親父が色々話してくれたから書こうと思う。
834 :本当にあった怖い名無し:2012/05/28(月) 18:18:14.34 ID:kLwX4qZo0
本当に肝心なところが詳しく言えないんだけど、容易に想像つくと思うから特定とかは本当にやめてほしい。
うちは代々、瀬戸内の片田舎で医者をやってるんだけど、どうやら先祖は、うちからかなり離れた瀬戸内の小島で*御殿医をしてたらしい。
御典医(ごてんい)とは、典薬寮に所属する医師のことであり、単に典医ともいう。転じて、江戸時代には将軍家や大名に仕えた医師もこの名称で呼ぶようになった。この場合、御殿医と表記することもある。
典薬寮医師という意味での御典医は、名誉職であった典薬頭を除き、実際に天皇の治療に携わる医師のことを指した。近世では優秀な民間医が典医に登用されると同時に官位を与えられ、地下人の身分となるケースがほとんどを占めた。
一方、武家の御典医は、将軍や藩主と身近に接する立場で、武士に準ずる身分であった。[出典:Wikipedia]
でも、明治時代に入ってから今の土地に移って、診療所を開設したそうだ。
俺は、大政奉還の時にお殿様ともバラバラになって、新しく始めたんだろうなって軽く考えてたんだけど、現実の重さは違った。
どうやらうちの家は、いわゆる「御殿医」だったらしい。でも、普通の医者とは少し違っていて、裏の仕事をしていたようだ。具体的には、家族や権力争いで相手の奥方を堕児させたり、精神を狂わせたり、さらには毒を盛ったり…といったことをしていたようだ。
他にも、もっと直接的で過激な話もあるけれど、さすがにここでは話せない部分も多い。まあ、普通の医者なら、そんな危険な仕事をしていれば途中で口封じのために命を奪われてしまいそうなものだが、うちの先祖はなぜか巧妙に世渡りして、反対意見を次々と排除していった結果、時にはお殿様に匹敵するほどの発言力を持っていたらしい。
そのため、うちの家系はかなり豊かな生活をしてきたわけだが、どうやらその裏には大きな代償があったようだ。というのも、うちの家系には、奇形の子供が代々生まれるという呪いのようなものがあったらしい。
今でも家の庭には先祖の塚が残っているが、それはさておき、問題はその奇形のことだ。
奇形の特徴は様々だったが、共通していたのは、みんな知恵があったこと。ただ、当時の時代背景を考えると、堂々と育てることはできなかった。最初は奇形がわかるとすぐに閉じ込められたり、最悪の場合は命を絶たれたりしていたようだ。
しかし、家系の権力が最も強かった時代に、ひとりの人物が登場する。その人物はもともと分家だったが、急激に本家を凌ぐような権力を手に入れることになる。そして、その人物が始めたのが、奇形の親族を島の外へ隔離するという方法だった。
本家や他の分家は最初反対していたが、罪悪感からか、遠い場所ならばいいだろうということで、結局その人物の提案が受け入れられた。そして、奇形の子供が生まれるたび、その人物は島外に子供を引き取っていった。
ところが、ある日、その人物が子供を引き取った翌日、島の本家筋と分家筋の全員が死亡するという事件が起こる。詳しいことは分からないが、家系図に記録があり、実際に確認したところ、全員の命日が同じ日になっていた。死因は全員「憤死」と書かれていた。
その後、唯一生き残ったその人物が島に戻り、家の裏の仕事を再開することになった。そして、明治時代に入るまで、うちの家の権力はますます強まったという。
そして、現在の診療所に至るまでの経緯だが…実はそれについては詳しく話せない。ただ、少しだけ。
診療所の地下には、庭の座敷牢に通じる地下道があり、その前には蟲塚と簡単な石が置かれている。そして、今日からはその場所にお供え物をすることになった。
産婦人科医を継いだ俺が…。