俺が物心ついた時から、家には母親と呼ぶ女がいた。
父親の話は一切聞かされたことがなく、写真もなく、名前すら知らない。聞こうとすると、その女は決まって機嫌を損ねた。
住んでいたのは古いボロアパートの二階だった。
俺は毎日、夕方五時になると家を追い出され、階段の下でしゃがんで待つ。九時になるまで、決して家に入ってはいけなかった。
理由は単純だ。
中に入れば殴られる。
夏でも冬でも、雨の日でも、階段下が俺の居場所だった。コンクリートは冷たく、湿っていて、時間が経つにつれて尻の感覚がなくなる。それでも動けなかった。動いて家に入るほうが、よほど怖かったからだ。
九時になると、二階の部屋の明かりが消える。
風呂の音も止み、足音もなくなる。
それを確認してから、俺は息を殺して階段を上り、鍵のかかっていないドアをそっと開ける。
そのまま押入れに潜り込み、朝まで眠る。
布団は使わせてもらえなかった。押入れの奥には、埃と古い木の匂いが染みついていて、咳をするとすぐに気づかれる気がした。
朝三時頃、玄関の音がする。
女が家を出ていく音だ。
それを聞いてから、俺は押入れを出る。台所に残っている冷えたご飯や、乾いたパンを食べる。それが一日の始まりだった。
平日は給食があった。
それだけが、まともな食事だった。
女は毎日、夕方四時五十五分に必ず帰ってきた。
五分の狂いもなかった。
時々、知らない男を連れてくることがあった。男は決まって酒臭く、俺を見ると「しつけだ」と言って殴った。女はそれを止めない。むしろ、黙って見ていた。
それが俺の日常だった。
疑問に思う余地はなかった。そういう家庭なのだと、子供なりに納得していた。
小学五年の時、事件が起きた。
友人たちが万引きをして捕まった。俺は何もしていなかったが、一緒にいただけで学校に呼ばれた。
職員室で待たされ、次々と親が迎えに来る。
怒鳴られる子、泣きながら謝る親。
俺の番になっても、誰も来なかった。
担任は家まで一緒に行こうと言った。
俺は必死で断った。
理由は言えなかった。ただ、怖かった。
俺は嘘をついた。
母親は忙しく、夜中にしか帰らない。連絡が取れない。
無実であることを必死に訴えた。
結局、注意と文書での報告だけで済んだ。
助かったと思った。
その日の夜、家に帰ると、女は無言で台所に立っていた。
何も言わず、振り向きざまに包丁を振り下ろした。
手の甲に走る熱と痛み。
血が噴き出した。
俺は初めて、声を上げて泣いた。死ぬと思った。
騒ぎを聞いたのか、誰かが警察を呼んだ。
数人の警官が部屋に入り、女を取り押さえた。
俺はそのまま、養護施設に連れていかれた。
それから先の生活は、比較的穏やかだった。
施設の職員は優しく、殴られることも、外に追い出されることもなかった。
中学を卒業すると同時に働き始め、今も現場仕事をしている。
生きるために働いている。それだけだ。
数年前、役所の手続きで戸籍を取り寄せた。
その時、初めて知った。
俺の母親は、俺が二歳の時に死亡していた。
戸籍上、俺には父しかいなかった。
あの女は、母親ではなかった。
赤の他人だった。
誰なのか。
なぜ俺を育てていたのか。
その答えはどこにもなかった。
施設の職員に聞いても、警察から預かったとしか知らないと言われた。
父親は記載上存在しているが、俺に会いに来たことは一度もない。
理解しようとすればするほど、足元が揺らぐ。
俺は誰の子で、誰の人生を生きていたのか。
ごく稀に、あの女が俺の頭を撫でたことがある。
その手は、妙に優しかった。
あれは何だったのか。
思い出すと、今でも胸が締めつけられる。
先日、あのアパートを訪れた。
建物は残っていたが、誰も住んでいなかった。
階段下の壁に、削った文字があった。
「まーくん」
俺の名前だ。
誰が刻んだのか、思い出せない。
あの階段下で、今も誰かが時間を待っている気がする。
五時から九時まで。
家に入ってはいけない理由も知らされないまま。
俺はもう、振り返らないことにしている。
知らないほうがいいことが、確かにある。
だが夜になると、決まって思う。
あの女は、今どこにいるのだろう。
そして、俺を「まーくん」と呼んだのは、誰だったのか。
[出典:2011/04/16(土) 09:34:16.62 ID:JljrYEcv0]