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供養を振り切る影 r+4,399

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母方の家系は、どういうわけか代々「見える」人間が多い。

祖母、母、妹、それに兄の娘まで、みな程度の差こそあれ、何かしら感じ取ることができる。
けれど、それは神主のように祓える力ではなく、「何となく、いいものか悪いものかがわかる」程度。
私と叔母はまったくのゼロ。
人間の顔と、家具と、街灯の光しか見たことがない。

そう信じてきた。
六年目の結婚生活が、ある日、紙のように裂けるまでは。

夫の不倫。
相手は妊娠しているという。
上手くやってきたと思っていたのに、背中から撃たれたような衝撃だった。
目の奥がずっと熱く、耳鳴りが止まらなかった。
それでも私は、関係の修復を望んだ。別れたくない、と口にした。
あの人と歩いた時間を、ただ「無かったこと」にできるわけがないと思った。

その私の前から、夫は静かに消えた。
記入済みの離婚届と、便箋一枚の手紙を残して。
「俺のことを忘れて、幸せになれ」
どこか芝居がかったその文字を、涙でにじませながら読み返した。
彼は転職し、行方知れずになった。
貯金は三分の二、慰謝料として残していったが、そんな数字は虚ろな飾りにすぎなかった。

心が抜け落ちた私は、実家の客間で寝続けた。
布団の中で日付が曖昧になり、時計の針の音がやけに響いた。
しばらくして、スマホに夫からのLINEが入るようになった。
長い文章が多かった。離婚届の提出を促す文面と、私の体調を案じる言葉。
その混ざり方に、かつての優しさの残り香を感じた。
私も返信をした。
けれど、どうしても離婚届には判を押せなかった。

あの日のことを、今もはっきり覚えている。
夜、何気なく画面を開いた瞬間だった。
文字より先に、耳を裂くような声が飛び込んできた。

「いやだ……死にたくない!!」

男の絶叫が、耳元ではっきりと響いた。
驚きで声を上げ、スマホを畳に投げた。
胸が暴れて、手のひらがじっとりと湿っていた。

私はてっきり、LINEの新しい機能か何かだと思った。
ボイスメッセージ。
夫が子供っぽく悪ふざけをしたのかもしれないと。
けれど、そんなことをする人ではなかったし、体を気づかう文章も送ってくる人だった。
どこかでまだ、彼が私を思ってくれている気がしていた。
……だが、その声はその幻想を一瞬で粉砕した。
胸の奥の何かが急速に冷えていった。
「私の何が悪かったんだろう」から、「不倫の最低な男」に向けて怒りが燃えた。
その熱に押されるように、私は一気に動き出した。

離婚届を提出し、アパートを引き払い、新しいスマホを買った。
まるで脱皮するみたいに、次々と古い殻を捨てていった。

私の急な変化に、家族が首をかしげた。
事情を話し、あのLINEを見せると、母と妹が同時に息をのんだ。
目を見開き、半歩後ずさる。
二人は黙って見つめ合った後、声をそろえて言った。

「……旦那さん、もう死んでる」

一瞬、意味がわからなかった。
再びスマホを覗くと、そこにあったのは文字だけ。
「しにたくな」
ボイスメッセージなど存在しない。
私の耳に焼きついたあの声は、画面には残っていなかった。

母と妹はうなずき合い、「正確には『嫌だ、死にたくない、助けて』だね」と言った。
どういうことかと詰め寄ると、二人は淡々と説明を始めた。

――おそらく、何らかの事故か病気で、彼は死の間際にとっさに私を呼んだのだろう。
「死にたくない」という気持ちが強すぎて、霊感のない私にまで届いた。
私が呪い殺したわけではない。
ただ、私が「戻ってきてほしい」と強く願いながら、そのスマホを手放さず使い続けていたせいで、彼の霊は向こうの供養を振り切り、こちら側に引きずられていたのだという。

「すぐスマホを捨てなさい。LINEも使わない。他にもつながりのある物は捨てた方がいい」

私は半信半疑ながらも、急いでスマホをリサイクルに出し、婚姻関係終了届を役所に提出した。
母と妹は別室で何やらお札や塩を使った儀式をしていた。
ドアの隙間から漂う香の煙が、やけに重く胸にまとわりついた。

すべてを終えて、自室に戻ったとき、妙な静けさがあった。
布団に潜り込み、目を閉じる。
耳を澄ませても、あの日のような声はもう響かない。
それでも時々、ポケットの中の何もない空間が重くなることがある。
そこにかつてのスマホの形が、冷たく沈んでいるような感覚が……今も消えない。

(了)

[出典:378 :名無しさん@おーぷん :2014/08/03(日)18:40:53 ID:yzx34L8rm]

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