嘘か本当かは、わからない。
ただ、思い出すたび、今でも背中がひやりとする。
小学生の頃、毎日のように遊んでいた「じいちゃん」がいた。
血のつながりはない。近所に住んでいた、妙に物静かな老人だった。母は「変わった人だけど、悪い人じゃないよ」と言うだけで、俺が遊びに行くのを止めなかった。
当時の俺は、同年代の子とうまく馴染めなかった。だから、じいちゃんの家にいる時間が好きだった。
ある日の夕方、二人で「妖怪人間ベム」の再放送を観ていた。
古い和室だった。ちゃぶ台にお菓子を広げて、テレビを眺めながら話しているうちに、どういう流れだったのか、死んだあとの話になった。
天国と地獄って、本当にあるんかな。
たぶん、そんなことを俺が聞いた。
じいちゃんはテレビを見たまま、ぽつりと言った。
「俺は、どっちにも行けんやろうな」
「なんで?」
しばらく黙ったあと、妙なことを言った。
「昔なあ、若い頃、芸術でつまずいたことがあってな。そのとき、悪魔に魂を売ったんじゃ」
冗談を言っているようには見えなかった。
かといって、怖い話をして子どもを脅かそうとしている感じでもない。ただ、昔あったことを思い出しているような口調だった。
俺は怖がるどころか、胸が躍った。
漫画やゲームの中にしかいなかった悪魔が、急にこちら側の世界に出てきた気がした。
「悪魔って、本当におるん?」
「さあな」
「何してもろたん?」
そこで初めて、じいちゃんが俺を見た。
「成功はさせてやる。ただし、お前の命は今回まで。次の命はないぞ、ってな」
それ以上は聞いても教えてくれなかった。
どうやって呼び出したのか。
どんな姿だったのか。
何をしたのか。
何を聞いても、
「それ以上は話すなと言われとる」
で終わった。
今なら、そこまで話したなら最後まで話せよ、と思う。
でも子どもの俺には、それで十分だった。
悪魔はいる。
じいちゃんは悪魔に会った。
その話を、秘密の宝物みたいに何度も頭の中で繰り返していた。
じいちゃんの家は、古い和風の屋敷だった。
壁には表彰状や新聞の切り抜き、何かのメダルのようなものが無造作に飾られていた。何の賞なのか、どんな記事なのか、当時の俺にはわからなかった。
それでも、この人は昔、何かですごかったんだろうな、ということだけはわかった。
本人は過去の話をほとんどしなかった。
そんなじいちゃんが、ある日突然、こんなことを言った。
「わしは七十六になった日に死ぬよ」
俺は笑えなかった。
「それまでに、お前みたいなええ子と遊べてよかった」
急に怖くなった。
じいちゃん、死んじゃいやん。
そう言って、俺は本気で泣いた。
その日のことは今でも覚えている。
畳の匂い。
窓から差し込んでいた夕暮れの色。
そして、じいちゃんの静かな声。
それから二年と少し経った。
じいちゃんは死んだ。
七十六歳の誕生日だった。
前の日まで普通にしていたという。朝になって家族が見に行くと、もう冷たくなっていた。
死因は心不全。
そして、火葬の日。
骨が出なかった。
俺は子どもだったから、詳しい事情までは知らない。
ただ、葬儀屋の人が困っていたことだけは覚えている。
何度も炉を確認し、別の人を呼び、遺族に頭を下げていた。
骨が脆かったのかもしれない。
炉の温度の問題だったのかもしれない。
何か技術的な事情があったのかもしれない。
今なら、そう考える。
でも当時の俺の頭に浮かんだのは、別の言葉だった。
――次の命はないぞ。
その後、何年か経った。
中学生になった俺は、進路や友人関係で悩んでいた。
ある夜、じいちゃんの話を思い出した。
ガラケーを開いて、
「悪魔 召喚 方法」
と検索した。
今なら笑ってしまうような個人サイトが出てきた。
そこに書かれていた通り、夜中に部屋を暗くして、塩を置き、蝋燭を灯した。意味のわからない言葉も読んだ。
何も起こらなかった。
風も吹かない。
声も聞こえない。
悪魔も出てこない。
少しがっかりして、それで終わった。
そのうち、じいちゃんの話そのものを忘れた。
大学へ行き、働き、家庭を持った。
普通に歳を取った。
ところが最近、妙に気分の塞ぐ日が続いていたとき、どういうわけか、じいちゃんのことを思い出した。
悪魔の話。
七十六歳の誕生日。
骨の出なかった火葬。
そして、それにつられるように、もうひとつ、ずっと沈んでいた記憶が浮かんできた。
母の事故だった。
俺がまだ小学生だった頃、母が交通事故に遭った。
緊急搬送され、意識不明になった。
面会謝絶だった。
それでも母の顔が見たくて、夜中、こっそり病室に入った。
母はベッドに横たわっていた。
その胸の上に、人が座っていた。
亡くなった祖母だった。
祖母は、ちょこんと母の胸の上に座って、俺を見た。
そして言った。
「お母さんはまだ必要だから、あと三十年、迎えに来るのを延ばすよ。今回は戻らせるからね」
そう言って笑った。
翌朝、母は意識を取り戻した。
後遺症も残らなかった。
子どもの見た夢だったのかもしれない。
夜中の病院で、疲れていた俺が見た幻だったのかもしれない。
その記憶も、いつの間にか忘れていた。
母が亡くなるまでは。
あるとき、ふと思った。
あの事故は、いつだったんだろう。
兄に聞いた。
「あの日は二月十三日だったよ。バレンタインの前だったから覚えてる。チョコもらえんくなるって焦ってたから」
何気なく日付を数えた。
そこで、手が止まった。
母が亡くなった日も、
二月十三日だった。
事故の日から、ちょうど三十年後。
同じ日だった。
偶然だと思う。
そう考えるのが、一番まともだ。
じいちゃんが七十六歳の誕生日に死んだことも。
火葬で骨が残らなかったことも。
祖母が「あと三十年」と言った記憶も。
その三十年後、母が同じ日に亡くなったことも。
全部、あとから記憶の中でつながっただけなのかもしれない。
人間の記憶なんて、案外あてにならない。
だから、今でも嘘か本当かはわからない。
ただ、一つだけ、どうしても引っかかっている。
じいちゃんは、
「七十六になった日に死ぬ」
と言った。
祖母は、
「あと三十年」
と言った。
そして二人とも、
一日も違わなかった。
[出典:796 :本当にあった怖い名無し:2017/12/15(金) 21:40:08.87 ID:3wyetZKL0.net]