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吠えた場所が違った rw+5,284-0316

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実家は築四十年を超えている。

柱は日焼けして黒く、床板は歩くたびに湿ったような軋みを返す。冬になると壁の隙間を風が抜けて、家のどこかで細い笛みたいな音が鳴る。昔からそういう家だった。台所の奥で何かが落ちたような音がしても、廊下の向こうで板が鳴っても、古い家だからで済ませてきた。

家には三匹いる。母が連れてきた十一歳のダックスフント。私が飼っている二歳のボーダーコリー。半年前に拾った猫。家の中の物音の大半は、若い二匹が騒いでいるせいだとずっと思っていた。

あの日も、最初はそうだった。

夕方、居間で一人でいた。テレビは消していて、スマホだけ見ていた。玄関のほうから、ドン、と鈍い音がした。

一度だけではなかった。少し間を置いて、また、ドン、と鳴った。

その音で、昔のことを思い出した。弟が荒れていた頃、知らない男が家まで来て、乱暴に戸を叩いたことが何度かある。怒鳴り声の前に、決まってこういう叩き方をした。拳の骨で、怒りを確かめるみたいな叩き方だった。

息を殺して玄関へ向かった。覗き窓から外を見る。誰もいない。

引き返しかけたとき、背中のすぐ後ろで鳴ったみたいに、ドン、ともう一度響いた。

反射的に振り向いたが、もちろん廊下には誰もいない。玄関扉の前に自分が立っているのだから、音は外からしたはずだった。そう考えたのに、今の一発だけは、扉ではなく家の中の柱を叩かれたように聞こえた。

居間へ戻る気になれず、そのまま玄関の前で立っていると、今度は連続して鳴り始めた。ドンドン、ドンドン、と間を詰めるように。扉全体が小さく震え、古い蝶番がかすかに鳴る。耳だけで聞けば、外から来ている。けれど足の裏では、床板の奥から響いてくるようにも感じる。

そのとき、居間で伏せていたボーダーコリーが勢いよく走ってきた。玄関へ向かって吠えたが、上がり框の手前でぴたりと止まり、それ以上前に出なかった。行こうとしているのに、行けないようだった。爪が床を掻き、喉の奥でうなりが震える。

猫も来た。だが玄関は見なかった。猫が睨んでいたのは、廊下の先、老犬が寝ている部屋の暗がりだった。背を丸め、毛を逆立て、低く細い声で鳴き続けた。

どちらを見ればいいのか分からなくなった。

ガチャ、とノブが鳴った。

止まったかと思うと、もう一度、ゆっくり回された。内側から鍵が掛かっているのを確かめるみたいに、慎重な回し方だった。

覗き窓を見る勇気はなかった。見ても誰もいないと、もう知ってしまっていたからだ。いないものが入ろうとしている。その考えが浮かんだ瞬間、喉がひどく乾いた。

そのとき、廊下の奥で、爪が床を打つ音がした。

ゆっくり、ひとつずつ、間を置きながら近づいてくる。

老犬だった。普段は呼んでもなかなか起きず、起きても眠そうに首を振るだけのあの犬が、まっすぐこちらへ歩いてきた。目は妙に冴えていた。白くなった鼻先をわずかに上げて、何かの匂いを追うように空気を嗅いでいる。

ボーダーコリーは吠えるのをやめ、道を空けた。猫も声を止めた。

老犬は玄関の正面まで行かなかった。扉の少し手前、誰も立っていない空間の前で止まった。そこに、見えない誰かが立っているみたいだった。

それから一度だけ、短く吠えた。

高くもなく、低くもなく、昔この犬が若かった頃に来客へ向けていた、ごく普通の声だった。

その直後、ノブの音が止んだ。

叩く音も止んだ。

止んだ、というより、最初からそんな音はなかったみたいに消えた。家じゅうが水の底に沈んだように静かになった。風も鳴らない。壁も床も沈黙した。あれほど吠えていたボーダーコリーが、鼻を鳴らして一歩下がる。猫は玄関ではなく、老犬の横の空いた場所を見上げたまま、しばらく動かなかった。

老犬はもう一度だけ何もないところを見て、くるりと向きを変えた。こちらには目もくれず、寝床へ戻っていった。

その夜から、家の音が消えた。

床は軋まず、壁も鳴らず、風の笛も聞こえない。静かになった、と言えば聞こえはいいが、そうではなかった。何かが無くなった静けさではなく、耳を澄ませば別の何かが聞こえそうで、皆が息を潜めているみたいな静けさだった。

ボーダーコリーはそれから玄関に近づかなくなった。散歩に出るときも、扉の前で座り込み、こちらを見て待つ。猫は毎晩同じ時刻になると廊下に出て、玄関の前ではなく、あの夜に老犬が立ち止まった場所を見つめるようになった。

一週間後の夜、夢を見た。

暗い廊下の先に玄関があった。扉は閉まっているのに、その前に誰かが立っているのが分かる。人の形ではなかった。ただ、そこだけ夜が濃かった。

老犬がその前に座っていた。

こちらを振り返ると思ったが、振り返らなかった。私のことなど最初から気づいていないみたいに、その濃い夜を見たまま、黙っていた。

そこで目が覚めた。

朝になっても、老犬は起きなかった。苦しんだ様子はなく、眠った姿のまま冷たくなっていた。

抱き上げると軽かった。あまりにも軽くて、一週間前までそこにいたものが少し減っている気がした。毛並みを撫でているあいだ、ボーダーコリーは一度も鳴かなかった。猫は部屋に入ってこなかった。

玄関の鍵を開けようとして、ノブに触れたとき、指が濡れた。

夜露にしては妙にぬるい水気が、金属の表面にだけ薄くついていた。外の地面は乾いていたし、雨も降っていない。拭っても拭っても、ぬめるほどではない、ごく薄い湿り気だけが残った。

それから、あの叩く音は二度としていない。

家鳴りもしない。

ただ、夜更けに目が覚めると、玄関の前に気配だけがある。音はしない。扉も鳴らない。けれど、向こうに何かが立っていて、こちらもそれを知っている。そんな沈黙だけがある。

最近は、ボーダーコリーと猫が、何もない玄関に向かって並んで座ることがある。吠えも唸りもしない。ただ、扉の少し手前、老犬が立ち止まったあの場所を空けて待っている。

そのたびに思う。

あの夜、老犬が追い払ったのは外のものではなかったのかもしれない。

あれは誰かを通した声で、あの一声で、この家の中にいた何かと、外にいた何かの場所が入れ替わっただけだったのかもしれない。

もしそうなら、今、玄関の向こうで黙っているものが何なのか、私はもう知っている。

知っているのに、まだ開けていない。

[出典:505: 本当にあった怖い名無し 2014/12/25(木) 12:24:38.71 ID:aX6xzQz40]

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