私が小学校三年生ころの話です。
107 名前: のぶ代 投稿日: 2002/08/20 02:01
そのころ、とても仲よしだった、きよみちゃんという女の子が、クラスにいました。
彼女と私は、毎日のように学校が終わると、お互いの家を行き来しては、ふたりで遊んでいました。
その日は、彼女の家の台所のキッチンテーブルで、ふたりでドラえもんを読んでいました。
その内容は、ドラえもんが、のび太に切抜き絵本のようなものを出してあげます。
それには、ケーキやおかし、車など色々なものがあり切り抜いて組み立てると、本物のように、食べれたり、乗れたりするというものでした。
きよみちゃんと私は早速、「おもしろい!まねしてみようよ!」と、画用紙や、ハサミ、色鉛筆を持ち出しました。
もちろん本物になることなどありえないと、理解できる年齢でしたが、とても楽しかったのを覚えています。
そして、日も暮れかかり、私が家に帰らなければいけない時間になりました。
きよみちゃんは、いつもそうするように、玄関の外まで、私を見送りました。
そのとき、きよみちゃんが言いました。
「のぶ代ちゃん。今日のこと、大人になっても忘れないで」
私はきよみちゃんが、いきなり変なことを言うのには慣れていたのですが、そのときは、彼女の様子がいつもと違うので、なんでー?と聞き返しました。
今こうしてふりかえると、確かにあの日のきよみちゃんは、いつもと雰囲気が違ったような気がします。
きよみちゃんは続けました。
「今日の私、三十二歳の私なんだ」
ますます私には、訳が分かりません。
でも彼女は続けます。
「2002年だよ。三十二歳。のぶ代ちゃんのこと思い出してたら、心だけが子供の私に飛んでっちゃった」
はっきりいって、聡明とはほど遠かった(今もね)子供の私は、なんだかわからないけど、二千二年と行ったら、超未来で、車なんか空飛んでたりする、という考えしかないくらい遠い遠い未来。
「ふーん。ドラえもんの未来からかー!」
なんて、バカな受け答えしかできませんでした。
きよみちゃんは、そんな私を笑いながら、
「それが全然!マンガの世界とはちがうよー」
と言いました。
そして、私ときよみちゃんは、また明日遊ぶ約束をして、別れました。
今考えると、なんであのときもっと問い詰めなかったんだろうと後悔しますが、なんせ子供だったし、きよみちゃんも私と同様、ドラえもんの影響で、ふたりでよくSFチックなことを、夢見ていたので、別にきよみちゃんが私に言ったことが、そんなに変とも思わなかった。
翌朝、学校に行くと、いつものようにきよみちゃんが私に、話しかけてきます。
まるっきり、いつものきよみちゃんでした。
そして、私もまた、きよみちゃんが私に言ったことなど、すっかり忘れて、そのまま毎日が過ぎて行きました。
そして、私たちは五年生になり、それと同時に私は地方へ引っ越すことになりました。
そしてそのまま、きよみちゃんと、二度と会うことはありませんでした。
今年、2002年。私は三十二歳になりました。
そしてハッとします。
あの日のきよみちゃんの言葉を思い出して。
もしかして、もしかして、もしかして……と。
私はその後も、引っ越しを繰り返し、今では海外在住です。
きよみちゃんを探したいのですが、結婚してれば名字も変わっているだろうし、どうやって見つけられるか。
あの頃の私は、片親だったので(当時はまだ珍しく、世間からは白い目で見られがちだった)、
「のぶ代ちゃんと遊んじゃだめよ。片親なんだから」
と、思いっきりよその子供の親が、私の目の前で言うなんてことも、珍しくなかったし、大嫌いだった先生にも、
「片親だからね。目つきも悪くなるんだろう」
と言われたこともあった。
そんな中、きよみちゃんだけが、私の友だちで、子供時代の唯一の理解者であったと思う。
会いたいと思う気持ちがそうさせたのか、二週間ほど前に、"あの日"の夢を見た。
あの日と同じ、きよみちゃんのおうちの台所。
キッチンテーブルいっぱいに、画用紙と色鉛筆。
私が自分の家から持ってきた、コロコロコミックが二冊置いてある。
当時コロコロコミックは、結構高価だったので、私ときよみちゃんは、かわりばんこに買って、ふたりで回し読みをしていた。
台所からは、六畳ほどの居間が見え、きよみちゃんのお母さんが、緑色の座椅子に座ってテレビを観ている後ろ姿が見えます。
本当に、何もかもが、私がこの夢を見るまで忘れていたことまでが、はっきりと、目の前にありました。
きよみちゃんが、ケーキの絵を画用紙に描いて、色を塗り、私はその横で、ハサミを持って、きよみちゃんが描くケーキを見つめています。
私は、夢の中で、「これは夢だ」と自覚していました。
きよみちゃんが、ふと手をやすめて、私を見ます。
そのとき、私は彼女に言いました。
「きよみちゃん。今日の私も、三十二歳!」
きよみちゃんは、びっくりした顔をしたと思うと、私を見つめて言いました。
「忘れなかったんだ。のぶ代ちゃん……」
きよみちゃんは、半分泣き笑いような表情です。
私も、泣きそうになるのをこらえながら、言いました。
「ドラえもんの未来じゃなかったねー!」
そして、ふたりで泣きながらも、大笑いしました。
そして……私は目が覚めました。
三十二歳の私の体で。
私は、泣いていました。
ただの夢だったと思う。
でも、私は時空を超えて、あのときのきよみちゃんに、会いに行ったのだと思いたい。
きよみちゃんが、そうしてくれたように。
こうやって文章にすると、作り話くさくなるね。
ちなみにこの話、誰にも話したこと無いよ。するつもりも無い。
不思議なのは、三十二歳になるまで彼女のことを、すっかり忘れていたということ。
だって、一緒だった期間は多分、二、三年だけだし。
私の見た夢は、多分きっと、私の気持ちが見させたものだと思う。
だけど、あの日のきよみちゃんは、本当に二千二年の私って言ったよ。
この他にも、彼女にまつわる(当時)不思議な話はあるんだよ。
きよみちゃんは、予知能力というか、カンがすごい当たる子だった。
今思えば、ドラえもん飼っていたんじゃないかと思う程。
コロコロコミックかなんか、忘れたけど、付録で付いてきた"かるた"(一枚のシートになってて、切り取り線にそって切り抜くようなやつね)、全部ふせて床に置いたの、
「これはのび太。これはジャイ子」とか、ほんと百発百中だったよ。
トリックがあったとは、今でも思えない。
「透けて見えるんだよ。よく見てると」って言ってた。
私、今カリフォルニアに住んでるから、まじで連絡取って一緒にラスベガスに行きたいよ。(汚いい心になったもんだ私も。大人になるってこういうこと)
私引っ越したの五年生の時だから、その小学校の卒業アルバム持ってないのよ。
もうひとつ、色々ツッこまれるの覚悟で、きよみちゃんが私のために雨を降らしてくれた話(今でも私はそう信じてる)
その日、"遠足のお知らせ"が配られた。
徒歩で二時間ほどかけて、ピクニックエリアのある大きい公園に行く、というもの。
遠足といったら、子供なら普通大喜びというところだけど、私は憂鬱だった。
なぜなら、前回の遠足が、つらい思い出になってしまったから。
他の子たちはみんな、当時流行りだった、ピンクや赤のサンリオ関係のお弁当箱に、タコのウィンナーやらハンバーグやらが入っていたりして、とてもかわいらしかった。
でも母子家庭の私の家は、そんな余裕もなく、男物(死んだ父の物)の、真四角で、銀色の、しぶ~ーいお弁当箱しかなかった。
もちろん、おかずなんて質素なもので、母の気持ちも考えず、
「こんなのイヤだ!赤いキティちゃんのお弁当箱買ってよ!おかずもウィンナー入れて!」
とだだをこねたりした。
母が申し訳なさそうに、何度も「ごめんね、のぶ代」と言っていた(ひどいよねー私も)。
そして遠足のお昼の時間、グループに別れてお弁当を食べることになり、(きよみちゃんは、別の班になってしまった)
私は、一生懸命お弁当を包んであるフロシキで、お弁当箱を隠しながら食べていた。
このふろしきがまた、やっぱり親父仕様だったんだけど。
でも、そのグループの中に、お約束のように意地悪なリーダー各の女の子がいて、目ざとく私のお弁当箱に注目。
リーダーは、にやにやしながら、隣りの女の子に、私のお弁当を指さしつつ、ひそひそと耳打ちした。
そしてまた、耳打ちされた子がそのまた隣りの子に、と伝言ゲーム。
全員(六人ぐらい)にまわったところで、大爆笑。
私は、本当に消えて無くなってしまいたかった。
前ふり長くなったけど、とにかくそういう理由で、私にとって、遠足イコール地獄、だった。
きよみちゃんも、あの時、遠巻きに見ていたらしく、遠足のプリントをもらった時、そんな私の気持ちを読んでか、
「のぶ代ちゃん。私遠足行きたくないな。学校の方が面白いし。のぶ代ちゃんも?」と言ってきた。
私は、即座に、「私も行きたくないんだ。あの子が意地悪するから……」と言った。
きよみちゃんは、「じゃあぁ、雨が降るように、お祈りしてあげるから!」と、言った。
そして、遠足の前の晩、母親が茶箪笥から例の銀色弁当箱を、出すのを横目で見つつ、オーマイガッとなりながら、布団に入った私。
次の朝……大雨。
そりゃもー本当に、ドシャ降りで、近所のドブ川は、あふれまくってた程。
嬉々として学校に行く私。もちろん遠足は中止。
「きよみちゃん!ほんとに雨降ったね!」
と、彼女を見つけるなり私は言った。
きよみちゃんは、にこにこと笑っているだけだった。
(了)