母方の家系は、どういうわけか代々「見える」人間が多い。
祖母も、母も、妹も、兄の娘まで、何かしら感じ取るらしい。祓えるわけではない。ただ、そこにいるものが「いいか悪いか」わかるだけだという。
私は違う。叔母と同じで、何も見えない側の人間だ。人の顔と家具と、夜道の街灯しか知らない。
そう思っていた。
六年目の結婚生活が終わるまでは。
夫は不倫をしていた。相手は妊娠しているという。頭の奥で何かが裂ける音がした。けれど私は別れを拒んだ。あの人と歩いた時間を、まとめて捨てることができなかった。
数日後、夫は消えた。署名済みの離婚届と、短い手紙だけを残して。
「俺のことは忘れて、幸せになれ」
それから、LINEだけが続いた。離婚届を出してほしいという事務的な文面と、体調を気遣う言葉が混ざって届く。既読をつけるたび、まだどこかでつながっている気がした。
私は判を押せなかった。
あの夜までは。
画面を開いた瞬間、耳元で男の声が弾けた。
「いやだ……死にたくない」
絶叫だった。息が潰れるような、喉を裂く声。私は悲鳴を上げ、スマホを落とした。
震える指で画面を確認したが、そこにあるのは文字だけだった。
〈しにたくな〉
途中で途切れた、打ちかけの一文。ボイスメッセージはない。通知履歴にも何も残っていない。
その夜を境に、私の中の何かが反転した。私は離婚届を提出し、部屋を引き払い、スマホを新しくした。残されたものを切り離すように動いた。
事情を話すと、母と妹は私の目をじっと見た。
「声、聞いたんだね」
二人は顔を見合わせた。
「……旦那さん、もういないかもしれない」
断定ではなかった。ただ、そういう“感じ”がする、と言う。
事故かもしれないし、病気かもしれない。強く誰かを呼ぶ瞬間は、遠くまで届くことがあるらしい。私があの人のことを考え続けていたから、たまたま重なったのかもしれない、と。
私は尋ねた。じゃあ、あのLINEは何なのか、と。
二人は答えなかった。
私はスマホをリサイクルに出した。婚姻関係終了届も提出した。母と妹は別室で塩を撒き、何かを唱えていた。
その夜、家は異様に静かだった。
布団に潜り込み、目を閉じる。耳を澄ます。声はしない。
だが、しばらくして気づいた。
枕元の充電器が、青く光っている。
新しいスマホは机の上に置いてある。布団の中に持ち込んではいない。なのに、手のひらの中に、あの古い機種の角ばった感触がある。
目を開けると、何もない。
暗闇の中、充電器のランプだけが小さく瞬いている。
翌朝、妹が言った。
「まだ切れてないね」
何が、と聞くと、首を振った。
私はその日から、ポケットに何も入れなくなった。それでも歩いていると、ときどき太ももに四角い重みが触れる。振り返っても、誰もいない。
先週、知らない番号から着信があった。
出なかった。けれど、留守番電話の通知が残った。
再生ボタンを押す勇気は、まだない。
[出典:378 :名無しさん@おーぷん :2014/08/03(日)18:40:53 ID:yzx34L8rm]