山奥にある林業の町で暮らしている。
地元の小さな情報誌を集める癖があり、古い手記や投書欄を見つけると、気になったものを切り抜いて保管してきた。具体的な地名は伏せられているが、行間から土地の匂いが滲み出るような文章が多い。
数年前、「見慣れないもの」という特集を読み返していた時、ふと自分の記憶と噛み合わない一節に気づいた。
平成七年の秋、投稿者は普段入らない山を二つ越えた先でキノコ採りをしていたという。林道の裏手、西側に広がるカラマツ林。芝生のように背の低い草が一面に生えている場所だと書かれている。
ショウゲンジを探して歩いている最中、カラスの死骸を見つけた。珍しくはない。ただ、その周囲だけ半径二メートルほど、円形に草が枯れていた。羽毛の下の地面だけが茶色く変色し、中心に死骸が横たわっていたという。
さらに近くで、干からびた脳のような形のものを見つけた。大きさは十から二十センチほど。柄はなく、下草に半ば埋もれている。裏返すと乳白色の空洞で、異様な悪臭がした。周囲には同じものが点在しており、気づかぬうちに一つ踏み潰していたらしい。
投稿者は「長年山に入ってきたが、初めて見た」と締めていた。
その手記を読んだ時、なぜか胸の奥がざわついた。理由ははっきりしない。ただ、書かれている山の位置関係が、自分の知っている場所と微妙に違っていた。
数日後、別の切り抜きを手に取った。
昭和最後の年、峠道を夜遅くタクシーで越えた息子夫婦の話だ。駅から四十分ほどの山道。途中、細い川に架かる橋のたもとで、川沿いに人の背丈ほどの橙色の炎が揺れていたという。焚き火のように燃えているのに、火の粉は飛ばず、人影もない。
運転手と息子が橋の欄干から見下ろしていると、炎は横に滑るように移動し、音もなく消えた。
翌日、町外れの薬屋に話すと、「それは魂の炎だ」と言われたとある。狐火なら青いはずだ、と。
その橋の位置も、記憶の中の地図と合わなかった。川は一本しかないはずなのに、どの橋だったか思い出せない。
さらにもう一枚。
夜釣り好きの男が、深夜一時過ぎ、峠を越えた先の川の河口で見たもの。赤銅色に光るカラカサのようなものが三つ、川面の上二メートルほどの高さに並び、青白い蒸気を垂らしながら音もなく海へ滑っていったという。最後は岬の木々の陰に消えた。
三つの話は別々の投稿で、年代も語り手も違う。だが、どれも「峠」「川」「橋」「夜」という言葉が重なっていた。
ある晩、気になって古い地図を引っ張り出した。手記に書かれた特徴をなぞると、三つの怪異は同じ場所を指しているはずだった。しかし、どう線を引いても辻褄が合わない。山の数が合わない。川の流れが違う。橋の位置がずれている。
翌日、地元の古老にそれとなく尋ねた。「昔、あの辺りで変な話はなかったか」と。
老人は少し考え込み、「昔はあの辺、川が今と違う流れ方をしていた気がする」と言った。だが、すぐに首を振り、「いや、そんなはずはないな」と話を切った。
その夜、夢を見た。
芝生のような草地に、円形に枯れた跡がいくつも広がっている。中心には何もない。ただ、橙色の光が地面すれすれを滑り、川の方へ消えていく。その上空を、赤銅色の傘が三つ、無言で追いかけていた。
目が覚めると、窓の外で川の流れる音がしていた。だが、どの川なのか、なぜか思い出せなかった。
翌朝、切り抜きを入れていた封筒を開くと、手記の山や川の名前が、すべて白く塗り潰されていた。自分でそうした覚えはない。
今も町に川は一本しかない。
だが、夜になると、橋を渡るのを無意識に避けている自分に気づく。どの橋だったのか、もう確信が持てない。
(了)
[出典:696 名前:山盛るだ[sage] :04/07/15 15:51 ID:n0G8mJbA]