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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

ガリリ、ガリリ nc+

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腐った卵の臭いが、鼻腔の粘膜にへばりついて取れない。

下北半島の斧の形をした切っ先、その中央に位置するカルデラ湖のほとりは、荒涼とした灰色の砂礫に覆われていた。視界の限り、色彩というものが死に絶えている。あるのは風化した岩肌の白と、硫黄を含んだ土の黄色、そして鉛色の空だけだ。生き物の気配を拒絶するような荒野のあちこちに、石が積まれている。不安定に積み上げられた小石の塔は、死んだ子供のための供養だという。風が吹くたび、岩陰に挿された極彩色の風車が、カラカラと乾いた音を立てて回っていた。その音だけが、ここが現世と地続きであることを辛うじて証明しているように思えた。

「……ひどい臭いだ」

同行したカメラマンのSが、顔をしかめて機材の入ったバッグを持ち直した。彼は霊感などという不確かなものを一切信じない男だが、この場所の特異な空気には圧されているようだった。湿気を含んだ風が、私たちの頬を撫でていく。それは生温かく、まるで誰かの吐息のようにねっとりと肌にまとわりついた。

私たちは取材のため、この地に隠棲しているという一人の老婆を訪ねてきた。彼女はイタコと呼ばれる霊媒師の一人だが、通常の組合には属さず、この荒地に掘っ立て小屋を建てて暮らしているという。

「ここです」

案内人が指差した先には、風化して黒ずんだ板張りの小屋があった。入り口には注連縄が張られ、その隙間から線香の紫煙が絶え間なく漏れ出している。周囲の石積みは、この小屋を中心にして、まるで波紋のように広がっていた。足元の砂利を踏みしめる音が、不釣り合いなほど大きく響く。靴底を通して伝わってくる地面の感触は、どこか柔らかく、頼りない。まるで生き物の肉の上を歩いているような錯覚を覚え、私は無意識に足取りを慎重にしていた。

小屋の中は、昼間だというのに夜のように暗かった。

唯一の光源は、仏壇の前に置かれた蝋燭の頼りない揺らめきだけだ。その薄明かりの中に、老婆が座っていた。

「……よう来たの」

乾燥した落ち葉が擦れ合うような声だった。彼女の目は白濁し、焦点が合っていない。だが、その見えないはずの目が、正確に私の眉間を射抜いているのを感じた。背筋に冷たいものが走る。

私は取材の趣旨を説明し、録音の許可を求めた。Sが三脚を立て、ビデオカメラのレンズを老婆に向ける。ファインダー越しに見る彼女の姿は、肉体を持った人間というより、古い着物を被せた枯れ木のようだった。

線香の香りが充満しているはずなのに、私の鼻先には別の臭いが漂っていた。獣の脂が腐ったような、あるいは古井戸の底に溜まった泥のような、生理的な嫌悪感を催す臭気だった。胃の腑が持ち上がるような吐き気をこらえながら、私はマイクを向けた。

「……祓いの言葉を知っておるか」

老婆は私の質問には答えず、唐突にそう言った。

「いえ、存じませんが」

「ようくりげっきょはまからうん。……覚えなされ」

意味の分からない音の羅列だったが、私は反射的にその言葉を口の中で反芻した。Sが怪訝な顔で私を見たが、私は構わずインタビューを続行した。身体の芯が小刻みに震えている。それは寒さのせいではなく、本能的な警鐘だった。

「わしはな、死んだまま産まれてきたんじゃ」

老婆の語りは淡々としていたが、その内容は異様だった。幼い頃からこの世ならざるものが視えていたという。「人の頭がな、二つあるんじゃよ」。学校の友人の肩に、もう一つの頭が乗っている。それが見えた人間は、例外なく不幸な死を遂げた。

ある日、風呂で湯に浸かっていると、自分の髪に別の誰かの髪が絡まっていた。水面の下には、白目のない女の顔があったという。「髪がな、繋がっとるんじゃ」。私は無意識に自分の首筋を撫でていた。

「だからわしは、ここへ来た」

修行の日々。断食、水行、読経。だが彼女は霊を救う道を選ばなかった。

「殺された霊の苦しみはな、美味いんじゃ」

その言葉とともに、空気が変わった。彼女は霊を土に埋め、石を置いた。重石として。顔の上に。潰される瞬間を視て楽しむために。

「虫を潰すようなもんじゃ」

Sの手が震え、カメラがわずかに傾いた。私も限界だったが、目を逸らせなかった。床下に、今も何かが埋まっているような気がしてならなかった。

やがて老婆は語った。自分を止めに来た若いイタコを、生き埋めにしたことを。その女は死んでも退かなかった。積んだ石は崩され、土は掘り返され、ある夜、老婆は自分の頭の中に異物があることに気づいた。

「指じゃ」

頭蓋の内側を、爪が掻く音。老婆は頭を抱え、畳に打ち付けた。「薬指じゃ……指輪が当たるんじゃ……」

私は逃げたかった。だが、動けなかった。

「……代わってくだしゃれ」

その瞬間、私の頭の中で、乾いた音がした。

痒み。内側から這い回る感覚。鋭い痛み。老婆が笑っている。「移ったぞ」。彼女はそのまま崩れ落ち、動かなくなった。

私たちは小屋を飛び出した。

夕闇。風車の音。カラカラ、ガリリ。音が重なる。車を走らせ、山を下った。

数日後、Sは死んだ。脳動脈瘤の破裂。壁には爪痕が残っていたという。

私の頭痛は、あの日から止まらない。検査では異常はない。だが、夜になると音がする。ガリリ、ガリリ。

ここまで書いて、ひとつ気づいたことがある。

この文章の一部が、何度書き直しても同じ箇所に戻ってしまう。消しても、保存しても、再び現れる。

ようくりげっきょはまからうん

変換されない。誤字にもならない。削除すると、直後の文章が欠ける。

今も、右の側頭部が熱い。指輪が擦れる感覚がある。

……ここから先を、私は書いたはずだ。

だが、ファイルには残っていない。

カーソルだけが、点滅している。

ガリリ、ガリリ。

音だけが、確かに残っている。

(了)

[出典:665 :コピペ:2005/09/09(金) 10:57:38 ID:GC5bCB7S0]

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