両親が営んでいたのは、町で三代続く文具店だった。
ノートや鉛筆のほか、小中学校への納品も請け負っていたから、うちは自然と町の内側にいた。役場の職員、地元議員、消防団、葬式帰りの親戚連中。レジ越しに交わされる世間話は、いつも核心の手前で止まる。踏み込まない代わりに、逃がさない距離だった。
その町で、五歳の男の子が死んだ。
昼過ぎ、家の前で遊んでいるのを近所が見ている。それが最後だった。翌朝、町外れの橋の下で見つかった。岩に叩きつけられたような状態だったという。事故では説明がつかない損傷。落下ではなく、意図的に落とされた可能性が高いと、新聞は遠回しに書いた。
夕暮れどき、橋のたもとから白いセダンが急発進したという目撃があった。ナンバーは不明。冬の薄暗さがすべてを均した。
警察は早い段階で外部犯の線を薄く見た。土地勘がなければ入り込みにくい地形。加えて、被害者の両親が事件の直前にまとまった金を得ていた。土地売却だの投資だの、噂は枝分かれしたが、結局は家の内側に戻っていった。
ここまでは、公に出た話だ。
その先を知ったのは、店の奥の六畳間だった。
県警に勤める常連がいた。買い出しのついでに立ち寄り、奥で煙草を吸いながら親父と話すのが習慣だった。ある冬の日、親父が何気なく聞いた。
「あの川の件、どうなった」
男はカップの縁を指でなぞりながら言った。
「もう時効です」
軽い調子だった。
「結局、誰だった」
間が落ちた。
「身内でしょうね」
声は低かった。
「証言が全部ずれてる。時間も居場所も順番も。本来なら崩れるはずの食い違いが、なぜか全員で揃ってる。誰も慌てない。誰も揺れない。まるで最初から答えが決まってるみたいに、『見ていない』『家にいた』と言い切る」
「口裏合わせか」
「ええ。完璧に」
「犯人は分かってるのか」
男は首を横に振った。
「分かってる、というより……みんな知ってる。でも出さない。警察にも、町にも、外にも。家の中に置いたままにしてる」
そのとき、奥で話を聞いていた俺と親父の目が合った。すぐ逸らされた。あの瞬間、親父が何を考えたのか、今も分からない。
やがてその家族は町を出た。静かに、何も残さず。誰も追わなかった。追わないことが、町の総意だった。
噂だけが残った。夜中に誰かが自首しようとして止められたとか、親族会議が開かれたとか。裏取りのない話が、裏を持つかのように流れた。
橋の上に立つと、いまも違和感がある。川面を覗くと、自分の影の横に、もう一つ影が揺れる気がする。気のせいだと切り捨てるには、距離が近い。
最近になって、思い出したことがある。
あの冬の日、奥の部屋で話を聞いていたのは、俺だけじゃなかった。
襖の向こう、店の表に白いセダンが停まっていた。路肩に寄せられ、エンジンは切れていた。運転席に人影はない。ただ、後部座席の窓だけがわずかに曇っていた。
当時は気にも留めなかった。常連の男は徒歩で来ていた。親父は店から出ていない。あの時間帯、他の客もいなかった。
それから間もなく、親父は橋の近くの土地を買った。相場より安かったらしい。理由は聞かなかった。聞かなくても、親父は説明しなかっただろう。
いま、その土地は俺の名義になっている。
橋の真下だ。
川底をさらえば、何か出てくるかもしれない。けれど、掘らない。掘らなくても、夜になると音がする。水音に混じって、濡れた靴で石を踏むような、小さな足音がする。
あの白い車の後部座席で、泣き声を押し殺していたのは誰だったのか。
橋の上から、全力で投げ落としたのは誰だったのか。
町は言わない。家族も、警察も、俺も。
ただ一つ確かなのは、あの日、町は決めたということだ。
出さないと。
橋の下に立つたび、その決定が足元から伝わってくる。土はやわらかい。踏みしめると、沈む。
あれは過去の話ではない。
埋めたままにしているのは、遺体ではない。
名前だ。
いまも、この土地の中で呼ばれずにいる。
[出典:490 :本当にあった怖い名無し:2005/12/01(木) 10:13:15 ID:pbKOlqiZ0]