父の店は、町道と県道のちょうど分岐点にある。
朝から晩まで、近所の人間が何かしら理由をつけて立ち寄る。買い物のついでに世間話をし、用もないのに長居をする。
私はその空気の中で育った。
だから、あの事件の話も、特別なものとして聞いたわけではない。いつもの延長だった。
数年前、この町で五歳の男の子がいなくなった。翌朝、高架橋の下の川で見つかった。落ちたのではなく、落とされたと誰もが言った。
新聞は数日騒いで、やがて黙った。
犯人は捕まらなかった。
白っぽいセダンが橋の近くを走り去った、という曖昧な証言だけが残った。
あの橋は、店から車で二十分ほどの場所にある。
山に入る手前、街灯もまばらな区間だ。
事件から数年後の夜、父が珍しく店を早く閉めた。裏の小さな居間で、焼酎を飲みながら、ぽつりと話し出した。
「もう迷宮入りだとさ」
誰から聞いたのかは言わなかった。
ただ、「口をそろえてる」とだけ言った。
身内から犯人を出すのは恥だ。
だから、誰も言わない。
父はそう繰り返した。怒っている様子でもなく、同情しているわけでもない。ただ事実を並べる口調だった。
私はそのとき、父の顔をまじまじと見た。
目は、どこも見ていなかった。
それからしばらくして、町で妙なことが起きた。
橋の下の川沿いに、誰かが白い花を置き始めたのだ。
最初は命日だったのかと思ったが、日付はばらばらだった。
雨の日も、雪の日も、必ず新しい花がある。
花屋は町に一軒しかない。うちの店の斜め向かいだ。
ある晩、閉店後に父が車を出した。
「配達だ」と言ったが、伝票はなかった。
何となく気になって、私は自転車で後を追った。
山に向かう道へ入る。あの橋の方向だった。
父の車は、橋の手前の待避所に止まった。
ライトを消し、しばらく動かなかった。
私は少し離れた場所に身を隠した。
川の音だけが聞こえる。
やがて父は車から降り、トランクを開けた。
白い包みを抱えて橋の欄干へ向かう。
花だと思った。
だが、包みは妙に大きかった。
父は欄干の向こうを見下ろし、何かをつぶやいた。
その声は川音にかき消されて聞こえない。
次の瞬間、父は包みを持ったまま動かなくなった。
投げるのかと思ったが、そうはしなかった。
長い沈黙のあと、包みをトランクへ戻した。
そして何事もなかったように帰路についた。
私は橋の上に残った。
欄干に触れると、冷たさが指先に残った。
下を覗き込む。
川面は暗く、何も見えない。
そのとき、背後でエンジン音がした。
振り返ると、白っぽいセダンがゆっくりと橋を渡っていくところだった。
ナンバーは見えなかった。
見ようとしたのに、視線が合わない。車体が夜に溶けていく。
それ以来、父は事件の話をしない。
花も、いつの間にか置かれなくなった。
ただ、店の裏に停めてある父の車は、夜になると時々エンジンがかかる。
誰も乗っていないはずなのに、ヘッドライトが一瞬だけ点く。
私は一度、車内を確かめたことがある。
トランクを開けると、白い包みが置いてあった。
開けなかった。
開ける理由がないからだ。
けれど、橋の下で見つかったという男の子の年齢を思い出すと、どうしても大きさを比べてしまう。
父は今も、地域の人間と笑い合っている。
あの夜のことを、誰も知らない。
この話をここに書くのは、少し迷った。
でも、もしあの橋を通ることがあれば、欄干に触れてみてほしい。
冷たいはずなのに、妙に温い日がある。
そのとき、背後を振り返らないほうがいい。
[出典:490 :本当にあった怖い名無し:2005/12/01(木) 10:13:15 ID:pbKOlqiZ0]