嘘か本当かは、わからない。でも、思い出すたび、背中がひやりとする。
小学校の頃、毎日のように遊んでいた「じいちゃん」がいた。
血のつながりはなかった。近所に住んでた、妙に物静かな老人。
母は「変わった人だけど、悪い人じゃないよ」とだけ言って、特に止めることはなかった。
当時、他の子とあまり馴染めなかった自分にとって、じいちゃんと過ごす時間は救いだった。
ある日の夕方、じいちゃん家で「妖怪人間ベム」の再放送を観ていた時のこと。
和室のちゃぶ台に二人でお菓子を並べながら、なぜか話は死後の世界に飛んだ。
天国と地獄、どっちがあると思う?って俺が聞いたんだったか。
すると、じいちゃんがぽつりと「俺はどっちにも行けんやろうな」と言った。
「昔なあ、若い頃、芸術でつまずいたことがあって……そのとき、悪魔に魂を売ったんじゃ」
ぽろりと出たそれは、冗談ともつかぬ調子だった。
子どもだった自分は、怖いどころか胸が躍った。
漫画やゲームの中でしか知らなかった“悪魔”が、目の前の現実と繋がった気がした。
「成功はさせてやる。ただし、お前の命は“今回”まで。次の命はないぞ、ってな……」
細かいことは聞いても教えてくれなかった。
召喚方法も姿形も全部スルー。
「それ以上は話すな、って言われとる」って。
今になって思えば、そこまで話すならもう少し説明してくれればよかったのに、なんて思うけど、
当時の自分はそんなことよりも、悪魔の実在に夢中だった。
じいちゃんの言葉を、まるで宝物のように反芻していた。
じいちゃんの家は、古い和風の屋敷だった。
中には表彰状、新聞の切り抜き、メダルのようなものが無造作に飾られていて、
子ども心にも「この人、昔すごかったんだろうな」と思わせる空気があった。
けれど、それ以上の話は聞いたことがない。
じいちゃん自身、過去のことは滅多に話さなかったから。
ある日、唐突に言われた。
「わしは七十六になった日に死ぬよ。それまでに、お前みたいなええ子と遊べてよかった」
言われた瞬間、胸がギュッとなった。
じいちゃん、死んじゃいやん!って、涙をぼろぼろ流した。
その時の空気だけは今でも忘れられない。
畳の匂いと、夕暮れの光と、じいちゃんの静かな声。
それから二年と少し経って、じいちゃんは本当に、七十六の誕生日に亡くなった。
前の日まで元気だったのに、朝になったら冷たくなっていた。
死因は心不全。病気の兆候もなく、ぽっくりと。
火葬の日。
骨が出なかった。
葬儀屋の人が焦って、何度も謝っていた。
炉の温度管理か、骨の脆さか、技術的なミスか――そういうことだったのかもしれないけど、
あのとき、自分の中で何かが静かに崩れた。
それから数年後、中学生になった俺は、悩んでいた。
進路、友人関係、色々と。
ふと、あの話を思い出した。
何のためらいもなく、ガラケーで「悪魔 召喚 方法」と検索して、
個人が運営していた怪しげなサイトの手順通りに儀式めいたことをしてみた。
夜、部屋を真っ暗にして、塩と蝋燭と呪文のような言葉。
何も起こらなかった。
少しがっかりして、それっきりだった。
そのまま、じいちゃんの話は記憶の奥に沈んでいった。
思い出すこともなくなった。
大学に進み、社会に出て、家庭を持って……ごく普通の人生を歩んでいた。
それが最近になって、妙に気分が塞ぐことが多くなり、
ふと、例の話を思い出した。
じいちゃんの言葉。悪魔。七十六歳の死。
そして、もうひとつの記憶が蘇った。
母の事故のこと。
あれは、自分がまだ小学生の時だった。
母が交通事故で緊急搬送され、意識不明になった。
面会謝絶だったけど、どうしても顔が見たくて、夜中に病室に忍び込んだ。
ベッドに横たわる母。
その胸の上に、亡くなったはずの祖母がちょこんと座っていた。
「お母さんはまだ必要だから……あと三十年、迎えに来るのを延ばすよ。今回は戻らせるからね」
そう言って、祖母はにっこり笑った。
翌朝、母の意識は戻り、奇跡的に後遺症もなかった。
あの出来事も、いつしか記憶の底に沈んでいた。
でも、母が亡くなった日のことを思い出した時、ふと脳裏をよぎった。
――あの事故、いつだったっけ?
兄が言った。「あの日は二月十三日だったよ。バレンタイン前で、チョコ貰えんくなるって焦ってたの覚えてる」
指折り数えてみる。
母が亡くなったのは、ちょうど三十年後の同じ日だった。
あれは夢だったんだろうか。
でも、夢にしては、祖母の声も表情も、妙に鮮明だった。
二月十三日。
あの日、何かが“先送り”された。
母はあのとき“本当は”死んでいたのかもしれない。
けれど祖母が、それを止めたのだ。
理由はただ、「私がまだ小さかったから」
三十年という猶予が与えられた。
でも、その契約はきっちりと守られた。
じいちゃんも、言った通りの年齢で、言った通りに死んだ。
そういう「約束」が、あるのかもしれない。
この世には。
嘘か本当かは、やっぱりわからない。
でも、そういう決まりごとみたいなものが、どこかにある気がしてならない。
あのときの悪魔の話も、祖母の笑顔も、今となっては証明のしようがないけれど――
ただ、ひとつだけ確かなのは、
「契約」は、きっちり守られるということだ。
約束された死は、冗談みたいに静かにやって来る。
[出典:796 :本当にあった怖い名無し:2017/12/15(金) 21:40:08.87 ID:3wyetZKL0.net]