久しぶりに実家へ帰ったとき、母がぽつりと「近所に火葬場が出来た」と言った。
声の調子が妙に沈んでいたので、最初は反対運動でもあったのかと思った。どこかには必要な施設だし、煙や騒音が出るわけでもない。田舎なら土地も余っているだろうし、気に病むほどの話ではない。そう口にしたが、母は首を振った。
母の言う憂鬱は、もっと手前の出来事にあった。
建設が決まる少し前、役場から来たという男が集落を回ったらしい。「地域調査です」と名乗り、各家を訪ねては一枚の書類を差し出した。調査項目は他愛のない内容だったという。イナゴの大量発生はあるか、井戸水の出はどうか、冬場の積雪はどれくらいか。世間話の延長のような調子で聞き取りをしながら、ついでのように「ここにお名前だけ」とサインを求めた。
のんびりした土地柄だ。怪しむ者はほとんどいなかった。「わざわざご苦労さんです」と言いながら、皆が素直に名前を書いた。
それが火葬場設置への同意書だったと知ったのは、後日の説明会だった。
集会所は騒然となった。役場は調査は外注だったと言い、調査業者はすでに姿を消していた。葬祭会社は「正式な同意がある」と言い張り、町民は撤回を求めて動いた。だが書類は揃っており、話は簡単には覆らなかった。
特に問題になったのが、建設予定地の隣に住む小池さんの家だった。普段は控えめで、人前で声を荒らげるような人ではない。その小池のおばちゃんが、説明会で泣きながら訴えたという。
土地は余っているとはいえ、十分な広さが取れるわけではなかった。火葬炉とボイラー室は、小池家の家庭菜園のすぐ脇に並ぶ設計になっていた。敷地を広く見せるため、塀も設けない計画だったらしい。
「こんなに近いんですか。まるで火葬場の敷地の中に、うちが建っているみたいです」
その言葉に、集まった人たちも胸を打たれた。だが最終的に示談金が提示され、話はそれで終わった。工事は始まり、重機が出入りし、風景は少しずつ変わっていった。
その最中だった。小池のおばちゃんに子宮がんが見つかった。
発見された時点ですでに進行しており、入退院を繰り返す間もなく亡くなった。偶然だと言われれば、それまでのことだ。ただ、母はその事実を口にするたび、必ず少し間を置いた。
火葬場が完成し、稼働を始めたとき、最初に炉に入ったのは小池さんだった。
母はそのことを、誰かに言いふらすわけでもなく、ただ事実として淡々と語った。その淡々さが、かえって重かった。私は何も言えず、曖昧に頷くしかなかった。
小池さんの家には、軽い脳性まひのある子どもがいた。近所で声を掛け合い、学校まで送り迎えをして、普通の公立中学に通わせていた。母親がいなくなってから、それも難しくなったらしい。
ほどなくして父親と子どもは引っ越していった。
今、小池さんの家には誰も住んでいない。
火葬場へ弔問に来た人や、業者の車が、空いた庭に自然と停まるようになった。誰かが許可を出したわけではない。止める人もいない。ただ、そこに空き地のように使える場所があるだけだ。
母は最後にこう言った。「あの家は、最初から空く場所だったみたいだね」
私は返事をしなかった。そう言われると、あの書類に名前を書いた日から、すべてが一つの流れだったようにも思えてしまうからだ。
小池さんの家は、今も火葬場の隣にある。
炉の煙が立ちのぼる日も、何も起きない日のように静かだ。
その静けさだけが、ずっと残っている。
[出典:539 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/07/01 11:07]