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短編 r+ ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

吠えるもの r+6,594

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某チェーンの居酒屋でバイトしてたのは、もう何年前になるだろうか。

少し前のことのような気もするし、十年以上前の出来事のようにも感じる。
ただ、あのときの空気、湿ったような匂い、油のはねる音、そして……あの目だけは、今でもはっきりと思い出せる。

高嶋さん。
その人は、四十代半ばくらいだったと思う。
細身のスーツに皺ひとつなく、酒を飲んでいても絶対にネクタイを緩めなかった。目元に深い隈があって、笑ってるのに口角が上がらない、妙に印象に残る顔だった。

最初に見かけたのは、俺がバイトを始めて間もない頃。
カウンターの隅に、誰に話しかけるでもなく、ただ黙ってモツ煮と芋焼酎を頼んでいた。
それからはほぼ毎晩、閉店間際にふらりと現れて、決まった席に腰を下ろすようになった。

常連、と呼ぶには何かが引っかかる。
言葉ではうまく言えない。常連のように見えて、客じゃない何か別の存在。
だが、顔を合わせるうちに自然と言葉を交わすようになった。俺は大学生だったし、深く関わる気はなかったけれど、相手はどうやら俺のことを気に入っていたようだ。

ある夜、洗い物をしているときに、ぽつりと話しかけてきた。
「若い頃、ダムの工事現場で飯場に閉じ込められたことがあるんだ」

俺は聞き返した。閉じ込められた?どういうことですか、と。

「ちょっとな。ヘマして、世話になった筋に連れてかれてさ」
それだけ言うと、高嶋さんは焼酎をぐいと飲み干し、モツ煮を口に運んだ。

その飯場には、高嶋さんのような“訳あり”の連中が十人ほどいたらしい。
山の中、電波も届かない場所。逃げようにも、どこに行けばいいかわからない。
炊事は、五十代くらいの女が一人でやっていたという。無表情で、無口で、でもやたら手際が良かったと。

ある日、大雨で道路が崩れて、村との連絡が絶たれた。
最初の一日はなんとか凌げたが、三日目になると、食料が尽きた。
男たちは空腹で目を血走らせ、誰かが呟いたという。

「犬がいたよな……」

そう、飯炊き女が飼っていた雑種の犬。
名前もなかったが、尻尾を振って、皆に愛想を振りまいていたらしい。

高嶋さんは、そのときのことをあまり話そうとしなかった。
ただ、最後にこんなことを言った。

「そっからなんだ。犬が俺を見ると、全部吠えやがる。なあ、あれって、分かってるのかね」

その目を見たとき、背筋が寒くなった。あの目は、獣を睨む目じゃない。
自分を写す鏡に牙をむく、そんな表情だった。

それから何日か後、高嶋さんに「飲みに行こう」と誘われた。
最初はやんわり断っていた。けれどその夜、たまたま俺も気が緩んでいて、差し出されたビールを飲んでしまった。
アルコールがまわり、断るタイミングを逃してしまったのだ。

「顔の利く店があるんだよ」

そう言われ、連れて行かれたのは、場末のビルの中にあるフィリピンパブだった。
入った瞬間に感じた。空気が重い。笑い声が薄っぺらく、壁の奥に何かが蠢いているようだった。

高嶋さんは、女の子とカラオケでデュエットを始めた。
俺はというと、酔いもあって調子に乗り、片言の英語で次々に声をかけた。

その中に、ひときわかわいい女の子がいた。
肌が白く、目が澄んでいた。でも、どこか遠くを見ているようだった。
言葉をかけようとしたそのとき、高嶋さんが急にマイクを置いて立ち上がり、俺の横にやって来た。

「その子はダメだぞ。俺のお気にだからな」

声は笑っていたが、目は氷のようだった。冗談じゃないと分かる、あの空気。
店内が一気に冷え込んだのが分かった。
音楽が鳴っているのに、誰も歌おうとしない。不自然な沈黙。

しばらくして、高嶋さんはまた何事もなかったようにカラオケを再開した。
その姿を見ながら、俺はやっと息を吐いた。

そのときだった。さっきの女の子が、俺の耳元に近づいて、つぶやいた。

「店ノ女ノ子、全部……アイツ嫌イ」

片言の日本語だったが、意味はすぐに伝わった。

「なんで?」と俺が訊くと、彼女は少し言い淀み、それから絞るように言った。

「ワカラナイ。デモ、ナンカ見エル時アルヨ」

「何が?」

「死ンダ女ノ子ネ……イッパイ見エルヨ」

俺は目の前の高嶋さんを見た。マイクを持って、何か演歌を歌っていた。
それでも、その背後に何かが見える気がした。
髪の長い影、濡れたワンピース、歪んだ顔。
視線を感じる。刺すような、嗅ぎつけるような視線。

もしかしたら、犬だけじゃないのかもしれない。
彼には、ずっと吠え続ける“なにか”が、見えているのかもしれない。

俺は黙って席を立ち、会釈だけして店を出た。
もうあの店には行っていない。
いや、高嶋さんとも、それっきりだ。

けれど、今も夢に見ることがある。
夜の街、誰もいない交差点の向こうから、真っ直ぐに歩いてくるスーツの男。
手にはマイク。口元には笑み。
だけど、目だけが動物みたいに鋭く光っている。

こっちを見て、吠えている。

……そんな気がする。

[出典:544 名前:あなたのうしろに名無しさんが…… 投稿日:2003/01/26 21:04]

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