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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

もうすぐ着くよ nw+216-0325

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あの夜のことは、四年前にA本人から聞いた。

最初に聞かされたのは、ありえない話だった。

「○恵から電話が来たんだよ。死ぬ時間まで、ずっとつながってた」

冗談だと思った。だがAは笑わなかった。声も低く、何かを思い出すたびに背中のほうを気にしていた。あまりに様子が変だったので、私はその夜のことを最初から最後まで聞いた。

その頃、Aには大学で付き合い始めた○恵という恋人がいた。明るくて、よく笑う子だったらしい。仲間内で集まれば、Aと○恵が中心になって、夜中までどうでもいい話で騒いでいたという。

事故があったのは、空気が刺すように冷たい夜だった。Aは週末だけ深夜のバイトを入れていて、その日も帰宅したのは午前二時を回っていた。布団に倒れ込んで、ほとんど意識が落ちかけたところで、枕元の携帯が震えた。

画面には○恵の名前が出ていた。

こんな時間に何だよと思いながら出ると、聞こえてきたのは、いつもの声ではなかった。

「……まだ起きてたんだ。ごめんね」

その言い方が妙に重たかったとAは言った。泣いているというより、息を殺している声だった。しかも背後で、ずっと細かい雑音がしていたらしい。電波の悪い場所で混じるような、ジジ……シャー……という擦れた音だ。

「どこにいるんだよ」

そう聞くと、○恵は少し黙ってから言った。

「田舎から友達が来てて、ドライブに連れてかれてるの」

以前そんな話をしていたのをAも思い出したらしい。だからその時は、それ以上深く考えなかった。眠気もひどかった。

ただ、電話はなかなか切れなかった。

○恵は脈絡のないことをぽつぽつ話した。

就職するならその会社がいいとか。
食べすぎるとまた腹を壊すよねとか。
前にも話したようなことを、途切れ途切れに繰り返した。

Aが「おまえ、どうかしたのか」と聞くと、少し間があって、またあの声が返ってきた。

「……ごめんね」
「ほんと、ごめん」
「ごめんね」

何に対して謝っているのか、最後まで言わなかった。

気味は悪かったが、Aは限界だった。明日会えばいいと思い、「もう寝るぞ。また明日な」と言って電話を切った。時刻は、だいたい午前二時半すぎだったはずだとAは言った。

翌朝、まだ日も高くならないうちに、Aの携帯が鳴った。

相手は○恵の母親だった。

泣きすぎて言葉が崩れていて、最初は何を言っているのか分からなかったらしい。何度も聞き返して、ようやく分かった。

○恵が乗っていた車が、首都高湾岸線で分離帯に激突した。
乗っていた四人は車外に投げ出された。
ほとんど即死に近かった。
○恵だけ病院へ運ばれたが、助からなかった。

Aはそこで、時間を聞いた。

母親が答えた時刻は、午前二時三十五分だった。

Aはその場で声が出なくなったという。

昨夜、○恵と通話していたのは、まさにその頃だったからだ。

その日のうちにAは○恵の実家へ行った。玄関を開けると、母親が崩れるように抱きついてきて、顔をぐしゃぐしゃにしながら同じ言葉を何度も繰り返したらしい。

「ごめんね、ごめんね」

Aはその時、昨夜の電話を思い出したという。

泣き方ではなく、言い方が同じだったと。

語尾の落ち方も、息の詰まり方も、間の取り方も、昨夜耳元で聞いた○恵の声とそっくりだったらしい。真似をしているようにではなく、同じものを二度聞かされたように。

母親は、病院から返された壊れた携帯をAに見せた。ストラップが○恵の右手にきつく絡んだまま見つかって、外すのに時間がかかったのだという。

そこで、通話履歴を確認することになった。

壊れた画面を何度か押して、履歴を開いた。

Aが言った。

「そこに、ちゃんと残ってたんだよ」

二時三十五分を過ぎても、通話は続いていた。

事故のあとも。
搬送のあとも。
記録の上では、数分間つながったままだった。

その場にいた全員が黙った。母親も、親族も、Aも、誰も理由を口にしなかったという。言ってしまったら、別のものまで認めることになる気がしたのだろうとAは言っていた。

話はそこで終わらなかった。

事故のあと、Aはしばらく人を避けていた。大学にもあまり顔を出さず、私からの連絡にも出ない日が続いた。ようやく会えたのは、それからだいぶ経ってからだった。

ファミレスの隅で向かい合った時、Aはコーヒーにも手をつけず、しばらく黙っていた。

やっと口を開いて、最初に言ったのは後悔だった。

「あの時、切らなきゃよかった」

私は慰める言葉を探したが、Aの顔を見てやめた。あれは後悔の顔じゃなかった。何かを思い出して、今もその続きを恐れている顔だった。

Aは小さな声で続けた。

「電話切る直前、向こうで変な音がしてたんだよ」

「変な音」

「誰かが、ずっと運転席の下を叩いてるみたいな音。ゴン……ゴン……って」

事故の音ではないのかと私は言いかけたが、Aは首を振った。

「ぶつかる前からしてた。ずっとだよ。○恵の声が震えてたの、たぶんあれのせいだと思う」

そこまで話して、Aはまた黙った。

私も黙るしかなかった。

だが、一番聞きたくなかったことは、そのあとだった。

Aは急に目だけ動かして、私の肩の後ろを見た。そこに誰か立っているのかと思って振り返りそうになった時、Aが言った。

「途中で、一回だけ雑音が消えたんだよ」

私は振り返るのをやめた。

「急に音が澄んで、あ、聞こえるって思った。○恵が何か言うんだと思った」

Aはそこで唇を舐めた。乾いていたのだと思う。

「でも、○恵の声じゃなかった」

私は何も言えなかった。

Aは視線を私の後ろに置いたまま、はっきりと言った。

「男とも女とも分からない声でさ。すぐ後ろで言うみたいに聞こえたんだ」
「“もうすぐ着くよ”って」

その時、私はようやく振り返った。

もちろん、誰もいなかった。

Aは私の動きを見て、初めて少しだけ笑った。乾いた笑いだった。

「みんなそうするんだよ」

「どういう意味だ」

「この話を最後まで聞いたやつ、そこまで来ると、だいたい振り返る」

私は腹の底が冷えた。

Aはテーブルの上の携帯を裏返しにしながら、最後にこう言った。

「最初は電話の向こうから聞こえてたんだ。でも今は違う。あの声、たまに俺の背中のほうからするんだよ」
「着信音は鳴ってないのに、鳴った気がして振り返る。するとたまに、先に向こうが言うんだ」
「……もうすぐ着くよ、って」

それきりAはこの話をしなくなった。

ただ一度だけ、夜中に私へ短いメッセージを送ってきたことがある。

《今、また後ろで鳴った》

それがAから来た最後の連絡だった。

翌朝かけ直したが、つながらなかった。
その日からAの番号は使われていない。

そして妙なことに、私はこの話を誰かに聞かせるたび、最後のところで必ず一度だけ言い淀む。

なぜそこで止まるのか、自分でも分からなかった。

さっき、ようやく気づいた。

あの一文を口に出す直前だけ、背中のすぐ後ろで、着信音より先に声がする。

「もうすぐ着くよ」

[出典:412 :カメラマン:02/11/20 16:18]

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