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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

逃げたがる仏 n+

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これは、個人的な体験を語るときにだけ胸の奥がざわめく、そんな昔日の情景である。

三十年ほど前のこと。とある僧侶の家で夕餉に招かれた。

陽は落ちかけ、居間の灯りだけが薄橙色に揺れていた。
膳を囲みながら、ふと視線が隣室へ吸い寄せられる。そこに、色のついていない大きな木彫りの仏が鎮座していた。孔雀の背に坐す姿——孔雀明王だろうか、と直感したものの、確信はない。ただ、その静けさだけは妙に重かった。

箸を進めつつ、どうにも目が離れない。
木彫りの孔雀の翼。その輪郭に、空気の層が重なるように半透明のもう一対の翼が浮かび上がり、ふわり、ふわりと羽ばたいていた。
薄闇を震わせるような、静かな運動。
誰かが呼吸しているかのような、かすかな脈動。

夢でも酔いでもない。
ただ、その場にいるあいだ中、翼はたしかに「動いて」いた。

辞去したあと、同行者にそれとなく話すと、「何を言い出すんだ」という顔を返された。
——ああ、これは自分だけが見たものだったのだ、と気づいた瞬間、背筋をなぞる冷気があった。

それから何年も経ち、偶然その僧侶の寺に関わる人物と出会う機会が訪れた。
あの夜のことを思い出し、軽い話題として切り出してみた。
すると返ってきたのは、笑いとも溜息ともつかぬ声だった。

「……あの坊さんね、信者の女性に手を出したり金を取ったり、いろいろ問題を起こしたんだよ」

そこで言葉が途切れ、相手は少しだけ目を細めた。
「孔雀明王も、あんな家に居たくなかったのかもね。飛んで逃げようとしてたんじゃない?」

さらりと放たれた言葉。
冗談めいているのに、なぜか妙に腑に落ちた。
——あの半透明の翼。
——あの静かな羽ばたき。

けれど、もし逃げ出したいほどの何かがあの家にあったのなら、なぜそれを自分のような外部の人間にだけ見せたのだろう。

そう考えた刹那、胸の奥に、うす暗い余韻が沈む。
「そんなもの、俺なんかに見せてどうするつもりだったんだ」
長い年月が経った今でも、その答えだけは、羽音のように宙に漂ったままだ。

[出典:1309 :本当にあった怖い名無し:2021/04/15(木) 13:07:34.75 ID:lafmmzj50.net]

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