子どもの頃から大学に入るまで、ずっと海辺の町で育った。
浜に沿って国道が走り、その背後はすぐ山。山の斜面に家がぽつぽつと張り付くように建ち、浜辺には漁のための小屋が並んでいた。けれど、うちだけは漁師じゃなかった。親父は市役所の職員で、そのことが子ども同士の距離を微妙に広げていた。
毎年八月の初め、七日までは漁に出てはいけない決まりがあった。特に七日の夜から翌朝にかけては、子どもは外に出てはいけない。理由はただ一つ――ふだらく様の舟が来るからだ。
外に出ていると連れていかれる、と言われた。しかも狙われるのは女の子ではなく、本家筋の跡取りの男の子らしい。
大人たちはその晩、公民館に集まって酒を飲み、時には喧嘩をしていた。子どもは家でおはぎを食べて、早く寝る。そういう夜だった。
けれど、そうした風習も、俺が中学生になる頃には形骸化していった。誰も本気で信じていないようで、それでも「七日前後は海に近づくな」という言葉だけは残った。
あれは中二の八月六日、朝のことだった。
岩場で外国製のブイや漂着物を探していたら、二メートルほど先の海中に、人の尻が見えた。慌てて大人を呼び、引き上げられたのは、近くに帰省していた大学生だった。頭を下にして沈んでおり、海水にふやけた肌が妙に白かった。警察の話では、前日の午後にはもう死んでいたらしい。
爺ちゃんに「ふだらく様と関係あるの?」と聞くと、「あるかもしれねえなあ。ふだらく様は男が好きだからな」とぼそりと答えた。
その日の夜、俺は早く寝た。だが夜中の二時ごろ、尿意で目が覚めた。当時の家は改築前で、便所は外。裏戸から夏の闇へ出る。山側にあるトイレに向かって歩いていると、沖の方からかすかにドン、ドンと太鼓の音が聞こえた。
ふだらく様だ――と直感した。見に行ってはいけない。
そう思ったのに、足は浜へ向かっていた。月明かりもない闇の中、国道を越えると、沖に小さな舟が浮かんでいた。
舟は赤い光に包まれ、波間に上下している。板屋根の下、いくつもの鳥居が突き出ていて、太鼓の音がその中から響いていた。
――坊や、おいで。いい所に連れていってあげるよ。
声が、耳ではなく頭の中に直接響く。
――いい所って、どこ?
――南だよ。補陀落。浄土だ。願えば何でもかなう。お菓子も、玩具も、恨みも妬みも争いもない。
争いがない――その言葉に、昼間のゴンたちの顔が浮かぶ。俺をいじめる漁師の子どもたちだ。気づけば、舟に向かって一歩踏み出していた。
「行くな!」
後ろから腕をつかまれた。振り返ると、源兄ちゃんが立っていた。
「あれはあの世だ!」
叩きつけるような声に、我に返る。もう舟は消えていた。
源兄ちゃんによれば、この時期は若い衆が交代で見張りをしているらしい。俺がふらふらと浜に降りていくのを見て、慌てて引き止めたのだという。
翌日、噂はゴンたちに広まった。
「何て言われたんだ?」
「言いたくない」
殴られたこめかみが熱い。
「浄土に連れていくって」
「浄土? 何だそれ」
「いい所だよ。お菓子も玩具も、好きなだけ手に入る」
「ケーキも?」
「もちろん」
彼らの顔に、餓えたような笑みが広がった。
翌朝、ゴンたちはいなくなった。海にも山にも、町のどこにもいなかった。
警察が探しても見つからず、そのまま行方不明扱いになった。
今、俺は東京で製薬会社に勤めている。
ときどき考える。ゴンたちはまだどこかでケーキを食べながら、ゲームをしているのかもしれない。
争いも妬みもない、あの赤い光の中で。
(了)
 
	
	