彼は昔、中国の山奥まで漢方薬の買い付けに入っていたことがある。
年齢も、顔つきも、話し方も、どこにでもいる穏やかな男だった。だが、酒が進むと、ときおり山の話をする。そのときだけ声の奥に、乾いた音が混じる。
あれは数年前、居酒屋で二人きりになった夜だった。
彼は湯気の立つ焼酎を眺めながら、唐突に言った。
「妙な忠告を受けたことがあるんです」
山の入口にある村でのことだという。地図には載らない。舗装路も途中で途切れ、あとは獣道のような細い道を歩くしかない。木々は黒く湿り、根が地表に這い出している。踏み込むたび、空気が重くなる。鳥の声が急に遠のき、足音だけが残る。
村人たちは、彼を見るなり同じことを繰り返した。
「山に入るなら、煙草を持って行け」
吸う必要はない。ただ身につけておけ、と。
理由を尋ねると、老人は低い声で付け加えた。
「顔を盗む蛇がいる」
彼は笑ったらしい。煙草で蛇が避けられるはずもない。日本でも蛇除けの話は聞くが、たいていは迷信だ。
「どんな蛇ですか」と聞くと、老人は少し間を置いて言った。
「人の顔をしている」
ずんぐりと太く、動きは鈍い。だが、顔だけが人間だという。しかも、その顔は最後に呑み込んだ人間のものに変わる。村ではそれを「顔盗み」と呼ぶらしい。
蛇はただ襲うのではない。
人の言葉で話しかける。
「この先に薬草が群生している」
「仲間が倒れている」
「道に迷っている」
そうして足を止めさせる。近づいたところで、丸呑みにする。どうやって人の口で呑み込むのかと彼が問うと、老人は「顔は広がる」とだけ答えた。
さらに厄介なのは、呑み込んだ相手の記憶や癖まで取り込むことだという。
だから声色も仕草も、本物と見分けがつかない。
村人の一人は、帰ってきた息子の笑い方が微妙に違った、と言った。
目尻の動きが合わない。
笑うまでの間が長すぎる。
それだけで、山へ連れ戻された者もいるらしい。
彼は結局、蛇に出会わなかったと言った。
煙草は村で買い、ポケットに入れて歩いた。火をつけることはなかったが、なぜか捨てられなかった、と。
「会わなくて済みました」
そう締めくくって、彼は笑った。
その笑いが、少し遅れて口元に届いた。
声と顔の動きが、わずかに噛み合わない。
酔いのせいだと思ったが、違和感だけが残った。
それから数日後、私は仕事の帰りに煙草を買った。吸わないのに。理由はうまく説明できない。ポケットに入れていると、落ち着く気がした。

彼と再び会ったのは半年後だった。
顔色は変わらない。声も同じだ。
だが、会話の途中で私の癖を言い当てた。昔、山で転んで額を打ったこと。誰にも話していないはずのことだ。
「覚えてますよ」
そう言って彼は笑った。
私はその瞬間、自分がその話をした記憶を探した。
ない。
帰宅して鏡を見たとき、ほんの一瞬、笑い方がぎこちなかった。
目だけが遅れて動く。
口角が先に上がる。
煙草に火をつけてみた。
吸い込んだことのない煙が、喉を焼いた。
それでも、なぜか安堵した。
あの夜、彼は言った。
「蛇は、顔を変えるだけじゃない。少しずつ、周りの顔も真似るらしい」
私はまだ山へは行っていない。
けれど、ときどき思う。
あのとき目を逸らさなければ、何かに気づけただろうか。
それとも、もう遅かったのだろうか。
最近、笑うまでの間が長いと指摘された。
自分では気づかないが、鏡の中の私は、ほんのわずかに動きがずれているらしい。
煙草は減らない。
火をつける必要がないからだ。
もしかすると、持っているだけでは足りないのかもしれない。
――あの山の蛇は、いま誰の顔をしているのだろう。
(了)