最初は、ほんの出来心だったんです。
今でもあの日の自分を殴りつけてやりたい気持ちでいっぱいですが、時間は巻き戻せないし、あの森の奥で見た光景を消すこともできません。
きっかけは二年ほど前に放送されていた深夜番組でした。三十分枠で、どちらかといえばマイナーな部類。特に派手な企画があるわけでもなく、唯一目立っていたのは視聴者からの投稿コーナーでした。町で見かけた奇妙な看板や、ペットの変な仕草を撮影した映像なんかを紹介して、採用されれば景品がもらえるという、まあ、ありがちな企画です。
私は当時、その番組を録画しては何度も見返していました。別にファンというほどでもなく、ただ、あの薄暗い時間帯に、くだらない投稿映像が映るのを見ると、なぜか安心できたんです。ある夜、テレビを眺めながらふと思ったんです。「自分でも何か投稿できるんじゃないか」って。景品なんて欲しくなかった。ただ、あの画面の片隅に自分の作った映像が映ったらどんな気分だろう、そう思ったんです。
そこから頭に浮かんだのが、例の「ネタ」でした。思いついた瞬間、胸がざわついて、気味の悪い笑いが込み上げてきました。決して趣味のいい発想じゃありません。だけど、私はその下品な悪戯を気に入ってしまったんです。
用意したのは板と杭、それからロープ一本。板に杭を打ちつけ、拙い字で「ご自由にお使いください」と書く。ロープは端を結んで輪っかを作る。それだけで即席の絞首台の完成です。想像しただけで、番組のスタジオの笑い声が耳に響く気がしました。
休日、私は看板とロープを抱えて郊外の森へ向かいました。久しぶりに踏み入る森は静かで、鳥の声も聞こえないほどでした。探し回って見つけたのは、地面から三メートルほどの高さに太い枝を張り出した松の木。まるで私の訪れを待っていたかのような、都合のいい形でした。
看板を杭で打ち込み、木に登って枝にロープを結ぶ。汗だくになりながら下りてきて、自分の作品を見上げた瞬間、胸が妙に高鳴りました。森の静けさの中、そこに立つのは「ご自由にお使いください」と書かれた看板と、垂れ下がる縄。ぞっとする光景なのに、私は写真を撮る前に一度立ち尽くしました。あまりに新品の板と文字が、場違いなほど清潔で、森の中では浮き上がって見えたんです。
そこで私は考えました。「しばらく放置して、雨風に晒せばいい」。汚れて字もにじみ、より不気味でリアルな光景になるはずだと。誰かに見つかって撤去されるかもしれない、という不安は頭をよぎりましたが、それ以上に「このままではつまらない」という気持ちが勝ちました。私は悪戯をそのままにして森を出ました。
日常に戻ると、忙しさに紛れてそのことをすっかり忘れていました。一ヶ月後、ふとした拍子に思い出し、車を走らせて森へ向かいました。途中、伸びきった草に行く手を阻まれ、道を間違えそうになりながら、やっとあの松の木を見つけました。
荒れ果てた森の奥で、看板は灰色に変色し、文字はかすれていました。思惑通りの光景……のはずでした。だけど私は、そこで立ちすくみました。ロープに何かがぶら下がっていたんです。
髪の長い女の人でした。後ろ姿しか見えず、顔は分かりません。手足は力なく垂れ下がり、枝が軋む音だけが森に響いていました。生きているのか死んでいるのか、一瞬分かりませんでした。でも、どれだけ待っても揺れるのは風に押されての動きだけで、彼女自身の意思はそこになかった。死んでいる。確信が胸を冷たく締めつけました。
足が勝手に動いていました。写真なんか撮れませんでした。ただ走って、逃げるように森を飛び出しました。車に戻るまでの道が何倍にも長く感じ、背後から枝の軋む音が追ってくる気がして仕方ありませんでした。
その夜は震えが止まらず、一睡もできませんでした。翌朝、警察に通報しようかと考えました。けれど、通報すればあの悪戯が私の仕業だと分かってしまう。私が仕掛けたものに、誰かが本当に首を吊ったのだと知れ渡ってしまう。それが恐ろしくて、結局できませんでした。
二年が経ちました。あれ以来、あの森には近づいていません。新聞やニュースを探しましたが、それらしい記事は一度も見つかりませんでした。あの女の人が発見されたという報せもなく、行方不明者の記事も見当たらない。だから、私は考えてしまうのです。きっと、今もあの森の奥で、彼女は枝を揺らしているのだと。
もしあの時、振り返られていたらどうなっていたでしょう。もし目が合っていたら、私はここにいなかったかもしれない。私は時々、夜中に窓の外の木が風に揺れる音を聞くたびに、あの軋む枝の音を思い出します。今も背筋が凍るのです。
あれはほんの出来心だったはずなのに、私の人生の奥底に、取り返しのつかない影を落としています。
[出典:399 名前:某スレより 投稿日:2003/07/01 14:13]