職場の同僚から聞いた話。
彼が幼い頃、県営住宅に住んでいた時のことだ。
その団地には同世代の子どもが多く、五、六人の仲間と毎日遊んでいた。当時はRCカーやミニ四駆が流行しており、裕福な家庭の子が持つRCカーを借りて、エントランスや共用廊下で走らせるのが日課だった。
ただ、ひとつだけ暗黙のルールがあった。
「七階の東条さんの家の前では遊ぶな。通るときも静かにしろ」
親からも友人からもそう言われていた。
だが、子どもたちの間ではその場所は度胸試しのスポットとして認識されていた。東条のおばさんは、そこで騒ぐとすぐに扉を開け、無表情で追いかけてくるのだ。その姿が恐ろしくもあり、スリルを感じる遊びとして、何度か試みられていた。
ある日、いつものようにRCカーを追いかけて遊んでいると、ガキ大将格の子が提案した。
「東条さんの前でRCカー走らせてみようぜ」
みんな乗り気だったが、彼は気が進まなかった。怒られる未来が容易に想像できたからだ。しかし、流れに逆らえず、仲間たちと一緒に東条さんの家の前を駆け抜けた。
彼は最後尾だった。
それがまずかった。
仲間たちが笑いながら走り抜けた直後、東条さんの扉が開いた。
そして、彼女は無言で追いかけてきた。
普段なら逃げ切れるはずだった。しかし、前を走る子がRCカーの回収にもたつき、彼は階段前で立ち止まらざるを得なかった。ようやくその子が走り去り、「今だ!」と思った瞬間、後ろから腕を掴まれた。
「捕まえた」

振り返ると、東条さんが無表情で立っていた。
そして、彼女の手には包丁が握られていた。
恐怖で身体が動かなかった。
そのまま家の中へ引きずり込まれた。
畳の上に座らされ、周囲を見渡すと、日の光が入らない仏間のような部屋だった。四方に布団が積まれ、圧迫感があった。時間の感覚がなくなる中、ひたすら泣き続けた。
やがて、東条さんが握り飯を一つ差し出した。
「食え」
声は感情がこもっていなかった。
だが、味がしなかった。恐怖と混乱で喉を通らず、畳の上に置いたままになった。
どれほどの時間が経ったか分からない。
玄関から母の声が聞こえた。だが、助けはすぐには来なかった。
すると、家の奥から別の女性の声がした。
「もう帰してあげようよ」
若い女性の声だった。東条さんと同居している姉妹か娘だったのかもしれない。
やがて騒ぎが大きくなり、警察官数人と母が部屋に飛び込んできた。
彼は助かった。
何日経っていたのかは分からない。時計もなく、日の光もなかった。ただ、学校に戻ると授業が少し進んでいた。そして、しばらく保健室でカウンセリングを受けることになった。
彼はもうこの出来事を過去のものとして受け入れている。
だが、母にこの話を振ると、いまだに苦しそうな顔をする。
その日、東条さんはなぜ彼を連れ込んだのか。
なぜ包丁を持っていたのか。
そして、なぜ数日間も閉じ込めたのか。
彼は、いまだにその理由を知らない。
(了)