2009年、年の暮れ。会社に一通の手紙が届いた。
宛先は俺、編集プロダクションに勤める身として、個人宛の手紙は珍しい。中を開くと、エッセイの添削と執筆指導を頼みたいという依頼だった。見覚えのない差出人に戸惑いながらも、奥付から名前を知ったのだろうかと考えた。
それでも、不信感を抱きながら返信を書く。持ち込み原稿なら読むが、個別の指導はできない、と。
翌日、宅配便の担当者から電話があった。宛先の人物が見当たらないと言う。その言葉に違和感を覚え、詳しく聞いてみると、宛先は北関東の刑務所だった。返信用封筒に記されていた住所そのままだったが、この展開にはさすがに動揺した。差出人の名前をネットで調べると、過去に傷害事件で逮捕された男のものだった。
収容場所が刑務所であることは確認できたが、調べた限りでは既に出所済み。誰かの悪質な嫌がらせではないかと考えた。再度封筒を見返すと、いくつか気になる点があった。差出人の住所と返信用封筒の住所が異なること、そして使われたペンが封筒と便箋で違うことだ。筆跡は同じように見えたが、この意図は何なのか、見当がつかなかった。
嫌がらせだと疑いつつも、腹立たしさと恐怖を押し隠し、形式的な文面で封筒の住所に再度返信を送ることにした。
数日後、返信が届いた。封筒の裏には先と同じ住所、送り主の名前も前回と変わらない。中身を確認すると、文面に血の気が引いた。
「○○○はもう三年も家に戻っておらず、捜索願を出しています。もし居場所をご存知でしたら、教えていただけませんでしょうか。」
ネットで見た情報では、差出人の息子と思われる人物の出所は昨年の夏頃のはず。三年前から家を出ているなら、捜索願を出す理由は不自然だ。刑務所にいるのを知らない親が捜索願を出していたとしても、警察は収容状況を把握しているはずだった。同姓同名の別人なのか、それとも別の事情があるのか。
真相を知りたい気持ちと、深入りを避けたい思いが交錯する中、文面に記された電話番号にかけることを決めた。市外局番は送り主の住所と一致しており、文面からは誠実さを感じた。電話に出たのは年配の女性だった。
質問をぶつけてみる。息子さんは傷害事件で服役していたのか、出所時期やその後の状況はどうなっているのか、文筆活動に興味があったのか。女性は驚きつつも応じた。
「○○○は大人しくて暴力沙汰なんて考えられません……三年前と言いましたが、家を出たのに気づいたのが三年前なんです。ずっと家に閉じこもりがちで、部屋の前に置いた食事にも手をつけず、思い切って部屋を覗いてみたら、いなくなっていました。」
彼女の話は切実で、息子への愛情が感じられるものだった。非礼を詫びながら、手紙が本当に息子のものか確認してほしいと頼むと、彼女は応じてくれた。数日後、指定された都内の住所を訪ねた。
応接室に通され、手紙を見せると彼女は驚いた様子で言った。
「この文字は○○○のものです。でも……返信用封筒に刑務所の住所なんて……あの子に限ってそんなことは。」
彼女によると、息子は高校卒業後に引きこもりがちになり、部屋にすら入らせてもらえないほどだったという。部屋を見せてもらえないかと尋ねると、しばらく躊躇した後、押し入れの天井裏が息子の"好きだった部屋"だと案内された。
薄暗い天井裏には、小学校の教科書や人形、漫画が散らばっていた。彼の直筆のものを探したが、見当たらない。吐き気を覚えながら天板を戻そうとした時、板の裏側に爪痕のようなものを見つけた。その瞬間、心の中で限界を迎えた。
帰宅後、酒を煽りながらも、得たものの多くが解決には繋がらないと感じた。それ以来、彼女からの手紙には適当に返事をし、関わりを断った。
今でも、あの出来事を思い出すと恐怖が蘇る。
名前を出す仕事をしている人間は、どんな依頼にも注意すべきだと痛感した。
(了)