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中編 r+ 定番・名作怖い話

封じ【定番・名作怖い話】r+6875

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アパートに帰り着くと、郵便受けに手紙が入っていた。

色気のない茶封筒に墨字で書かれた文字が目に入る。間違いない、泰俊からのものだ。奴からの手紙もこれで三十通目。前回から少し間が空いていたので心配したが、元気そうだ。宛名の文字に力がある。

部屋に入り、封を切った。封筒の外側の整った文字とは対照的に、手紙の中の文字には乱れが見られた。俺は手紙から目を離し、何かを思い出そうとした。

不意に、数年前の出来事が脳裏をよぎった。慣れない運転で疲れを感じていた時のこと。山深い田舎の曲がりくねった道を走っていた。緑の美しさに目を奪われたのは最初の一時間ほど。それ以降はひたすらに退屈で疲労が溜まっていく一方だった。

助手席に座っていた泰俊は、運転を代わる素振りすら見せない。普段は彼が運転役だというのに。

堪えきれず、少し広くなった道脇に車を停めた。泰俊が「どうした?」という顔をするのを見て、俺は声を張り上げた。

「運転代わってくれ!」

「康介……俺は今、免停中だ。法を犯すことはできない」

そう言って、彼は合掌する仕草を見せた。泰俊は寺の長男で、将来は僧侶になる予定だ。普段は頼りになる男だが、この時ばかりは怒りが込み上げた。

「お前、スピード超過で免停食らっといて、その言い分か?それでも坊主か?」

俺が噛みつくと、泰俊は涼しい顔で応じた。

「俺は反省しているんだ。二度と過ちは繰り返さない。そんな俺をそそのかそうとするお前は何だ?悪魔か?」

さらに前方を指差し、「《朝立まであと4キロ》」と書かれた古びた看板を示した。今回の目的地だった。

「ここまで来て投げ出すのか。情けない奴だな。仕方ない。お前のために再び罪を犯してやるよ」とため息をつきながら言う。

俺は一言、「もういい。運転する」とだけ返し、再びハンドルを握った。

長く感じられた4キロを走破し、ようやく目的地の町に到着した。ここで友明というもう一人の友人と合流する予定だった。彼はこの町の出身者である。

町に着くと、約束の場所である小学校の跡地を目指した。過疎化が進んだこの町では、会う人はみな年配者ばかりで、俺たち三人のような二十代の若者はほとんど見当たらなかった。それでも、町の人々は明るく朗らかに接してくれた。

やがて、友明がニヤニヤ笑いながら近づいてきた。

「お疲れさん。お、康介が運転か。じゃあ、少し休憩してから出発するか?」

俺は驚いて問いかける。「え?ここが目的地じゃないのか?」

友明は首を傾げながら答える。「ゴールはここからさらに一時間くらい山の中だ。」

「友明……運転は?」

「俺、ペーパーだ。危ないよ。」

この旅が何だか調子の狂うものだという予感が、この時点で確信へと変わった。いつもなら俺たち三人が役割を分担し、ワイワイと楽しむのが常だったが、今回は違う。泰俊は終始黙り込み、友明もどこか緊張している。そして、俺は運転疲れで気力を削がれていた。
観光でもバイトでもナンパでもない、この旅の本当の目的。それは魔物を「封じる」ためのものだった。

すべての始まりは春先、まだ寒さが残る頃だった。俺の部屋で泰俊とゲームをしていると、友明が訪ねてきた。普段と違う、神妙な面持ちで「力を貸してほしい」と言う。

冗談交じりに「彼女と喧嘩でもしたのか?」と問いかけると、友明は微笑みを浮かべたあと、すぐに真顔に戻り、話し始めた。

「俺の地元の寺の住職が危篤なんだ。」

何でも、友明の家はその寺を支える四家の一つで、住職が亡くなる際には「御役」という役目があるらしい。御役には四家の家長がつくことが伝統だったが、友明の父親は病気でその務めを果たすことができず、友明が代行することになったという。

ただし正式な家長ではないため、介添え人を三名まで付けることが許されていた。しかし地元では介添え人が見つからず、異例中の異例で部外者の協力も認められたとのこと。

話を聞いて真っ先に浮かんだ疑問を口にする。

「まさか今の時代に坊主のミイラでも作る手伝いをしろって言うのか?」

友明は苦笑しながら、「そんなわけないだろ。相手は死人じゃない。魔物だよ」と答えた。

友明は恥ずかしそうに「住職の死肉を喰らいに来る魔物を封じるのが御役の役目なんだ。」その突飛な話に、しばし沈黙が流れた。

「嘘だろ?」と俺は声を上げる。

「いや、マジだ。お前らは何もしなくていい。ただ見ているだけで終わると思う。多少、決まり事があるから、それを守って動いてくれればいいだけ。」

友明は言葉を続けた。

「俺たちが魔物に襲われることは絶対にない。最悪でも熱を出して二、三日寝込むくらいだ。」

話を聞きながら、俺はもっとアクションのある展開を期待していたことに気付く。御札や呪法、結界といったものが登場するのかと思いきや、そんなものは一切ないという。

「ただ、魔物が出てくる場所が決まっていて、それを封じるだけだ。お前らはその場にいて見守ってくれればいい。」

俺は半ば好奇心で協力を決めた。だが、霊感のある泰俊が黙り込んで考え込んでいたのが気になった。それでも、最終的には泰俊も同行することになり、介添え人は俺たち二人に決まった。

友明は先に地元へ帰り、俺たちは後日連絡が来たらすぐ向かうように念を押された。

駅で友明を見送る際、俺はふと聞いてみた。「相手の名前は何て言うんだ?」

友明は振り返り、歪んだ笑顔を浮かべただけだった。

駅からの帰り道、泰俊は無言だった。普段明るい彼が珍しく暗い表情をしている。

「友明、なんで魔物の名前を教えなかったんだ?」

泰俊に問いかけると、彼は俺の顔をじっと見つめて言う。

「お前は馬鹿そうに見えるが、いざという時には頼りになる。今回のアイツの頼み事はお前が要になるかもしれないな。」

「俺ってそんなに馬鹿そうか?それに友明は危険はないって言ってたじゃないか。」

泰俊は「友明は俺たちには嘘をつかない。ただ、地元の人間が協力しないのは妙だ。多分、名前を教えないのは、名前を口にすることすら憚られるモノだからだろう。」
さらに

泰俊は、低い声で言った。「坊主が死んで出てくる奴だ。坊主の端くれの俺には相性が悪すぎる。」

俺は思わず尋ねる。「じゃあ、なんでお前はこの話を受けたんだ?お前の話を聞くと、マジでヤバそうじゃないか。今からでも断るか?」

泰俊は小さく笑い、「お前な……友明は俺たちが行くってなって初めて帰る決心をつけたんだ。アイツは地元の決まりから逃げられない。それをお前は知らないかもしれないが、俺にはわかる。だから、俺は友明を裏切れない。」

「俺だって友明を助けたい。だけどお前はヤバそうだ。今からでも断る?」

「俺が友明を見捨てたら、もう二度と親友としての信頼は取り戻せない。お前もそうだろう?」

俺は、泰俊の一言に心を揺さぶられた。最初は軽い好奇心で受けたこの話が、一気に重くのしかかってくる。肝試し感覚だった期待が、いつの間にか恐怖にすり替わっていた。

泰俊がいつもの笑顔を見せ、「お前ってほんと単純馬鹿だよな」とからかう。

「馬鹿にするな!」と俺は軽く怒ったふりをして応じたが、心の中に漠然とした不安が消えないままだった。

到着した寺は、山門のある立派な佇まいだった。広場に車を停め、歩いていくと寺内から六十代くらいの男性が現れた。

「友明君、彼らが介添え人か?」と問いかける。

友明がうなずこうとすると、その男性は片手を挙げて制した。「名前なんてお互い知らなくていい。」

「ここでのことは原則、他言無用。ただし喋りたければ自由にしていい。どうせ誰も信じないからな。私も未だに“見えない”が、“音”だけは誰にでも聞こえる。それで奴がいることはわかるんだ。」

男性は淡々と説明を続けた。「他の二人の御役が住職を見ている間に、これからの話を簡単に説明する。詳しい『云われ』は“封じ”が終わってから、友明君にでも聞けばいい。」

そう言うと、俺たちを寺の裏手へ案内した。そこには石造りの古い井戸があった。口を木の棒が乱雑に覆い、その上に竹製の籠のようなものが被せられていた。

「この井戸に魔物が封じられている。」と、男性が説明を始めた。

「住職が亡くなると、七日目の夜に封が解ける。奴は住職の遺体を喰らおうと出てくる。だから、新しい封を作らなければならない。」

その封とは、井戸の口に木の棒をランダムに並べ、竹籠を被せるものだった。一段目に七本、二段目にも七本と順に組み上げ、最終的には六段目だけ八本を使う。特別な呪いをかけた一本を含めることが肝心だと言う。

その特別な棒を守るため、残りの四十九本の棒はダミーだとのこと。

俺は一つ疑問を投げかけた。「この封じをする時、俺たちはいなくてもよかったんですか?」

男性は少し苦笑しながら答えた。「“行きは良い良い、帰りは怖い”というだろう?今の封じは“死蓋”といって、住職が死ぬ三日前に作られたもので、力が弱い。棒も一本足りないんだ。住職が亡くなることで強くなった魔物を封じ直すために、あえて破らせる仕掛けなんだよ。」

俺たちが行う封じは“生蓋”と呼ばれる本格的なものだった。「生蓋」は次の住職が亡くなる前に再び作られるものらしい。その話を聞き、いよいよ今回の任務の重要性を思い知らされた。

夜が更け、静まり返った寺内で、俺たちは線香をあげに本堂へ向かった。天井には歴代住職の名札が並び、右端には初代住職の名前があった。泰俊はその名札をじっと見つめていた。

「知ってる人?」

俺が尋ねると、泰俊は「ああ……」と短く答えた。

「ええっ、マジかよ?」

「……お前は何にでも引っかかりすぎだ。」泰俊は無理に笑みを作り、話を終わらせた。
その夜、友明は「音が聞こえ出すかもしれないが、気にするな」と言い残し、本堂で寝ずの番についた。俺たちは部屋に戻り、布団に入った。

真夜中、子猫のような「ミャーミャー」という声が耳に届いた。猫好きの俺は思わず起き上がろうとしたが、泰俊が強い力で俺の膝を押さえつけた。

「猫じゃねぇ。絶対に外には出るな。」低い声で囁かれ、俺は布団に戻るしかなかった。
甘ったるい子猫の鳴き声は、それでもやむことなく続いていた。声を聞いていると、不思議と「助けてやりたい」という気持ちが湧き上がる。猫好きにはわかるだろう、あのどうしようもない衝動。しかし泰俊の静かな圧力に逆らえず、俺は布団に潜ったまま朝を迎えた。

翌朝、目覚めると泰俊はすでに起きていた。しかしその顔色はひどく悪い。聞けば、彼は一睡もできなかったという。

「お前の図太さには驚かされるよ。」それが彼の「おはよう」の代わりだった。

昼を迎え、夕方が近づくと、俺たちはある衝撃的な光景に直面した。例の井戸の近くにある大木に、住職の遺体が吊り下げられていたのだ。

落ち窪んだ目、縛られた顎、青白い肌、黒ずんだ背中。あまりに生々しいその姿に、ただでさえ張り詰めていた神経がさらに緊張感を増した。

遺体には藁縄が無数に掛けられ、その先端が地面に伸びていた。地面には黒い染みが広がり、おそらく住職の体液か何かだろう。しかし奇妙なことに、嫌な臭いはほとんどしなかった。

周囲には薪がC字型に積まれ、隙間を塞いで魔物を閉じ込める準備がされていた。この後、遺体は降ろされて一緒に焼かれるという。

「遺灰と遺骨の一部を井戸に入れ、新たな封をする。これで終わりだ。」おじさんが淡々と説明した。

その時点では、俺の中にまだどこか「これは変わった火葬の儀式だ」という思いが残っていた。しかし、それが甘い考えであることを思い知らされるのは、夜八時を回った頃だった。

「ミャーミャー」という子猫の声が再び聞こえ始めた。次第に井戸の上にある竹籠が揺れ出し、「ガシャガシャ」と棒が地面に落ちる音が響く。

そしてとうとう竹籠が「バリバリ」と音を立て崩れ落ちた。

息を呑んで見守る俺たち。子猫の声は次第に吊り下げられた住職の遺体へと近づいていく。

俺の目には何も見えない。しかし、そこには確実に「何か」がいるのだ。

声は一つではなく、何十匹もの子猫が同時に鳴いているようだった。その不気味な鳴き声が、体の奥底から恐怖を呼び起こす。

横を見ると、泰俊が異様な表情を浮かべていた。目は虚ろで、口元は震えている。思わず彼の腕を掴んで引き下がらせると、彼は「すまん」と小声でつぶやいた。

「お前、まさか見えたのか?」

泰俊はうなずきながら答える。「ああ……こいつはひどい……」

言葉の重みに恐れを感じる間もなく、大枝が「メキメキ」と不気味な音を立て始めた。風もないのに、遺体がクルクルと回りだし、吊るされた縄が不気味に揺れる。

御役の四人は薪の隙間を塞ぎ始め、お経と鉦の音が響く中、住職の遺体が地面に落とされた。「ドサッ」という鈍い音が響く。

薪が火を噴き、遺体を包み込むように燃え上がった。その炎の中、あの鳴き声は次第に小さくなり、やがて完全に消えた。

炎が落ち着き、遺体が骨となるまでの火の番。目の前で人が焼かれる様子は、想像以上に重かった。これが終わったら、確実にトラウマになりそうだと思った。

明け方になり、焼け残った遺骨が木箱に収められた。灰と一緒に集められた骨が、俺たちのもとに運ばれてくる。

「さて、これで最後だ。頼む。」おじさんが声をかける。

友明が遺灰を受け取り、井戸の中に撒いた。俺たちは指示に従い、新たな封を完成させる。七段の木製の格子が井戸の口を覆い、竹籠を被せると、すべてが終わった。

魔物封じの儀式は無事に完了した。

辺りが白み始め、気が緩んだ瞬間、俺たちは深い安堵と疲労を覚えた。

しかし、その後の泰俊の様子が、またしても俺を不安にさせる。彼は井戸の脇に佇み、何かを凝視していた。そして、静かに言った。

「康介……井戸の横に、女の子がいた……」

「女の子がいた……?」

泰俊の言葉に、俺は息を呑んだ。彼は疲れ切った表情のまま続ける。

「四~五歳くらいの裸の女の子。でも……左肩から一本、右脇腹から三本、蜘蛛の足が飛び出していた。それだけじゃない……左の首筋には蜘蛛の頭がついていたんだ……」

泰俊は目を閉じ、頭を抱えながら言葉を絞り出す。

「井戸の横にいたんだ……あれも一緒に封じられたよな?」

俺は必死に泰俊を励まそうとする。

「大丈夫だよ。ちゃんと封じた。だからもう平気だ。」

根拠のない言葉を紡ぐ俺の胸には、不安が渦巻いていた。

その夜、泰俊は高熱を出した。体中が燃えるように熱く、意識が混濁しているようだった。

友明の実家で二日間の静養を経て、ようやく回復した泰俊を連れて、俺たちは帰路に着いた。帰り道では友明が運転を買って出てくれた。

助手席に座る余裕が生まれた俺は、景色が新鮮に映ることに感心していたが、市内に近づくにつれ、友明の運転に肝を冷やす場面が増えた。

「ブレーキ!ブレーキ!!」と叫ぶ羽目になり、無事に帰りつけたことに安堵したのは言うまでもない。

帰りの車内で、元気を取り戻した泰俊が魔物の姿を絵に描きながら、見たものを説明した。友明もその説明を聞きながら、時折驚きの声を漏らす。

泰俊の言葉によれば、魔物はコンビニのおにぎりほどの大きさの赤ん坊の頭に、無作為に手足や蜘蛛の足が付いていたという。下顎の元に付いた口が開閉しながら、「ミャーミャー」と鳴いていた。

それが何十匹も住職の遺体に取り憑き、遺体が焼かれると同時に鳴き声を止めた。やがて目を開けて、血の涙を流しながら御役を見つめていたという。

友明は言葉を失い、泰俊を気遣うような表情を見せた。

だが泰俊は、井戸の横にいた「女の子」の話を一切しなかった。俺もその話題には触れなかった。

無事に自宅に戻った俺たちは、泰俊と友明を招いて、ささやかな酒盛りを開いた。封じの儀式を終えた後のけじめとして、そして友明に「云われ」の詳細を聞くためだった。

焼酎の瓶を片手に、友明が語り始めた。

「俺も全部を知っているわけじゃない。御役四家には、封じにまつわる話が昔話みたいな形で伝わってる。だが、家長にならないと詳細はわからない。」

彼は缶ビールを開け、間を置いて話を続ける。

「今回、俺は親父の代理だった。だから新しく知ったことは、封じの作法くらいだ。そっちは泰俊向けの話だから、省くけどな。代わりに、昔話をしてやる。」

江戸時代初期、大きな戦があった。戦によって村の男たちの多くが命を落とし、残された村人たちは餓えに苦しんだ。それでも次第に平穏を取り戻し、村では蜘蛛を大切にする風習が生まれた。

蜘蛛は「網で獲物を捕らえて放さない」という性質から、多産や繁栄を象徴する存在とされ、手厚く保護された。特に「コガネグモ」は地元では「ダイジョウ」と呼ばれ、神聖視されていた。

しかし、蜘蛛を殺すことや、女性が蜘蛛に触れることは厳しく禁じられた。

ある日、この村の名主の家で婚礼が行われた。隣村から名主の次男坊が婿として迎えられた。若夫婦は仲睦まじく、すぐに妻が身籠った。名主夫妻も孫の誕生を心待ちにしていた。

しかし、隣村から来た婿はどうしても蜘蛛に馴染むことができなかった。ある日、涸れ井戸の近くで見たこともないほど大きな蜘蛛を見つけた彼は、家人に世話を押し付けられるのを恐れて、その蜘蛛を殺して井戸に捨てた。

運悪く、その場面を身重の妻が目撃してしまう。妻は、妊婦のいる家で蜘蛛を殺すのは不吉とされていることを理由に夫を責め立てた。だが、婿は妻をなだめようとしながらも、次第に言い争いが激化し、揉み合いの末に妻を井戸へと突き落としてしまった。

駆けつけた家人によって妻は引き上げられたが、すでに命を落としており、腹部が裂け、赤ん坊が露出していた。女の子の赤ん坊だったが、生き延びることはできなかった。当時、水子は供養されることもなく、そのまま井戸の底に埋められた。

それから間もなく、「猫の鳴き声の怪異」が村を襲い始める。最初は「ミャーミャー」というか細い声だったが、やがて「まんま、まんま」と聞こえるようになった。ある晩、寝ていた村人が虫に体を齧られるようになり、傷口は治りにくく、激しい痛みを伴った。

この出来事は妊婦の水子が化けて出てきたものと噂され、村中が恐怖に包まれた。さらに婿が怪異に襲われ、他の村人とは異なり、体を「喰われる」という表現がふさわしいほどの傷を負った。

奇妙なことに婿本人は痛みを感じておらず、それ以降、他人が怪異に遭うことはなくなった。だが婿は徐々に「喰われて」いき、次第に衰弱していった。

名主夫妻は婿を実家へと追い返したが、それがさらに事態を悪化させる。婿がいなくなると、怪異は再び村全体に広がり、さらなる被害をもたらした。結局、村は婿を呼び戻す決断をするが、隣村の名主が息子を守ろうとして断る。

追い詰められた村人は遠方の寺に使いを出し、怪異を鎮める方法を求めた。その知らせを受けた寺では、怪異を鎮める法を知らず困惑していたが、ちょうどその寺に滞在していた旅の雲水が自ら役目を引き受けた。

雲水は村に到着し、怪異の原因を突き止めるために結界を張って一晩を過ごした。その後、隣村に住む婿のもとを訪ね、彼の家族の前で語り始めた。

「婿殿が殺された蜘蛛は、村を守護する神聖な存在でした。それが古の悪霊に取り憑かれ、婿殿を陥れようとしましたが、あなたに付いている神がそれを許さなかった。その結果、奥方ごと悪霊は地獄へ送り返されました。」

雲水の話は

「井戸は冥界に通じ、魔物を生む産道となったのです。蜘蛛の子が親を喰らうように、魔物が人間に災厄をもたらしています。この災いを鎮めるには、婿殿が己の命を捧げるしかありません。」

その後、雲水は婿を井戸の中で祀り、彼を僧籍に入らせたという。

友明の話を聞き終えた俺は、黙ったまま焼酎を一口飲み込んだ。

寺で見た名札、そして続いていく封じの歴史。泰俊も何かを感じ取ったようだった。友明が話を締めくくる頃には、三人とも疲れ果てた表情を浮かべていた。

「俺たちは無事に帰ってこられた」と思いたかったが、どうもそう簡単にはいかないらしい。

時間が経ち、普段の生活に戻ったある日。俺の元に泰俊からの手紙が届いた。それは彼がいきなり姿を消してから初めての連絡だった。

手紙には、自分が今「ある場所」でお祓いを受けていることが書かれていた。そして井戸で見た「女の子」に取り憑かれていると告白していた。

彼女は、俺たちが「蜘蛛水子」と呼んでいた魔物の中でも一際異質な存在だった。泰俊の言葉によれば、彼女は蜘蛛と人間の融合体で、井戸に封じられるべき「最も危険なもの」だったという。

しかし、なぜ泰俊に取り憑いたのか。それは彼の名前が原因だった。

泰俊の祖先、初代「泰俊」。彼は村を救うために封じを施した僧であり、名前が一致していることから、魔物に「親」と認識されたのではないかと手紙には書かれていた。

その事実を寺で名札を見た時に察した泰俊は、自分が危険に晒される可能性を感じつつも、友明を助けるために同行する決意を固めていたのだという。

俺はこの手紙を読んでから、頻繁に彼と文通を交わすようになった。彼の体調や、徐々に明らかになる「蜘蛛水子」の詳細について書かれた内容が、毎回俺を動揺させた。

魔物が彼に取り憑いた理由。そして、それをどのように取り除くかについて。

泰俊自身の苦しみは明らかだった。それでも彼は、俺たちを守るためにすべてを引き受けようとしているように思えた。

月日が流れ、友明が寺の新住職になったという話を聞いた。坊主の経験もない友明が住職になるのは、異例の事態だった。だが、彼はその重責を引き受けざるを得なかったのだろう。

「まるで生贄だな……」と独り言のように漏らしながら、俺は友明のもとを訪ねる計画を立てた。

そんな矢先、泰俊から再び手紙が届いた。そこには、彼のいる場所の住所と「待っている」という短い文が記されていた。

俺は必要なものをカバンに詰め込み、すぐさま電車に乗った。泰俊が俺を呼んだのだ。何かが起きている――そう確信せざるを得なかった。

電車を降り、指定された駅で待っていると、一人の若い僧侶が現れた。彼は俺を迎えに来たようで、無言で俺の荷物を持ち、車に案内した。

車内での会話はほとんどなかった。ただ、彼の鋭い目つきが印象的だった。何かを見続け、何かを背負っているような眼光だ。

目的地に着くと、そこは寺のようでありながらどこか異質な場所だった。裏口から案内され、古風な庭を横切る。庭の一角には、和装の女性が座っていた。その背中はどこか歪で、異様な気配を放っていた。

さらに進むと、廊下の雰囲気が突然変わった。まるで結界を越えたかのように空気が澄み、寒気が遠のいた。若い僧侶は立ち止まり、振り返って言った。

「こちら側は結界が張られています。悪しきものは入れません。では、どうぞ。」

その先の一室に通されると、そこには先客が二人いた。そのうちの一人を見て、俺は思わず叫んだ。

「泰俊!」

痩せ衰えた彼は、僧衣をまとい静かに座っていた。その姿は骨と皮ばかりで、かつての泰俊とは別人のようだった。

俺は彼に駆け寄り、手を握った。予想外に力強い握り返しがあり、その瞬間、希望の光が見えた。

「げ……元気そうで……よかった……」

彼のかすれた声を聞き、またしても胸が締め付けられる思いがした。俺はただ「うるさい」と返すのが精一杯だった。

彼が求めた助けとは何だったのか。そして、彼の祖父・道俊和尚が俺に託した言葉。

泰俊の祖父である道俊和尚が現れ、静かに口を開いた。

「康介君、遠路はるばる来てくれて感謝する。今、君が見たように泰俊は限界に近い。このままでは長くないだろう。」

和尚は深刻な表情で続けた。「結界を張り直したことで、直接体を齧られることはなくなった。しかし、奴の思念は届いているらしく、泰俊は日に日に衰弱している。逆に奴――娘は成長している。今や見た目は二十歳前後の若い女だ。」

俺は背筋に寒気を覚えた。寺の庭にいた歪な雰囲気の女性。その姿を思い出して、声が震えた。

「あれが……?」

和尚は静かにうなずき、「そうだ。彼女は、蜘蛛水子が集結し、人の形を取ったものだ。そして、泰俊に親を慕うように取り憑いている。」と続けた。

「泰俊を救うためには、彼女を完全に封じるしかない。そのためには泰俊自身が井戸の底へ降り、魔物に直接引導を渡す必要がある。」

俺は驚きのあまり口を開きかけたが、和尚が頭を深く下げた。

「康介君。どうか泰俊を助けてやってほしい。」

その真摯な姿に、俺は何も言えず、ただ頷いた。そして次の瞬間には決意していた。

「わかりました。」

俺と泰俊は再び封じの場である井戸の前に立った。今度は、泰俊がその底へ降りる。だが、彼は一人ではない。俺も一緒に行くと申し出た。

「康介、お前にはもう十分に感謝している。だが、ここは俺一人でいい。」泰俊の言葉は静かで、しかし揺るぎなかった。

俺はしばらく彼の顔を見つめたが、結局頷き、見送ることにした。

井戸の底は想像以上に広く、異様な空間だった。盛り土があり、そこが水子を埋めた場所だろうと泰俊は感じ取ったという。そして、彼女が現れた。

最初は静寂の中で「ニューニュー」という声が響き、徐々に歪んだ女の姿が現れた。その姿は、かつて泰俊が井戸の横で見た女の子から成長したものだった。

彼女は、父と呼ぶ存在である泰俊を見つめ、微笑んだ。

「父上……」

その一言が、泰俊に計り知れない衝撃を与えた。

泰俊は、自らの血で汚した経本を彼女に向けて掲げた。そして静かに、しかし確実な声で言葉を紡いだ。

「父たる我は、主が世にいづることを願わず。速やかに、去れ。」

その瞬間、彼女は悲しそうに微笑んだまま、崩れ落ちていった。ポトポトと音を立てながら、蜘蛛水子たちが地面へ吸い込まれていく。

残されたのは、井戸の中に漂う儚げな青い光だった。

泰俊は意識を失いかけたが、結界を張るための縄がしっかりと彼を支えていた。

井戸の上で見守っていた俺たちは、彼が無事に引き上げられるのを見て、ようやく安堵した。

道俊和尚は静かに言った。「これで、泰俊の呪いは解けた。そして、この井戸も新たな封じを必要としなくなるだろう。」

帰路についた俺たちは、言葉少なだった。泰俊は少しずつ健康を取り戻し、以前の彼に戻りつつあった。だが、彼が受けた影響は決して小さなものではなかった。

友明も、寺の住職として新たな道を歩むことになった。俺たち三人は、それぞれの人生の新しい一章を迎えることとなった。

だが、俺の胸にはいまだにわだかまりが残る。

魔物封じは終わったのだろうか?すべての呪いは解けたのか?

そして、井戸の底で見た彼女の悲しそうな微笑みが、頭から離れなかった。

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