入口には巨石が並び、その間に張られた注連縄が目に入る。腰の高さほどで、人を拒むように張られた縄だ。「入るな」と暗に言っているのが伝わる。興味をそそられたが、その場では宿の主人に尋ねることにした。
夜、宿の薄暗い灯りの下で主人にその道について尋ねると、表情が曇った。
「あそこは入っちゃいけない。何度もよそ者が迷い込んで戻らなくなった場所だ。」
主人はそう語り、「死んだ人もいる」と静かに付け加えた。村の聖域だとも言ったが、理由は語ろうとしなかった。
彼は表向きは了承するふりをしたが、心の中では「迷信に過ぎない」と決め込んでいた。写真を撮るなら、村人が畑仕事で留守にしている時間帯が好都合だと考え、翌朝、ひそかにその道へ向かった。
注連縄をまたぎ、山道を進むと、不思議と整った風景が続いた。
紅葉が敷き詰められた地面、低木の間から差し込む陽光。夢の中にいるような感覚だ。だが、進むにつれて、どの方向を見ても同じ景色が続き、次第に方向感覚を失い始めた。
迷うのを避けようと、小さな沢に沿って歩く。沢を辿ることでかろうじて進路を確保したが、不安が胸をよぎった。そんな中、崖の窪みに白い塀と瓦屋根の屋敷が現れた。
手入れの行き届いた屋敷だ。だが、こんな山奥に誰が住むのか。疑念が湧き、次第に胸騒ぎが強くなる。
突然、強い視線を感じた。誰かに見られている――そう思い、振り返るも誰もいない。ただ、不自然な静寂が辺りを支配していた。怖くなった彼は踵を返し、山を下り始めた。
帰り道の途中、宿の向かいに住む老人に声をかけられた。杖を突きながら、厳しい表情で叱責された。
「入るなと言ったろうが!熊が出る。命を落とすぞ。」
老人は手に古びた銃を握りしめていた。護身用だと言うが、まるで彼を警戒しているようにも見えた。
宿に戻る途中、彼は一つだけ気になったことを老人に尋ねた。「あの屋敷、誰が住んでいるんですか?」
老人は訝しげに彼を見つめ、短く答えた。「屋敷?そんなものはない。」
翌朝、早々に村を発つ準備をする際、荷物に紛れ込むようにして見覚えのない一枚の写真があった。撮った記憶はないのに、そこには崖の窪みに佇む白い屋敷が写っていた。
二度とこの村を訪れることはなかったという。
肝試し気分で近づくべきではない場所が、世の中には確かにあるのだろう。
[出典:164: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2011/08/03(水) 04:08:18.93 ID:9pD7Aa9R0]