これは、大学時代の友人から聞いた話だ。
彼が大学二年の六月に体験したという、不思議で不可解な出来事についてだ。
彼は野生生物研究会というサークルに所属していた。研究のフィールドは奥多摩の鷹ノ巣山で、山頂近くの避難小屋を拠点に調査を行っていた。その日は快晴。青い空と爽やかな風に、夏鳥たちの声が響き渡る穏やかな日だったという。彼は一年生の後輩三人を連れて、普段とは違う七ツ石山経由のコースを案内しながら下山していた。
尾根道に差し掛かり、廃屋と土管が見える開けた場所が近づいてきた。そこは日当たりが良く、見晴らしも良いので、彼らの定番の休憩地点だった。先頭を歩いていた彼は後ろの後輩たちに「もう少しで休憩しよう」と声をかけた。
廃屋に到着し、ザックを下ろして一息ついたとき、後輩のA君が妙なことを言い出した。
「ここに女の人がいませんでしたか?」
訝しげに聞き返すと、A君は迷いのない口調で「土管を覗き込むように青い服を着た女性が立っていた」と言うのだ。ほかの後輩たちも、先頭を歩いていた彼も、その女性を見ていない。
「廃屋の中にいるのでは?」と提案され、A君が中を確認したが、誰もいない。周囲は静まり返り、人気の気配はどこにもなかった。
「疲れて見間違えたんじゃないか」と場を収めようとしたその瞬間、濃い霧が周囲を覆った。快晴だった空が一変し、視界は一気に5メートル以下になった。
突如、A君が叫び声を上げ、山道を駆け下り始めた。あまりの突然の出来事に、彼は「追いかけろ!」とほかの後輩たちに指示を出し、自らもザックを担いでA君の後を追った。濃い霧の中、何度も声を張り上げながら進むうち、ようやく道端に座り込むA君を見つけた。
肩をつかんで「どうした!」と問いかけた途端、霧はあっという間に晴れた。ついさっきまで濃密だった霧は消え失せ、再び快晴の空が広がっていた。A君は青ざめて震えていたが、すぐに落ち着きを取り戻し、「霧に捕まると殺されるような気がして、怖くて逃げ出した」と呟いた。
その後、彼らは無事に下山したが、あの霧が何だったのかは今もわからない。あの日以来、彼もA君も何度も同じルートを歩いたが、霧が現れることは二度となかった。快晴の尾根道で突如発生した濃霧。そして、見えていたはずの「青い服の女性」。いまだに謎のままだという。
[出典:56 名前:怖い話ではないのですが 投稿日:03/06/08 23:47]