学生時代でも社会人になってからでも、俺には胸を張って言える趣味なんてものがなかった。
あるのは、好奇心に駆られては何かに手を出し、すぐに飽きてやめる、その繰り返しばかり。要するに「続けること」そのものが苦手だったのだ。
そんな俺が、ある冬の時期に妙に山に惹かれた。手軽に登れる低山にいくつか通って、登山らしき真似事をした。息が切れる急登もあれば、緩やかな散歩道のような区間もあって、思いのほか面白い。気分は「登山家」だったが、実際はちょっと汗をかく週末の娯楽にすぎなかった。
一通りのコースを歩き終えて飽きかけていた頃、職場の先輩が「登山ってちょっと興味ある」と言い出した。渡りに船とばかりに俺は「いい山ありますよ」と誘い、週末に一緒に出かけた。
麓で相談し、先輩の希望で最も「登山っぽい」ルートを選んだ。午後二時過ぎに登り始めた山は、木々の影が長く伸び、昼だというのにどこか夕暮れのような色をしていた。
登山の作法として、すれ違う登山者に軽く挨拶を交わすと聞いていた。だから俺も先輩も、行き交う人に「こんにちは」と声をかけた。皆が返してくれるわけではなかったが、それも自然なことだと思っていた。
だが、不意に現れた五、六人ほどの年配の集団を前に、俺は一瞬、息を飲んだ。帽子にチェックシャツ、軽装のハイカーたち。何の変哲もない格好なのに、目に映るはずの「顔」が、どれひとつ思い出せない。直視しているのに、まるで白い靄を見ているようで、形も輪郭も記憶に残らない。
太陽を直視した後のような残像――それが彼らの顔の位置にだけあった。
通り過ぎたあと、俺は思わず「なんだ今の」と心の中で呟いた。だが、その後にすれ違った登山者の顔は普通に見える。だから「気のせいだった」と無理やり納得してしまった。
山中のベンチで休憩していると、先輩が妙な顔で「お前さ、目、おかしくないか?」と聞いてきた。「いや別に」と答えると、先輩は「俺、脳梗塞の前兆とかじゃないよな」と苦笑交じりに不安を漏らした。
その時、俺は思い出したのだ。「顔が見えなかった集団」のことを。慌てて口にすると、先輩は青ざめて「やっぱりお前もか……」と呟いた。二人とも同じものを見ていたのだ。
登頂を終え、下山を始めたのは午後三時半。冷え込み始めた山道を急ぎ足で進んでいると、前方の川沿いに妙な影が動いているのに気づいた。十メートルほど先に、チェックシャツの集団が、今度は登ってきていたのだ。
先ほど下山していったはずの彼らが、なぜ登ってくるのか。目の錯覚ではない。間違いなく同じ服装、同じ人数の一団だった。
俺たちは無言で彼らとすれ違った。最後のひとりを通り過ぎる瞬間、不意に間の抜けた女の声が背後から響いた。
「こんにちはぁ」
先輩がピクリと肩を揺らし、そのまま足を速める。だが、またすぐ背後から同じ声が追いかけてきた。
「こんにちはぁ」
声の調子も間合いも、まったく同じ。テープを繰り返しているようだった。俺は振り返らなかった。そうすべきではないと直感した。
ようやく先輩に追いつき、「さっきの集団……」と声をかけた瞬間、先輩は俺の胸ぐらを掴み、涙目で顔を寄せてきた。
「なぁ、目の前にいたんだぞ。挨拶までされたんだぞ。それでも顔が……顔が見えなかったんだよ」
押し殺すような声だった。震え、縋るような声だった。
俺は答えられなかった。なぜなら、その時すでに、自分の視界の端に映る先輩の顔すらも、ぼやけ始めていたからだ。
(了)