これは、以前同じ神社に勤めていた元同僚から聞いた話だ。
先日、久しぶりにその同僚と再会し、懐かしい顔を見ながら雑談をしていた。彼は今も変わらず神主をしている。話題は自然と神社のことになり、ふと、以前その神社で宮司を務めていたある人物の話になった。
その宮司は、神社界隈ではちょっとした有名人だった。厳格な古式を重んじる神社の中で、かなり大胆な改革を行い、現代に即した運営を行おうと試みていた。彼は人付き合いが得意ではなく、ぶしつけで口が悪い部分もあったが、その分、言いたいことははっきりと口にした。
そんな彼を嫌う者も多かったが、正直で飾り気のない性分がかえって信頼され、長年にわたって宮司として神社を支えていた。
だが、ある日を境に、その宮司が突如として姿を消したという。行方不明になったのだ。話を聞いて、わたしは最初、それが何かの事件ではないかと思い、つい真剣に元同僚に聞き返してしまった。「捜索願いは出されたのか?家族や警察はどう動いているのか?」と。しかし、元同僚はなんとも言えない表情で、こんなことを口にした。
「捜索願いが出たのかどうかも、家族がどういう意向だったのかも正直わからない。ただ、突然神社を辞めてしまったんだ。家族が代理でその意思を伝えてきたけど、本人の姿はないままだ」
本来なら、宮司職を離れる際には、神社総代や氏子たちに一言挨拶するものだ。だが、そういった慣習も何もないまま、彼の退任が決まった。それも、神社で一年で最も重要な祭礼の直後だった。その日から、彼の姿は一切見かけることがなくなったという。
「神社の神事に関わる者なら、これがどういうことか、なんとなく察しがつくはずだ」
同僚は低い声でそう言うと、語り始めた。
その神社では、秋に例大祭が行われる。この祭りは何百年にもわたり同じ日に行われてきた、神社にとって最も神聖な行事だ。旧暦から新暦に移行する際も、祭礼の日取りをどうするかで大きな議論が起きたという。氏子たちが古い日付を重視する一方、現代化を推し進めようとする声もあり、最終的に、新暦での9月某日に固定されることになった。
ところが、数年前、当時の宮司がその祭礼日を変えようと提案したのだ。彼は参拝客の数を増やし、地元観光の振興に力を入れるため、土日祝日など人が集まりやすい日程に変更すべきだと考えた。氏子総代や地元の人々は、最初こそ強く反対したが、「神社も柔軟に変化するべきだ」という彼の主張に押され、やがて渋々同意してしまった。
そして、祭礼日が変更されたその最初の年、異変は始まった。
祭りの前日、神社で飼われていた神馬が突然死したのだ。この馬は例大祭で流鏑馬に使われるために、前宮司の時代から飼育され、特別に神聖視されてきた。慌てて代わりの馬を手配し、何とか祭りは予定通り行われたが、総代の中には不安の声が漏れ始めた。「日取りを変えた罰ではないか?」と。しかし宮司と一部の総代はその声を取り合わず、「迷信にとらわれる必要はない」と切り捨ててしまった。
だが、それから一年後の祭りの時期に再び不吉な出来事が続いた。祭りの直前、関係者の多くが体調を崩し、なんと、総代12人のうち6人が病で亡くなってしまったのだ。あまりに立て続けで不自然な死だった。村中に恐怖が広がり、「この年こそ祭礼日を元に戻すべきだ」との声が高まったが、宮司はこれを無視し、再び土日を祭礼日とした。観光客は増え、神社の収入も増えたが、神社を守る氏子たちの信仰は不穏な空気で包まれていた。
そんなある年の祭礼の朝、その宮司が忽然と姿を消した。
当日はどこにも姿を見せず、関係者に連絡もなかった。慌てて彼の家族が神社に事情を伝えに来たが、宮司の所在について家族も何も知らないと言うばかりだった。それ以来、彼は行方不明のまま、神社も宮司不在の状態で続いている。新たな宮司を迎えようとしても、誰もその職を引き受けようとはしない。代理を頼まれた元同僚も、「申し訳ないが、辞退させてもらった」と語った。
「不自然な失踪が続いて、誰も宮司を引き受けないだなんて、こんなこと、前代未聞だよ」
その同僚は、神職に長くいるからこそ、この出来事がただの偶然や迷信の類では片づけられないことを感じ取っているようだった。わたしも、その話を聞いてからというもの、どこか身震いが止まらない。何百年と続く神事に手を加えた結果、取り返しのつかない障りが生まれてしまったのではないかとしか思えなかった。
その神社の例大祭は、今年も例によって祝祭日に合わせて行われるらしい。地元観光業者の圧力が強く、神社側もそれに抗うことができないためだ。だが、氏子たちの間では相変わらず不安の声が止まない。現に、日取りを元に戻さなければさらなる災いが降りかかると信じる者も多く、神社に足を運ぶ者も減っている。
だが、真実はわからない。その行方不明の宮司が今どうしているのかも、そして、この不吉な流れが続くのかどうかも。
日本の神々は気まぐれで、何世代にもわたり人々に恩恵を与えながら、同時にその怒りをも示す存在だ。現代社会の中で、こうして静かに神に祟られたかのような出来事が起きている事実に、ただ背筋が冷たくなるばかりだった。