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短編 r+ 怪談 ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

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今でも、あの夜の匂いを思い出すと胸の奥がざわつく。

古びた木造校舎に染みついた、鶏小屋とウサギ小屋の湿った藁の臭いだ。夏が近づいていたせいか、空気は生ぬるく、埃と獣の体温が混じり合って、皮膚の裏側にまで貼りつくようだった。金網の向こうで赤い眼をこちらに向ける鶏と、妙に音の抜けた夕方の校庭。その光景は、今でもふとした拍子に現在へと滲み出てくる。

掃除当番で小屋に入る日は、いつも呼吸を浅くした。吐いた息が臭いをまとって鼻先に戻ってくるのが耐えられなかった。潔癖気味だった私は、足先で藁をかき回しながら、指先の汗を何度もハンカチで拭った。そんな様子を面白がって、同じ当番の友人二人が、ある日ふざけて扉を閉めようとした。

反射的に、私は全力で押し返した。

その瞬間、羽音が荒々しく弾け、何かが金属と木の隙間に挟まった。乾いた、硬質な音が一度だけ鳴った。視線を落とすと、鶏が倒れていた。体は小刻みに痙攣し、赤い冠が泥に擦れて色を失っていく。時間が妙に引き延ばされ、喉が乾き、声を出すという行為がどこか遠いものになった。

誰かが叫んだ気もするし、していない気もする。次に覚えているのは、教師の顔と、放課後の職員室の匂いだった。

教師は「喧嘩両成敗」と言った。反省文を書かされ、謝罪をした。それで終わるはずだった。だが、終わったのは表向きだけだった。

その日から、視線の向きが変わった。

廊下ですれ違うと、会話が途切れる。笑い声が、私の背中で急に低くなる。下駄箱を開けると、紙切れが挟まっていた。乱暴な文字で、一言だけ書かれていた。

「コロシタ」

紙を捨てても、その文字は残った。目を閉じると、文字の形が裏から浮かび上がる。私は何も言えず、何も説明できなかった。説明すればするほど、言い訳に聞こえる気がした。

数日後、今度はウサギが死んだ。

朝の校内がざわついていた。担任の声がいつもより硬く、誰もが落ち着かない様子だった。後から聞いた話では、刃物のようなもので傷つけられていたらしい。校庭に車が入り、知らない大人が行き来するようになった。カメラを肩に担いだ人間も見かけた。

いつの間にか、噂が出来上がっていた。

「最初にやったやつがいる」
「前にも殺してる」
「同じだろ」

誰も名前を呼ばなかった。それなのに、私の居場所だけがはっきりと浮かび上がっていた。視線が集まる。私が何かを言う前提で、空気が固まる。

放課後、玄関を出たところで、光が弾けた。

白い閃光。遅れて、低い声が飛んできた。「鶏を殺したのは君か」

身体が硬直した。目の前にはマイクとレンズがあり、そこに私の顔が映っていることだけは分かった。頭が真っ白になり、それでも何か答えなければならない気がして、口を動かした。

「死んだのは、可哀想だと思います。でも、僕はやってません」

声が震えていたのは自覚している。それ以上の言葉は出なかった。

夜、ニュース番組を見て、言葉を失った。

画面の中で、私の声が流れていた。「可哀想」「ごめんなさい」「でも僕は悪くないです」。それだけが、切り取られていた。質問も、前後の沈黙も、消えていた。母が何も言わずにテレビを消した。暗くなった部屋で、自分の声が、知らない誰かのもののように耳に残った。

翌日から、家の周りが変わった。

塀に落書きが増えた。「悪魔」「コロシヤ」。電話は鳴っても、出ると無言だった。外に出れば、誰かが見ている気配が背中に貼りつく。私は机に突っ伏し、鉛筆を握りしめたまま、授業の声が遠ざかっていくのを感じていた。指の節が白くなるほど力を入れても、何も掴めていない感覚だけが残った。

夕方、両親が不在の日だった。

玄関のチャイムが鳴った。出なかった。もう一度鳴り、さらに連打に変わった。壁が低く震えた。息を殺していると、砂利を踏む音が家の横を回り込み、窓辺に影が落ちた。

カーテン越しに、人の輪郭が見えた。灰色の服。重たい体つき。窓の向こうで、影がこちらを向いた気がした。次の瞬間、鈍い音がした。

ボン。

ガラスに何かが当たった。赤黒いものが、ゆっくりと垂れた。続けて、また音がする。ボン。ボン。形の崩れた塊が、窓に張りつき、ずり落ちていく。匂いがした。あの小屋と同じ、湿った匂いだった。

私は動けなかった。耳鳴りの中で、その音だけが大きくなっていく。

塊の一つに、小さな頭のような形が混じっていた。濡れた眼が、こちらを向いているように見えた。見えた、と思っただけかもしれない。それでも視線を外せなかった。

窓の外から、声がした。

「おまえがやったんだよ」

低く、抑えた声だった。怒鳴ってはいない。それなのに、言葉が直接、耳の奥に滑り込んでくる。

「おまえがやった」

繰り返されるたび、窓に当たる音と重なった。私は自分の腕を掻きむしり、爪が皮膚を破る感触をどこか他人事のように感じていた。時間の感覚が歪み、世界がその窓の大きさに縮んでいった。

その後のことは、途切れている。

翌日、風呂場で震えていたところを母に見つけられたと聞いた。自分では覚えていない。警察は「動物の遺棄」として処理し、詳しいことは教えられなかった。ニュースは短く触れただけで、すぐ別の話題に移った。

それでも、私の中では何も終わっていない。

夜の路地で背後に気配を感じると、あの音が蘇る。ボン、という鈍い音。窓ガラスを伝って垂れる赤黒い線。それらは記憶の底で乾かず、形を変えながら残り続けている。

今でも、誰もいない窓を見つめていると、あの声が再生されることがある。外から聞こえたのか、内側から響いたのか、自分でも分からない。ただ一つ確かなのは、その言葉が今も私の役割を固定し続けているということだ。

「おまえがやった」

そう言われた瞬間から、私はまだ、あの小屋の中にいる。

(了)

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