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狐火の提灯 r+5,748

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これは、祖母から幾度も聞かされた曽祖父の戦中の体験談である。

けれど耳にするたび、ただの戦争話というよりも、ひどく得体の知れない、呪いめいたものを孕んだ記憶のように感じられてならなかった。

曽祖父は太平洋戦争中、兵隊として東南アジアへ送られた。銃を持って最前線に立つ兵ではなく、工兵部隊の小隊長。役目は弾薬や食料を運ぶための鉄道のレールを敷設することだった。小隊長とはいえ、偉そうに指揮ばかりする立場ではなかったらしく、自分も鉄と汗のにおいのする作業着でスコップを握り、兵らと同じ泥にまみれて働いていたという。

ある昼下がり、灼けた太陽がジャングルの葉を透かし、金属を焼くような空気の中で作業が続けられていた。道具のひとつが見当たらず、探していた曽祖父は、トロッコの下にそれを見つけた。何気なく身体を潜り込ませた、その時だった。遠い空から聞こえてきたのは、耳慣れぬプロペラの唸り。

瞬間、背筋が凍りついたという。敵機――。そう悟った時にはもう遅かった。仲間の叫びとともに、鋭い機銃掃射の音が密林に木霊した。銃弾は赤熱した鉄の虫のように大地を穿ち、逃げ遅れた兵の身体を裂いていった。幸運としか言いようがない。トロッコの影に身を隠していた曽祖父には、弾丸の牙が届かなかった。

やがて戦闘機は気が済んだように遠ざかり、空の彼方へと消えていった。沈黙を取り戻した密林から、土に這い蹲っていた者たちが這い出してきた。ざっと数えて二十人ほど。だが半数以上の仲間は赤い泥と化し、もう動くことはなかった。

報告せねばならない。小隊長として、上部に被害と状況を伝える責務がある。しかし通信機は撃ち抜かれて粉々。仕方なく、曽祖父は生き残りを率い、徒歩で本部を目指すことにした。

地図を広げ、方角を定め、進軍を始める。だが密林は人を狂わせる。日光は葉に遮られ、湿気は重く、虫は執拗に肌を刺した。歩けど歩けど、出口は見えない。空が墨を流したように暗くなり、月が天蓋に浮かんだ頃、ようやく誰かが声をあげた。

「……迷ったな」

その言葉は、全員が心の奥で既に気づいていた事実を突きつける呪文だった。地図を見ても現在地は判然とせず、疲労と恐怖が隊員の顔に深く刻まれていた。小隊長である曽祖父は必死に気丈を装った。心臓は獣のように暴れていたが、口からは空元気を吐き出した。

「朝日が昇れば方角はわかる。今夜はここで休もう」

だがその言葉で誰も安心はしなかった。食糧をかじる音だけが静寂の底で響き、湿った土と汗のにおいが漂っていた。

その時だ。兵のひとりが蒼白な顔で叫び、密林の奥を指さした。曽祖父が目を凝らすと、闇の中で黄色い光がゆらりと揺れている。大きさは三十センチほど。提灯ほどの光。だがここは戦地、敵兵の灯火に違いないと皆が身構えた。もし見つかれば、この人数ではひとたまりもない。冷たい汗が背を伝った。

ところがその光は、近づくでも離れるでもなく、まるでこちらを誘うように同じ場所でゆらり揺れていた。しかも動きは不自然だ。∞の字を描くように、規則的に揺れている。

誰かが息を呑んだ。光は形を変え、やがてはっきりと「提灯」となった。木の骨組みに紙を張り、そこに墨の文字と家紋が染め抜かれている。時代劇に出てくる、あの見慣れた形。だがここは南方の密林、日本から何千キロも離れた土地である。なぜ提灯が……?

全員が目を疑った。曽祖父もまた息を詰め、凝視した。そして視界に飛び込んできた文字を見た瞬間、言葉を失った。

そこには、自分の苗字が記されていたのだ。我が家の家紋と共に。

兵らも同じものを目にしたらしく、顔を見合わせ、震えながら曽祖父を見た。足下が崩れるような錯覚に襲われた。頭の奥で、故郷の記憶が走馬灯のように蘇った。帰りが遅いと、父や母が提灯を持って迎えに来てくれたことがある。闇夜で迷わぬよう、提灯を大きく揺らして、こちらから見えやすいように――あの揺れ方と同じだった。

「……神の助けかもしれぬ」

そう思った瞬間、全身を熱い確信が貫いた。曽祖父は迷いなく兵らに言った。

「あの提灯についていく」

荒唐無稽な指示だった。兵らは狼狽し、「狐火だ」「狸の仕業だ」と口々に恐怖を漏らした。それでも、曽祖父の声には揺るぎがなかった。誰もが正気を削がれ、半ば呑まれるように従った。

提灯は一定の距離を保ち、ゆらりと揺れながら進んでいった。その動きはまるで導き手のようで、曽祖父たちは無我夢中でそれを追った。夜の闇は深く、時間の感覚はとうに失われていた。東の空が白み始めた時、突然視界が開けた。そこには本部の建物があった。

振り返った時、提灯の姿はもうなかった。ただ、湿った朝の空気と鳥の鳴き声だけが残っていた。

――日本へ帰還してから、曽祖父は両親にこの出来事を語った。すると両親は驚くべきことを明かした。実は曽祖父の父は、息子の無事を祈り、毎晩近くの稲荷神社で冷水を浴びて祈願をしていたという。それは雨の日も風の日も欠かさず、ただ一心に息子の生還を願って続けられていた。曽祖父が迷った頃、特に胸騒ぎが強く、熱を押してまで祈りを捧げていたらしい。

祖母はその話を締めくくる時、必ずこう言った。

「あの提灯は、お稲荷さんが哀れんで、狐火を遣わしてくれたんじゃろうねぇ」

私はその言葉を信じたいと思う。けれど同時に、あの∞を描く揺れ方を想像するたび、背筋にひやりとした感覚が這い上がるのだ。神の導きか、あるいは密林の闇に潜む何かの嘲笑だったのか。その答えはいまだに分からない。

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