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先輩の家の暗がり r+4,273

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これは、俺の職場での話だ。

先輩のことを思い出すと、どうにも喉の奥がひやりとする。人としては尊敬できるし、頼れる。けれど、同時に背筋をざわつかせる得体の知れない何かが、いつもその人にはまとわりついていた。

先輩は、とにかく面倒見がいい。仕事の腕前は「天才」ってわけじゃない。けれど、確実に仕上げてくる。クライアントから指名で依頼が舞い込むほどの信頼を勝ち取っていた。正直、俺なんかよりもよっぽど誠実で筋の通った人間だと思う。

ただ――困った癖がある。
それは、異常なまでに「家族」を大事にしているということ。

平日の昼休み、何気ない雑談でもすぐに奥さんと娘さんの話題になる。「こないだ娘とキャッチボールしてな」「奥さんが作った弁当が最高でさ」……。スマホのアルバムを開いては、延々と写真を見せてくる。休日明けなんて、旅行の記録をこれでもかと語ってきた。

普通なら、愛妻家で良き父親、ということで微笑ましく受け取れる話だろう。
だが――その奥さんと娘さんは、数年前にすでに亡くなっているのだ。

交通事故だったと聞いた。片側二車線の交差点で、信号無視のトラックに突っ込まれ、ふたりとも即死だったと。俺が入社する前の出来事らしい。

俺は最初、その事実を知らなかった。先輩から楽しそうに語られる家庭のエピソードを聞いて、ただ羨ましいな、くらいに思っていた。ある時、他の同僚から「ああ……あんま真に受けんなよ」って教えられて、初めて背筋が冷えた。

写真を見せられても、そこに人影なんて写っていない。風景や料理、空の遊具ばかり。俺は「あれ?」と思いながらも、指摘する勇気は出なかった。誰もが触れない。それが暗黙の了解だった。

そんな先輩と決定的に「なにか」を感じてしまったのは、あの忘年会の夜だった。

その年は会社の業績が大きく伸び、社長が派手に奮発した。高級料亭を貸し切っての忘年会。珍しく先輩も上機嫌で、普段はほとんど飲まない酒を、ぐいぐいとあおっていた。気づけば、顔は真っ赤。足取りもおぼつかず、椅子に崩れ落ちそうなほど。

帰りの段になって、俺たちは困り果てた。社長は「家族が待ってるから帰る」と言い張る先輩を、なんとか宥めようとしたが、耳を貸さない。結局、社長の命令で俺と、もう一人の同僚が車で送り届けることになった。同僚は酒を飲まないから自分の車を出せた。俺はその補佐として同行した。

タクシーで済めば楽だったが、先輩は「おみやげ買ったからさ、家まで持っていくんだ」と言って譲らない。見ると、料亭でわざわざ包んでもらった持ち帰り料理を、大事そうに抱えていた。あんな泥酔状態でも、その包みだけは絶対に手放さなかった。

深夜、先輩の家に着いた。街の外れにある二階建ての一軒家。周囲は寝静まり、真っ暗。窓もカーテンも閉ざされていて、明かり一つ漏れていない。

俺と同僚は「どうせ誰もいないんだから」と思っていた。なのに、先輩は「もう寝ちゃってるなー」と笑って玄関へ向かった。その笑顔は酔いのせいだけじゃない。心底、幸せそうな笑顔だった。

「遅くにすみません。俺たちはこれで……」と断ろうとした時だった。

――トタタタタ……と、床を駆け下りる軽い足音。
すぐに、玄関の錠がカチャリと開く音がした。

暗闇の中、玄関の扉がすっと開いた。
そこには、誰も立っていなかった。

「なんだー、起きてたのか。お土産あるぞー」
先輩はふらつきながらも、満面の笑みで声をかけた。

まるで、そこに娘がいるかのように。
まるで、そこに妻がいるかのように。

俺と同僚は、声も出せずに立ち尽くした。
真っ暗な家の中へ、先輩は迷いなく吸い込まれていく。
玄関の奥からは、かすかな笑い声のようなものが聞こえた。

俺たちは逃げるように車へ戻った。
エンジンをかける間、同僚の手が小刻みに震えていた。俺自身も、膝が勝手に痙攣していた。

「……なあ、あの人……なにと住んでるんだ?」
同僚の声は、かすれていた。

それから数年たった今でも、先輩は変わらずに「家族」の話をしている。
休憩時間には、誰も写っていない写真を嬉々として見せてくる。
「娘が撮ったんだ」と笑いながら、カメラを構える人影さえない写真を見せる。

俺は笑顔を作って相槌を打つ。けれど心の奥では、いつも同じ問いが繰り返される。
先輩は本当に「誰」と暮らしているのか。

その答えを確かめたい気持ちもあるが、同時に、知ってはいけない気がしてならない。
だから俺は今日も、何も言わずに耳を傾けている。
先輩が語る「家族の幸せな日々」を。
決して存在しないはずの、幸福な幻影を。

……そして心の中で思う。
あの夜、玄関を開けたのは、いったい誰だったのか――。

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