昔、町外れに「和解劇場」と呼ばれる小さな芝居小屋があった。
そこで演じられるのは、たいてい誰かと誰かの争いだった。殴り合いも、罵倒も、裏切りもある。それでも最後には当事者が抱き合い、観客の涙と拍手の中で幕が下りた。町の者はその結末を信じ、怒りというものは、いつか理解に変わるのだと思っていた。
ある夜、客席にいた一人の青年が指名された。名を呼ばれ、照明が落ち、何が起きたのか飲み込めないうちに舞台へ引き上げられた。台本は渡されなかった。目の前には幕があり、背後には暗い客席がある。振り返ると、無数の顔だけがこちらを見ていた。
幕の向こうから現れたのは、かつて青年を裏切った親友だった。
青年の口から、忘れたつもりでいた言葉が次々に出た。親友も言い返した。声を荒らげるほど、青年は妙なことに気づいた。自分の言葉には抑揚があり、沈黙にはちょうどいい長さの間がある。相手の返事まで含め、何度も稽古をした場面のように進んでいく。
やがて青年の口が、自分の意思とは関係なく動いた。
「もう終わりにしよう」
言うつもりのない言葉だった。親友も同じ台詞を返した。二人は歩み寄り、互いの肩に手を置いた。青年は腕に力を入れて離れようとしたが、指も肘も言うことをきかなかった。親友の身体もこわばっている。それでも二人は、観客からよく見える形で抱き合った。
客席が立ち上がった。拍手が劇場を満たした。泣いている者もいた。青年は親友の肩越しにその顔を見ながら、自分たちだけが泣いていないことに気づいた。

幕が下りた。
夜明け前、青年は町へ戻された。胸の奥には怒りが残っていた。なのに顔だけは舞台の上と同じだった。口元が薄く持ち上がり、戻そうとすると頬が震えた。奥歯には、噛みしめた痛みが残っていた。
通りを歩く者たちも、よく似た顔をしていた。八百屋も郵便配達も、昨夜まで口論していた隣人同士も、同じ程度に口角を上げている。誰も声を荒らげない。争いになりかけても、途中で決まった台詞でも思い出したように声が静まる。
「分かり合えるはずだ」
誰が言ったのか分からなかった。
その言葉を聞いた瞬間、青年は昨夜の客席を思い出した。舞台の上から見た最前列。そこに、自分が座っていた。親友を抱きしめていたはずの自分が、客席で涙を流し、両手を打ち合わせていた。その記憶がいつからあるのか、青年には分からなかった。
町の掲示板には、今夜の上演を知らせるポスターが貼られていた。
《特別参加型公演》
出演者の欄に青年の名前が印刷され、その下には空白の行が何段も残されていた。
視線を感じて振り返ると、通りの向こうに若い男が立っていた。男は青年を見ていた。肩を震わせ、怒りを押し殺すように拳を握っている。
青年は無意識に片手を上げた。
男の名が、喉まで出かかった。
口を閉じようとしたときには、頬の筋肉が、舞台の上と同じ高さまで引き上がっていた。
(了)