これは大学の先輩、辺名古さん(仮名)から聞いた話だ。
彼が東京で大学受験に挑んでいた時の出来事である。
上京する前、辺名古さんには東京に特に知り合いもおらず、宿泊先として選んだのは都内のビジネスホテルだった。数校の受験を控えていたため、二週間ほどの滞在を予定していた。受験というプレッシャーを抱えつつ、緊張の毎日を送っていたある日のことだ。
試験を終え、夕刻、ホテルのロビーを通りかかると、フロント係に声をかけられた。
「辺名古さまでらっしゃいますよね?」
「はい、そうですが……」
「お客様宛にお預かりものがございます」
唐突な言葉に戸惑う。誰が自分に何かを預けたというのか。実家の親しか、このホテルに宿泊していることを知らないはずだ。
「間違いではないですか?」
「いいえ、辺名古さま宛で間違いありません。他に同姓のお客様もいらっしゃいません」
そう言われると否定しようがない。フロント係が差し出したのは、少し厚みのある茶封筒だった。
部屋に戻ると、辺名古さんはすぐにその封筒を開けず、実家に電話をかけた。しかし、親も「そんなものは知らない」と言う。再びフロントに返そうとしたが、彼の名字は沖縄でも非常に珍しいもので、人違いの可能性は低い。結局、自分宛のものとして封筒を開く決意をした。
中から出てきたのは、一枚のレポート用紙だった。手描きの地図が描かれている。現在宿泊しているホテルを起点に、最寄り駅から数駅先の地点へ向かう道筋が示されていた。地図の終点には、小さな矢印と「ココ」という文字。その傍らには、無骨な家の鍵が同封されていた。
鍵を見た瞬間、辺名古さんの背中に冷たい汗が伝う。誰が、何のためにこれを自分に渡したのか。理由がわからないどころか、考えるほど恐怖が募った。封筒を再び閉じると、そのままフロントに戻り、封筒を押し返した。
「申し訳ありませんが、受け取れません!」
それ以降、辺名古さんはホテル内でも落ち着かず、翌日も試験会場では心ここにあらずだった。残りの予定を切り上げ、彼は逃げるように沖縄へ戻った。
地図の場所には、当然ながら行っていない。いまだにその出来事が何だったのか、彼にも答えはわからないという。ただ、一つ言えるのは、あの封筒を開けた瞬間から、何か「見えないもの」に見られているような気がしたということだ。
辺名古さんはそれを「勘違い」だと言い聞かせてきたが、夜、ふと目を覚ますと今でも夢に出てくる。「あの鍵は、どこを開けるものだったのだろう」と。
そしてそれ以上考えるのを、自分で禁じているのだという。
(了)