高校を卒業して、工場に正社員として入社した俺は、三年目の若手社員だった。
特に変わり映えのしない日々を送っていたが、その日は少しだけ違っていた。
「なぁK、これ何だと思う?」
上司のAが、何かを手にして俺に見せてきた。それは縦五センチほどの、薄汚れた布製の人形だった。手作り感が否めず、布には汚れやほつれが目立つ。形もどこかいびつだ。
「なんですか、それ?どこから見つけたんです?」
「ウェスの中に入ってたんだよ」
ウェス――古着を細かく裁断して再利用する、工場ではよく使う雑巾のようなものだ。たまにポケットにお金やアクセサリーが残っていることがあると聞いていたが、こんな気味の悪い人形が紛れているとは。
「いや、なんか気持ち悪いですね」
「そうだな。でも、ただの忘れ物だろう」
その時は深く考えなかった。しかし、それが始まりだった。
翌週、夜勤に入った時のことだ。工場のラインが止まり、いつもより静まり返っていた。ラインが停止すると、普段の作業を中断して清掃や整備を行う。この日は床のペンキ塗りを任されていた。
薄暗い倉庫にペンキを取りに行くと、何か嫌な気配が漂っている。いつもよりひんやりとした空気が肌を撫で、首筋に汗がにじむ。
俺は髪が長く、襟足をゴムで束ねているのだが、その髪が突然、誰かにグイッと引っ張られた。
「いだっ!いだだだ!」
慌てて振り向くが、そこには誰もいない。背中に冷たいものが走り、全身に鳥肌が立った。
俺はペンキ缶を床にぶちまけながら、転げるようにして倉庫を飛び出した。
「Aさん!!やばいです!!何かに髪を引っ張られて!!」
「お前、何やってんだよ。つか、顔にペンキ付けてバカじゃねーの?w」
言われて鏡を見ると、俺の左頬には三本の指の形がペンキでくっきりと残っていた。転んでペンキをこぼしただけでは、こんな痕がつくはずがない。
それからというもの、不可解な出来事が立て続けに起こり始めた。
Aが一人で会社の風呂に入っていると、窓が勝手に開いた。
夜勤で天井クレーンの方を見ると、黒い影がスッと落ちていった。
倉庫に二人で行くと、二人同時に誰かに押される感覚を味わった。
上司のBが「そんなことあるわけない」と言いながら倉庫に行き、泣きそうな顔で戻ってきた。
次第に俺たちの間では、その汚れた人形が原因ではないかという話になった。
1ヶ月後、Aが再び奇妙な人形を持ってきた。
「おいK、また見つけたぞ」
手には前回とよく似た人形が握られていたが、今度はより表情豊かで、どこか挑発するような顔つきをしている。
「これ、もう燃やしましょう。何か関係ある気がします」
Aも同意し、俺たちはガス溶断機でその人形を燃やすことにした。炎が人形を包むと、何とも言えない異臭が作業場中に充満した。次の日、匂いについて他の作業員にこっぴどく叱られたが、俺たちは妙な安堵感を覚えていた。
それからしばらくの間、平穏な日々が戻ったかのように思えた――ある日を境に、その平穏は再び破られた。
朝の勤務中、ウェスを運んでくるおっちゃんと倉庫で顔を合わせた。世間話をしていると、おっちゃんの車の後部座席に人影が見えた。
「あれ、誰か乗せてきたんですか?いつも一人ですよね」
「ああ、今日はどうしても乗せてけって言うもんだからな」
後部座席には、おばちゃんが座っていた。だが、そのおばちゃんは俺と目が合うと、不気味な笑みを浮かべた。ゆっくりと口を動かし、こう言っているのが分かった。
『ミ ツ ケ タ』
「……あ、俺、もう行きますね。別の仕事があるんで!」
俺はおっちゃんの話を振り切るようにしてその場を離れた。心臓がバクバクとうるさく鳴り響き、体中に冷たい汗が流れた。
後日、おっちゃんから衝撃の話を聞いた。
あのおばちゃんは数年前に火事で亡くなっていたという。そして、そのおばちゃんは生前、人形作りが趣味だったらしい。
Aもまた、火事で亡くなった。俺自身も、あの頃は怪我や事故が絶えなかったが、今は何も起こらなくなった。
人形を燃やしたことで何かが解決したのか、それとも因果応報的な何かだったのか――今となっては分からない。ただ、一つ言えるのは、あの日、俺たちが手にしたあの人形は、決して触れてはならないものだったのだろう。
[出典:75:本当にあった怖い名無し:2010/07/15(木) 23:41:34 ID:tHj9scAK0]