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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

余計な事しやがって n+

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今でもあの夜の匂いを思い出すと、うっすら喉の奥がざらつく。

乾いた紙と、焦げる寸前の埃が混じったような匂い。あれが合図みたいにまとわりついて、胸の奥に沈んでいた何かがじりじりと立ち上がってくる。

あの日、私は友達の歩幅に合わせて商店街を抜けていた。夕方の光は濁っていて、街路灯の橙がじんわりと路面に染み出していた。手の甲に当たる風がぬるく、やけに肌の表面を撫で回すように粘っていた。何となく首筋をさすりながら横目に友達を見ると、輪郭が薄い墨で縁取られたように曇っていた。視界の端に汚れが付いたのかと思い何度か瞬きをしたが、濁りはそのまま張り付いていた。

胸の奥が跳ねた。あの感じだ。薄墨がまとわりつく人間には、何かが入り込んでいる。私は無言で歩く速度を落とし、予定から外れた道へと誘導した。理由なんていらない。道を変えるだけで、あの濁りの向きが少しだけ鈍くなるのが分かる。友達は不思議そうについてきたが、特に問い詰めるでもなく、歩くたび小さく肩をすくめていた。

角を曲がった瞬間、空気がふっと軽くなった。喉のざらつきも和らぎ、足首に絡みついていた重さがほどけていく。私は胸の底でほっと息を吐いた。ここまで来れば、ひとまず距離は取れたはずだ。友達と別れ、軽く会釈して背を向けたその直後だった。

耳の膜を指で弾かれたような鋭い空気の震えが走った。声がした。男の声だった。

「余計な事しやがって……」

皮膚がひやりと反り返った。振り返っても誰もいない。街灯の下には私の影だけが伸びている。周囲の気配を探っても、人の気配どころか、猫一匹いない。ただ、言葉の残響だけが後頭部の裏側にこびりついていた。

歩き出して数歩、視界の端に違和感があった。薄い墨がかかったような濁り。それが、今度は私自身の視界から消えなかった。まるで私の周囲の空間にだけ、薄墨が常に流れ込んでいるように広がっていた。

その夜から、悪意の気配が私の肩口にぶら下がるようになった。気配は砂粒みたいにざらざらしていて、皮膚の表面を擦られるような感覚を残していく。危険な方向に向かうと、そのざらつきが突然濃くなるので、なんとか致命的な場所は避けていた。だが、視界の濁りは続き、呼吸も浅くなる。寝ても抜けない。起きても薄墨が揺れている。

限界を感じて、私は御祓いをしてくれる神社へ向かった。通された部屋には大きな神棚が据えられていて、空気がやけに乾いていた。祝詞が始まる前、神職がふっと私の顔を見て呟いた。

「面倒なのに目をつけられたね。これは生霊だよ。祓ってあげるが……同じ事をしたら、また憑くよ」

その言葉がじんわり腹の底に沈んだ。生霊の“本人”にとって、私は邪魔者だったという事か。祓いは短かったが、終わった瞬間、視界の濁りがすっと引いた。悪意も消え、空気が驚くほど軽くなった。

だが、その安堵は短かった。

御祓いの帰り道、空気がやけに澄んでいた。視界の端に溜まっていた薄墨も跡形なく消え、色彩が戻ってきた。歩くたび、風が肺の奥まで届く。私は久しぶりに体の重さから解放された気がして、深く息を吸い込んだ。

だが、その安堵は友達の顔を見た瞬間に崩れた。
薄墨が、まだ纏わりついていた。彼女の肩から腰にかけて、細い筋のように垂れ下がり、まるで誰かが掴んだ跡のように影を作っていた。近づくほど、空気がざわつき始め、私の腕に小さな痺れが走った。

「手……どうしたの」

彼女の右手の甲には赤黒い擦り傷が広がっていた。沁みた消毒液の匂いが微かに漂う。

「帰りにさ、自転車が急に飛び出してきて。避けたら転んじゃってさ」

笑って言うのに、指先が細かく震えていた。転んだ時の痛みではない。何か別の、見えない圧に触れた人間特有の震えだった。

胸の底に冷たい石が沈んだ。
このまま放っておけば、擦り傷では済まない。
私は腹を決めた。

「誰か、心当たりない?」

声が少しだけ掠れていた。
彼女は視線を落とし、靴先をじっと見つめていたが、しばらくするとぽつりと口を開いた。

「……元カレなんだけど。最近、近所でよく見かけるんだよね」

その一言が、やけに軽く響いた。けれど、その裏にある湿度だけがぬめりと肌に張り付いた。生活圏を漂う元交際相手。未練とも執着ともつかない距離。生霊という形に変異するには十分すぎる要素だ。

その後、彼女と買い物をしている時、突然腕をつつかれた。

「……あの人」

振り向くと、雑居ビルの前でひっそり立つ青年がいた。清潔感のあるシャツ。髪も整っている。表面だけ見れば、好青年そのものだ。ただ、こちらに気づくまいとするように視線を伏せ、肩を固くしている。その不自然な硬さが、かえって濁りの筋を浮かび上がらせていた。

彼の周囲の空気だけ、温度が違っていた。
湿った木材の腐りかけた匂い。
それが生霊の残す気配と一致していた。

私は確信した。彼で間違いない。

問題は、どうやって切り離すかだった。御祓いで私だけが解放されても意味がない。彼女が巻き込まれ続ければ、執着は形を変えて戻ってくる。生霊は理由を必要としない。感情そのものが動力になってしまう。

しばらく観察していると、青年は周囲を気にしながら歩き出した。靴音は軽いのに、足取りは妙に不安定だった。何かを隠している姿というのは、どれだけ繕っても身体が嘘をつく。私は気配の澱みを確かめながら、密かに後を追った。

曲がった先にあるアパートの看板が月明かりに照らされていた。建物は古く、階段の支柱に錆が浮いていた。そこが彼の住処らしかった。

同じ夜、私は郵便受けに手紙を入れた。

「お前のしている事は分かっている」
そう書いた。角ばった文字が封筒の内側を突くように見えた。こんな単純な手が通じるのか半信半疑だったが、やるしかなかった。生霊という曖昧な存在に直接触れる術はない。ならば、本人に揺さぶりをかけるしかない。理由や理屈ではなく、“自分が見られている”という圧だけが彼の内側を溶かせる。

数日後、彼女に会うと、薄墨は確かに弱くなっていた。影が薄れ、肌の色が戻ってきていた。顔色も良い。呼吸も軽い。あのざらつきがほとんど感じられなくなっていた。

「最近、あの人見ないんだよね」

そう言った瞬間、胸の奥が静かになった。後日確認すると、青年はアパートを引き払って消えたらしい。どこへ行ったのか、誰も知らない。

ただ、これで終わりだとは思えなかった。
私に耳打ちした“声”のあの響きが、まだどこかでくすぶっていた。

一件落着、という言葉を頭の片隅で何度も転がした。
それでも喉の奥のざらつきは、完全には消えなかった。

元交際相手の青年がアパートを引き払い、友達の周りから薄墨の影がほとんど消えてから、数週間が過ぎた。町の空気は相変わらずで、コンビニの自動ドアは雑な音を立てて開き、信号機は決められた色を順番に灯していた。表面上は何ひとつ変わっていないはずなのに、景色の輪郭だけがうっすらと違って見えた。

夕方、友達とファミレスの窓際の席に座っていた。ガラス越しの陽射しは弱く、カーテンの隙間から入り込んだ光がテーブルの上でぼんやり広がっている。対面の彼女は、前よりもよく喋るようになっていた。職場の愚痴や、最近始めた趣味の話。笑うたび、口元の筋肉がきちんと動いている。薄墨の筋もほとんど見えず、肩に乗っていた重みもない。

ただ一つだけ、妙な癖が残っていた。
話の途中で、右手首を意味もなく撫でる。
指先で円を描くみたいに、同じ場所を何度も。

「まだ痛む?」

何気ないふりをして尋ねると、彼女はきょとんとした。

「え? ああ、転んだときの? もう全然。癖になっちゃったのかな」

そう言って肩を竦め、メニューを閉じた。その仕草自体は普通なのに、爪の先だけ力が入りすぎて白くなっていた。私が視線を落とすと、テーブルの縁に残った傷跡がひとつ、爪で引っかいたみたいに直線を描いていた。

あの日ポストに入れた手紙の文面を、私はまだはっきり覚えている。
「お前のしている事は知っている。やめろ」
短く、それだけ。名前も書かなかった。脅し文句としては曖昧だ。けれど“誰かが見ている”という気配は、生霊みたいな存在にとって一番効く。そう信じて、便箋にペン先を押しつけていた時の、手の震えまで思い出せる。

あれから数通、似た内容の手紙を入れた。返事はなかった。ポストの前で青年の姿を見かける事もない。引っ越したという話を聞いた時、胸の中で何かが乾いた音を立てた。

本当に、それで終わったのか。
終わらせた事にして、私は自分を納得させているだけではないか。

そんな問いが、夜になると枕元で形を持ち始める。

ある晩、テレビをつけたままソファで横になっていると、ニュースが流れた。画面の向こうでアナウンサーが淡々と読み上げている。

「本日未明、○○線の駅構内で男性が列車にはねられ……」

地方都市の名前が耳に引っかかった。聞き覚えのある線路の名前。画面にはモザイクだらけの映像が映し出され、ぼんやりとした光の中に、ホームの黄色い線が帯のように浮かんでいた。
胸の奥で、埃っぽい匂いがむくりと立ち上がった。

詳細は何も分からない。
それでも、私はリモコンを握り締め、無意識に声を出していた。

「……まさか」

指先から汗が滲み、リモコンのプラスチックが湿った。
ニュースは数十秒で次の話題へ切り替わり、画面の中では別の都市の天気図が映っている。それなのに、ホームの映像だけが網膜に焼き付いたままだった。

翌日、友達と会った時、あの事故の話を振ってみた。

「聞いた? 昨夜のニュース」

「うん、なんか流れてたよね。線路のやつでしょ」

軽く返しながら、彼女はやはり右手首を撫でた。
その瞬間、一瞬だけ、彼女の輪郭に細い墨の筋が走ったように見えた。
一呼吸おくと、その筋は霧みたいに消えた。

私の視界の問題か。
それとも、まだ何かが絡みついているのか。

口の中に鉄の味が広がった。言葉を飲み込むと、喉の壁に張り付いたそれが、じわりと血の匂いに変わる。友達は気づかない。テーブルに置かれた水のグラスにストローを差し、氷をころころと転がしている。

その夜、眠りは浅かった。
目を閉じると、駅のホームと、便箋に刻んだ文字が交互に浮かんだ。
「やめろ」という線が、次第に「お前のせいだ」という文字に滲んで見え始める。誰の声か分からない責め立てる響きが、頭の内側にこびりついた。

布団の中で何度も寝返りを打ち、とうとう諦めて起き上がった時だった。
耳の奥で、かすかな揺れが生まれた。

「……聞こえるだろ」

囁き声とも、息ともつかない曖昧な音。
以前、はっきりとした「余計な事しやがって」という怒鳴り声を聞いた時とは違う。もっと湿っていて、皮膚の内側から立ち上がってくるような囁きだった。

肩をすくめて周囲を見回す。部屋には誰もいない。窓は閉まっている。冷蔵庫のモーター音と、時計の秒針の音だけが、規則正しく空間を刻んでいる。
それでも、耳の内側で声は続いた。

「お前もやっただろ。進む道を、勝手に曲げた」

あの時、私は友達の進路を変えた。
予定した道から外し、見えない悪意から遠ざけた。
その結果、怒りの矛先は私へ向かい、視界に薄墨がかかった。
御祓いでそれを取り除いてもらい、今度は手紙で相手の進路を揺さぶった。

結局、私は二度、誰かの道に干渉している。
その度に「余計なこと」をしている。

声が誰のものか、判然としない。
元交際相手の青年かもしれないし、道を曲げられた“何か”そのものかもしれない。もしかしたら、私自身が自分に投げている言葉かもしれない。

胸の中で、御祓いの時の神職の言葉が蘇る。
「同じ事をしたら、また憑くよ」

あれは、生霊の持ち主についてだけ言ったのではなかったのかもしれない。
“目をつけられる側”の話でもあったのではないか。

数日悩んだ末、私は再び神社を訪れた。階段を上る足が重い。石段は薄く苔むしていて、湿った土の匂いが鼻を刺した。拝殿の前に立つと、前回と同じ神職が、掃き掃除の手を止めてこちらを見た。

「また、来たね」

「前に祓ってもらったあと、少ししてから……変な声が聞こえるんです」

声が震えているのが、自分でも分かった。
神職はしばらく私の顔を見つめ、それからゆっくりと神棚の方へ視線をずらした。

「前にも言ったよね。“同じ事をしたらまた憑く”って」

「はい。でも、あれは……」

「生霊っていうのは、感情の行き先を間違えた“人”の形だ。強い思いが行き場をなくして、外に漏れ出してる。それをいきなり切り離すと、残った感情の方も行き場をなくす」

神職は箒を立てかけ、畳に腰を下ろした。私は正座をし直し、足の痺れを堪えながら耳を傾けた。

「あなたは、相手の道を変えた。最初は友達を守る為だった。次は、相手に“やめろ”と突きつけた。そのどちらも、間違いとは言えない。ただ、ね」

そこで一拍置き、こちらを見た目に、微かな笑みが浮かんだ。
慰めでも、嘲りでもない。事実だけを告げる人の顔だった。

「“誰かの進路をねじ曲げる”っていう行いは、相手にとっては恨みの種にもなる。助けられた側でさえ、“なぜあんな事をしたんだろう”って、いつか考え直すかもしれない。その思いが全部、あなたに向く可能性もある」

「じゃあ……どうすれば」

自分でも驚くほど小さな声が口から出た。
神職は少し首を傾け、「全部祓う、っていうのは無理だね」と言った。

「一度、そういう筋道に関わった人はね、その後も何度か似た場面に出くわす。見えるもの、感じるものが増えてしまう。完全に切り離すと、今度はあなた自身の中に溜まったものが行き場を失う。だから……」

そこで言葉を切り、淡い溜息を吐いた。

「“距離の取り方”を覚えるしかない。感じるのは仕方ない。ただ、全部に手を出さない事。助けるにしても、誰の為で、どこまでなのか、自分に問いなさい」

それは、祓いではなく通告だった。
選択をこちらに丸投げする、冷たいようで正直な言葉だった。

帰り道、石段を下りる足取りは行きよりも軽くなっていた。
解決したからではない。
終わらないと理解したからだ。

街に出ると、人の気配が渦を巻いていた。
通勤途中の人、買い物袋をぶら下げた人、スマホを見ながら歩く人。それぞれの背中に、薄い影がまとわりついているように見える瞬間がある。以前なら気付きもしなかった筋が、今でははっきり分かる。

ただ、それに全部手を伸ばす事はしない。
胸の中で何度も繰り返す。
――ここで立ち止まるのか、このまま通り過ぎるのか。

耳の奥で、例の囁きがかすかに笑ったような気がした。
しかし、前回のように視界に薄墨がべったり張り付く事はなかった。
代わりに、空気の密度だけが少し変わる。
私の肩のすぐ後ろ、半歩分の空間に、誰かが立っている気配だけがある。

それからしばらくして、私はこの話を人にするようになった。
「取り憑かれて困った時の話」と題して、飲みの席や、少し怪談めいた話題になった時に、ぽつりと切り出す。

話を聞く人の顔はさまざまだ。
笑い飛ばす人。
真剣な顔で頷く人。
何も言わず、黙ったままグラスをいじる人。

不思議な事に、黙り込む人ほど、輪郭がうっすらと曇って見える。
特に、“あの時こうしていれば”という後悔を持っている人は、喉の奥から生乾きの布みたいな匂いを漂わせる。こちらがそれに気付くと、空気の密度がひときわ変わる。

「そんな時はね、できるだけ早く、誰かに話した方がいい」

私はそう言う。
本当は、自分に言い聞かせているのかもしれない。
感情に行き場を作る事。
進路をねじ曲げる前に、一度声にして外へ出す事。

話を聞いた相手の中には、実際に「助けてほしい人がいる」と打ち明けてくる者もいた。その時、私は一瞬だけ迷う。
介入するか、しないか。
道を変えるか、そのまま歩かせるか。

迷った末、私は結局、少しだけ口を出してしまう。
「その人が今、どっちに向いているのか、いっしょに見に行こうか」
それが習い性になりつつある自分に、うっすら苦笑する。

そして最近、ひとつだけ新しい変化に気付いた。
この話をしている最中、相手の耳のあたりで、私には小さな声が聞こえる。

「余計な事しやがって」

あの怒鳴り声とは違う。
もっと乾いて、感情を削ぎ落とした響き。
それは、誰かの生霊かもしれないし、私に憑いている何かかもしれない。

ひとつ、確かな事がある。

その声の主は、もう“私だけ”を責めてはいない。
話を聞いている人の方にも、同じ言葉を投げている。

「余計な事しやがって」
「なんで口を出した」
「なんで、黙って見ていなかった」

声は誰の耳にも届いていないだろう。
それでも、私は分かる。
あの夜から続いている薄墨の筋が、今では私と他人を一緒くたに縫い合わせている事を。

この話を聞き終えたあなたが、もしふと誰かの行動に口を挟みたくなった時。
あるいは、逆にもう二度と誰にも関わらないと決めた時。
そのどちらでも、耳元でかすかな囁きがしたなら、多分それは同じ筋から伸びた声だ。

もしかしたら、その時に聞こえる「余計な事しやがって」は、
私の中に棲んでいる何かではなく――
新しくあなたの中に居場所を見つけた、生きた感情そのものかもしれない。

そうやって少しずつ行き先を変えながら、
誰かの視界の端で、薄墨の帯は今日も揺れている。

[出典:252 :本当にあった怖い名無し 警備員[Lv.8][新芽] (ワッチョイW b693-kYY8):2025/03/01(土) 11:10:05.02ID:q0jJqXea0]

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