ネットで有名な怖い話・都市伝説・不思議な話 ランキング

怖いお話.net【厳選まとめ】

短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

フリースクールの闇~日野市小四自殺事件 n+

更新日:

Sponsord Link

あの日のことを思い出すと、いまだに息が詰まる。

二〇一五年の十月末、同じフリースクールに通っていた少年が、不可能としか思えない死に方をした。
新聞記事では「自殺の可能性」と書かれていたが、実際にその場を知る者としては、とてもそうは信じられない。

私が通っていたのは、都内のある小さなシュタイナー系のフリースクールだった。普通の学校とはまるで違う。教室は木造の古びた一軒家を改装したもの、黒板ではなく大きな布にチョークで絵を描き、机も画板もすべて手作り。先生たちは教師というより案内人で、生徒に「宇宙とつながる感覚」を大事にしろと繰り返していた。携帯電話やテレビは禁止。ゲームの話などはもってのほか。外の世界から切り離されたその空間で、私たちは「純粋さ」を守るように教育されていた。

当時、小学四年生のAがいた。明るい子ではなかったが、黙って絵を描く姿に妙な集中力があった。紙いっぱいに黒い渦や人の顔のない群像を描く。私が「何それ」と聞くと、ぽつりと「夜に見えるやつ」とだけ言った。
彼はよく「声がする」とも漏らしていた。眠りにつく前に、誰かが呼んでいる。山の方から、裸足で走れと命じる声がするのだと。

学校の誰もが彼の話をまともには取り合わなかった。シュタイナー教育では「子どもが語る幻想や幻覚も成長の過程」とされていたからだ。大人たちは「それは君の内なる宇宙の声だよ」と笑って済ませた。私も同じように軽く流したが、心のどこかで気味の悪さを覚えていた。

十月二十五日は学校祭だった。手作りの舞台で劇をしたり、草木染めの布を展示したり。外から見れば牧歌的な行事だが、私にはどこか窒息感があった。Aは劇に出ず、裏で一人、縄をいじっていた。その縄は学校で使うクラフト用のビニール紐だった。編み込みながら「これ、縛るのにちょうどいい」と呟くのを耳にして、背筋が冷えた。冗談だと思いたかった。

翌二十六日、午前十一時ごろ。Aは母親に「遊びに行く」と告げて学校を出たらしい。その日の午後、私は偶然「高幡山」のふもとを通った。薄曇りで、気温は低かった。人通りはなく、落ち葉が湿って足元で重たく響く。斜面の途中に、誰かの影がちらりと動くのが見えた。嫌な予感がして立ち止まったが、深追いはしなかった。
夜、ニュースで「小四男児の遺体発見」と流れたとき、膝から力が抜けた。

彼の遺体は全裸で、両手両足をゆるく縛られ、首を吊っていたという。衣服は丁寧に畳まれて横に置かれていた。遺書もなし。争った形跡はなく、自分で縛って吊ったと警察は結論づけた。だが私は知っている。あの斜面は三〇度近くあり、滑りやすく、子どもが自力でロープを掛けて首を吊るのはほとんど不可能に近い。しかも縛られていた手足は、どう考えても最後に自分では縛れない。

同級生の何人かは「呼ばれたんだよ」と口にした。Aが話していた「山からの声」によって、あそこへ導かれたのだと。普段なら笑い飛ばすが、その時ばかりは笑えなかった。彼が最後に描いていた絵――黒い渦の中心に、裸の子どもが吸い込まれていく図――を思い出してしまったからだ。

通夜に参列した時のことを忘れられない。小さな棺に収められたAの顔は、眠るように穏やかで、痣ひとつなかった。けれど瞼の裏に、まだ何かが潜んでいるような気配がした。母親は呆然と座り込み、「特に変わった様子はなかった」と繰り返していた。父親は黙ったまま、参列者を睨むように見ていた。
学校の教師は「彼は自由を求め、自ら旅立った」と語った。誰もがその言葉に頷くふりをしていたが、私は耳を塞ぎたかった。旅立ちなどではない、もっと別のものに連れ去られたのだ。

その後も学校に通い続けたが、雰囲気は一変した。子どもたちは互いに笑わなくなり、親たちは教師の目を気にしながらひそひそと話す。高幡山に近づくなという暗黙の合意が生まれたが、数人の子どもが夜中に夢遊病のように家を抜け出し、山の方へ歩いて行ったという話も聞いた。
私自身も何度か、夜中に耳元で囁きを聞いた。「衣服を脱げ」「手を縛れ」「こちらへ来い」。目を覚ますと冷や汗で全身が濡れていて、窓の外には山の影がじっと見ているように感じられた。

警察はあくまで「自殺」と結論づけたが、あの事件を知る者は誰一人そう信じていない。彼は自ら死を選んだのではなく、あの教育やあの土地に巣くう何かに吸い寄せられたのだと。
私が学校を去ったのはその翌年だ。いまでもテレビやスマホに縛られた日常を送る自分に安堵している。だが夜に布団へ入ると、あの囁きがよみがえる。呼んでいるのは山か、死んだAか、それとも私の内側に根を張った闇か。答えは出ない。けれど一つだけ確信がある。あの日、彼を連れ去った声は、まだ私を探している。

推理と考察

まず最大の疑問は「10歳の小学生が、自ら両手足を縛り、全裸になり、首を吊ったのか」という点である。警察の判断では自殺の可能性が濃厚とされたが、行為の異常性や準備の複雑さを考えると、不自然さが拭えない。

1. 全裸であった理由

衣服がきちんと畳まれていた点は重要である。服を脱ぐことに「整然とした意志」が感じられる。これは羞恥や混乱による行動ではなく、儀式的・形式的な意図があった可能性を示す。心理的な意味づけがなければ、子どもが全裸で命を絶つ動機は説明しにくい。

2. 両手足を縛る矛盾

縛られ方は「緩く、動ける状態」だった。もし本当に自分で縛ったなら、縛る意味が乏しい。逆に「第三者が縛った」とすれば、なぜ緩くしたのかという疑問が残る。可能性としては「縛り」という形式自体が行為の一部であり、本人の意志で形だけ行ったのかもしれない。

3. 自殺説の限界

通常の自殺では、遺書や直前の言動に兆候がある。しかし母親は「変わった様子はなかった」と証言している。また10歳という年齢を考えると、死の概念を十分に理解していたかも疑わしい。自殺と断定するには証拠が弱い。

4. 他殺の可能性

争った形跡や強制的に服を脱がされた痕跡がないため、典型的な他殺の線は薄い。ただし「第三者の誘導」があった可能性は排除できない。例えば年長者や信頼する人物に「遊び」や「儀式」として指示され、本人がその通りに行動した結果、死に至ったシナリオである。

5. 教育環境の影響

シュタイナー教育は宇宙観や精神的成長を重視するため、子どもの死生観に独自の影響を与えていた可能性もある。特に「自分で選ぶ」「自由意思を尊重する」価値観が強調される環境下で、子どもが極端な行動を選択する余地は理論上存在する。


結論

この事件は、警察が「自殺」と結論づけた一方で、状況証拠からは「単独での自殺を疑わざるを得ない矛盾」が多い。

  • 全裸で衣服を畳んだ点

  • 緩く縛られた両手足

  • 死亡年齢の若さと兆候の欠如

これらは「典型的な自殺像」から外れている。もっとも合理的な仮説は「本人の行為に第三者の示唆または影響があった」というものだろう。直接的な他殺ではなく、心理的誘導や遊戯的行為の延長が悲劇を招いた可能性が高い。

不可解さを残したまま幕を閉じたこの事件は、単なる個人の問題ではなく、教育環境や社会が子どもに与える影響を問いかけている。

Sponsored Link

Sponsored Link

-短編, 奇妙な話・不思議な話・怪異譚, n+2025

Copyright© 怖いお話.net【厳選まとめ】 , 2025 All Rights Reserved.